JIDAIGEKI

日本映画

心中天網島(昭和44年)

近松門左衛門作の人形浄瑠璃が初演されたのは享保5年(1720年)のこと。その原作を文楽の黒子を登場させたり美術セットに浮世絵を使用したりして様式的に映画化したのが篠田正浩でした。このような作品が製作できたのはATGの存在があったからのことです。
昭和二十年以前

十字路(昭和3年)

『狂った一頁』に続いて衣笠貞之助が松竹京都撮影所で作ったのがこの『十字路』で、映画が完成すると衣笠は松竹を辞めてロシアを経由してヨーロッパに渡り、本作を「ヨシワラの影」という題名にして公開することになりました。
日本映画

忠臣蔵(昭和33年)

日本の時代劇史上最大最高の鉄板コンテンツとして映画界でも繰り返し忠臣蔵ものが作られました。本作は大映が創立18周年記念としてオールスターキャストで製作したものですが、驚くことにシンプルでドンズバの『忠臣蔵』という題名を持つ忠臣蔵映画はこの大映版のみです。
日本映画

夜の鼓(昭和33年)

近松門左衛門といえば江戸中期(西暦1700年前後)に人形浄瑠璃・歌舞伎の作者として活躍した偉大な戯曲家ですが、近松が書いた「堀川波鼓」(ほりかわなみのつづみ)という三段の世話物を映画化したのが本作です。
日本映画

銭形平次捕物控 人肌蜘蛛(昭和31年)

野村胡堂が書いた時代劇小説「銭形平次」は雑誌連載時から映画化されましたが、長谷川一夫が銭形平次を演じた「銭形平次捕物控シリーズ」が最も多くの作品を残していまして、本作はその第10作にあたります。
日本映画

殿さま弥次喜多 怪談道中(昭和33年)

本作は歌舞伎出身で東映の若きスターだった中村錦之助と中村賀津雄(後に中村嘉葎雄と改名)の実の兄弟が共演した弥次喜多もので、お殿様が町民に姿を変えて活躍するという遠山の金さんパターンで東海道の旅を描いています。
日本映画

地獄門(昭和28年)

永田雅一社長の指示の結果採用されたのは室内での露光でも撮影が可能なコダック社のイーストマンカラーシステムで、大映初のカラー作品は平安時代を描いた『地獄門』に決まり、アメリカ産ネガフィルムによって撮影されることになったのでした。
日本映画

お吟さま(昭和37年)

主人公のお吟は豊臣秀吉の茶頭だった千利休の義理の娘で、その波乱に満ちた生涯を小説にしたのが今東光でした。大女優田中絹代にとっては六作目の監督作品となりますが、残念ながら本作以降二度と監督することはありませんでした。
日本映画

旗本退屈男 謎の七色御殿(昭和36年)

サイレント映画時代から活躍を続けた時代劇俳優・市川右太衛門は旗本退屈男を当たり役としていて、本作はその28本目の作品にあたります。市川右太衛門が全編に渡って見事な立ち回りを見せる娯楽時代劇に仕上がっています。
日本映画

ひばり捕物帖 かんざし小判(昭和33年)

東映は美空ひばりを主演にしたいわゆる「ひばり映画」を大量生産しましたが、本作はその中の「ひばり捕物帖シリーズ」の一篇。美空ひばりの歌が堪能できるとともに、お姫様から岡っ引き、歌舞伎役者までまさに七変化の大活躍が楽しめます。
タイトルとURLをコピーしました