大菩薩峠 完結篇(昭和36年)

市川雷蔵主演の「大菩薩峠」シリーズ三部作最後の作品で監督は森一生です

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、森一生監督の『大菩薩峠 完結篇』です。繰り返し映画化された「大菩薩峠」の中で、市川雷蔵主演の本シリーズは本作で打ち止め。とはいっても他社の映画化シリーズもすべて三部形式なので、大映もそのパターンを踏襲しています。しかし監督は前作までの三隈研次から森一生に代わっていて、またお松を演じていた山本富士子も出演していません。前年の10月、12月と連続公開された前作までと比べると大幅にペースダウンして、本作の公開は昭和36年5月のゴールデンウイーク明け。大映としては一度始めたシリーズなんだから、いちおう終わらせなきゃなという程度の位置づけになっていたのかもしれません。

【ご覧になる前に】目が見えない机竜之介をどう活躍させるかが見どころです

宇津木兵馬との戦いで竜神の滝に落ちた机竜之介はおとよに助けられて伊勢大湊の一軒家に匿われていました。一方遊女に身を落として竜之介に金を届けていたおとよは肺を患い、鳥追いのお玉に書状と20両の金を竜之介に届けるように頼むと自害して果てました。書状を受け取った竜之介は目が見えないにも関わらず、ちょっかいを出してきた侍数人をいとも簡単に斬り捨て、それを見ていた生け花の師匠のお絹は竜之介を自宅に誘い込みます。かたや盗みの疑いをかけられたお玉は裏宿の七兵衛のすすめで遠州清水へと渡るのですが、頼みにしていた船大工は半年前に亡くなったと聞かされて途方に暮れるのでした…。

三隈研次に代わって監督についた森一生は、大映ではシリーズものを途中で引き受けることが多かったらしく、本作の後も「座頭市」「悪名」「忍びの者」「陸軍中野学校」「眠狂四郎」などのシリーズもので、中継ぎピッチャーのごとくシリーズの途中で一作品のみ監督するみたいなケースが多く見られます。それだけ器用さが評価されていたということなんでしょうが、森一生の監督作品の中で印象的なのは昭和27年の『荒木又右衛門 決闘鍵屋の辻』でしょうか。森一生は同年代ということで戦前から黒澤明と交流があり、黒澤が書いた脚本を東宝に招かれて監督したのが森一生だったのでした。この『決闘鍵屋の辻』はいわゆる歌舞伎様式のチャンバラから殺し合いとしてのリアルな殺陣をはじめて演出に導入したといわれる傑作時代劇でしたから、大映での森一生の仕事でも斬り合いの場面はリアルさが重視されているように感じられます。

三部作を通じて机竜之介を追うのが宇津木兵馬と裏宿の七兵衛の二人。兵馬役の本郷功次郎は立教大学で柔道部に所属していたところを大映にスカウトされて柔道映画に出るならと入社したんだそうです。映画スターになりたくて入ったわけではないという欲のなさが幸いしたのか市川雷蔵にも弟分のように可愛がられて、一時は雷蔵宅に居候していたんだとか。眉目秀麗な美男子なのに、実際は浮かれたところのない人だったみたいですね。一方七兵衛を演じた見明凡太郎は戦前の日活時代から活躍していた名脇役。戦時下に日活が大映として統合された以降もずっと大映作品を中心に出演し続けて、溝口健二監督の『噂の女』や『楊貴妃』でも脇をつとめています。

中村玉緒は市川雷蔵とともに三部作すべてに出ていますが、竜之介は女に好かれすぐにその女を捨てる役回りでもあるため、本作には中村玉緒以外の大映専属女優がいろいろ顔を揃えています。宝塚で八千草薫と同期だった阿井美千子、ミス・ユニバース日本代表で大映に入社した近藤美恵子、本作が最後の出演作となった矢島ひろ子などなど。みなさん、日本髪と着物がよくお似合いの方ばかりです。

