外国映画

太陽の下の18才(1963年)

1960年代から70年代にかけて恋愛を求める若者たちグループを描く青春映画というジャンルがさかんになり、アメリカ映画でいえば『アメリカン・グラフィティ』が代表作ともいえますが、本作はそうした青春映画の嚆矢ともいえるような古典的な青春リソート映画です。
日本映画

暖春(昭和40年)

「原作:里見弴・小津安二郎」の通り、昭和38年にNHKで放映されたTVドラマのためのシナリオが元になっていて、中村登監督が松竹で映画化することになりました。早くに父親を亡くした母と娘が主人公というモチーフはまさに小津映画そのものです。
外国映画

大脱走(1963年)

オーストラリア空軍パイロットのポール・ブリックヒルが戦後に捕虜収容所の経験をノンフィクションとして発表。ジョン・スタージェスはすぐにその映画化権を入手しましたが、製作費の工面がなかなか進まず、10年以上経ってからやっと製作に着手することができました。
日本映画

大忠臣蔵(昭和32年)

本作はGHQ占領終了後の忠臣蔵ブームの真っ最中に作られた一篇で、歌舞伎の興行主でもある松竹ですから一丁歌舞伎ものでやろうじゃないかということになったらしく、映画にしては珍しく「仮名手本忠臣蔵」を原作にした忠臣蔵ものになっています。
昭和二十年以前

戦ふ兵隊(昭和14年)

日本陸軍の雄姿を映像に収めたドキュメンタリー映画は亀井文夫監督の手に委ねられたのですが、完成した作品は雄姿どころか繰り返される転戦で疲弊していく兵隊の姿がリアルに記録されていて、せっかく作った映画は結果的にはお蔵入りとなってしまいました。
昭和二十年以前

大学は出たけれど(昭和4年)

小津安二郎は34本のサイレント映画を作っていますが、そのうち17本はフィルムが残っておらず現在では見ることができません。この『大学は出たけれど』も本来は70分の上映時間だったのですが、現存するフィルムはわずか11分に短縮されています。
外国映画

大砂塵(1954年)

主演のジョーン・クロフォードは1930年代にMGMのスター女優で本作の撮影時は四十九歳になっていて、ジョニーギターを恋人にする女丈夫を演じています。町民を扇動するマーセデス・マッケンブリッジとの女同士の戦いが話題を呼びました。
昭和二十年以前

暖流(昭和14年)

昭和14年の公開時には「前篇 啓子の巻」(94分)と「後篇 ぎんの巻」(83分)が一挙上映されました。現存しているのはその前後篇をくっつけて2時間4分にまとめて昭和22年に再上映された総集編バージョンのみで、50分強がカットされた計算になります。
日本映画

大魔神(昭和41年)

大映は昭和40年に『ガメラ』で特撮映画の分野に進出しましたが、「ガメラ」シリーズの『大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン』の併映作がこの『大魔神』でした。「大魔神」シリーズは京都で製作され、時代劇を得意とする大映京都撮影所の持ち味が十分に発揮されています。
外国映画

大頭脳(1969年)

主演のジャン・ポール・ベルモンドに加えて、デヴィッド・ニーヴンとイーライ・ウォラックが参加して、現金を運搬する列車から強奪する大作戦が三つ巴になって展開されます。基本的には喜劇なのですが、国際色溢れた冒険大作ともいえる作品になっています。
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