【ご覧になった後で】未完に終わった小説に対して映画の結末はなんとも…

いやー、結果的に宇津木兵馬の敵討ちは最後には剣を交わすこともなく、机竜之介が決壊した川の濁流にのまれて屋根にすがりついたまま民家とともに流されて行ってしまうという、ちょっと怪獣映画的なエンディングになっていたのが驚きでした。中里介山の小説は未完に終わっていて、江戸時代から架空の時代へと舞台を変化させながら永遠に続きそうな気配だったそうですから、敵討ちの決着がどうなるとかいうよりももっとスケールの大きな結末にしたかったのかもしれません。その意味では、竜之介は死んではいないですし、映画のセリフの中でも温泉や銘水で目の病気が治るみたいなことも言っているので、いつでもどこでも目が見えるようになった机竜之介を復活させることができるよう、川に流して後は知らないってことになったのかもしれません。

それにしても森一生の演出はなかなか見どころがあって、まず最初に第一作と第二作のダイジェストを見せてくれるところがいかにも完結篇っぽくて良かったですね。当時の観客も5ヶ月くらい間が空いたわけで、一度再整理をしてあげないと話のつながりがわからなかったでしょうから、大変に良いサービスパートだったと思います。

そんなんじゃなくて、森一生の腕の見せ所は移動撮影で、特に海の近くの一軒家に匿われている竜之介を七兵衛が訪問する場面の移動ショットは見事でした。竜之介が気配を察知して小柄を投げると、屋根裏に七兵衛が来ているというシーンです。最初にキャメラは竜之介を横からフルショットでとらえていますが、ググーっと横に動きながら次第に縦の動きが加わって、画面が上昇すると屋根裏にいる七兵衛をとらえます。そしてそのショットはカットされることなく、ワンシーンワンショットのまま七兵衛なめで上から俯瞰で竜之介をとらえ、そのままキャメラが下降すると再び横からのフルショット竜之介に戻るという長い長い移動ショットでした。

こういう移動が他にもチラホラと出てきまして、清水港に到着したお玉と七兵衛が浜沿いを歩くところを右から左へ移動で映すのも良かったですね。浜には海藻が干してあるので、その干し竿の列が横移動を強調するようにセッティングされていました。こうした移動ショットは、キャメラだけじゃなくて美術さんなんかの力がないと実現できないわけで、部屋と屋根裏を上下する移動ショットもたぶんセットを作るときからクレーンの動きを意識して組み立てているはずなんです。大映京都撮影所にはこうしたことを理解して自分の役割をこなす職人たちがたくさんいたことでしょう。

そして中村玉緒のお岩さんふうの亡霊ショットも印象的で、5月公開ですから夏の怪談映画には少し早いタイミングですが、第二作ではおとよになっていたせいか、おはまの亡霊という設定はありませんでしたから、ここに来て出るのかとちょっと意外な出し方でした。でもお銀まで中村玉緒にやらせたのはどうなんでしょう。原作でも顔に火傷を負って歪んだ性格になる女性という設定で出てくるようですが、本作に限っては中村玉緒はおはまの亡霊役だけにしておいたほうがよかったように思います。

蛇足ですが竜之介が斬りあいになってがんりきの百の右腕を切り落とすショットが出てきます。原作でもその通りに書かれているようなので、肘あたりからの右腕がドサッと切り落とされるグロテスクなショットは本作オリジナルで考案されたものかもしれません。しかし黒澤明の『用心棒』が公開されたのは同じ昭和36年の4月のこと。そこで野良犬が切られた手首を口にくわえて走っていくというあの有名なショットが出てきて、それが当時の日本映画の時代劇の常識を変えるような描写だったわけです。『用心棒』公開から一か月弱で大映が真似できるのか、真似していないのか。まあ、そんなに真剣に考えることではないですが、他の殺陣の場面では血しぶきのひとつもあがらない撮り方をしているのを見ると、がんりきの百の場面だけはまだ撮影されていなくて、ここであれをやっちゃおうかみたいな感じで右腕切り落としショットが挿入されたのではないかという説を取りたいと思います。(A062322)

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