昭和三十年代

日本映画

電送人間(昭和35年)

プロデューサー制をとっていた東宝では、『ゴジラ』を製作した田中友幸が円谷英二を特技監督に起用した特撮映画をシリーズ化していましたが、その初期には「変身人間もの」と呼ばれる連作がありました。本作は『美女と液体人間』に続く第二作です。
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忠臣蔵(昭和33年)

日本の時代劇史上最大最高の鉄板コンテンツとして映画界でも繰り返し忠臣蔵ものが作られました。本作は大映が創立18周年記念としてオールスターキャストで製作したものですが、驚くことにシンプルでドンズバの『忠臣蔵』という題名を持つ忠臣蔵映画はこの大映版のみです。
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永遠の人(昭和36年)

木下恵介は優秀な脚本家でもあり、楠田芳子がシナリオを書いた『夕やけ雲』以降は深沢七郎の原作を脚色した『楢山節考』『笛吹川』以外はすべて自らの脚本を映画にしています。本作も木下恵介のオリジナルシナリオ作品で『笛吹川』に続けて製作されました。
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暗黒街の顔役(昭和34年)

ハワード・ホークス監督の「Scarface」(1932年)の邦題が同じタイトルなので混同されることが多いのですが、本作は東宝によるギャングもので、岡本喜八監督によってシリーズ化された第一作で、鶴田浩二が主演をつとめています。
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宇宙人東京に現わる(昭和31年)

大映が『地獄門』で日本初のイーストマンカラー作品を作り時代劇の衣裳を豪華絢爛な総天然色で映像化してから三年後に、予算がかかるカラーフィルムでSF映画を作ったことも当時としては画期的だったのではないでしょうか。
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わが愛(昭和35年)

井上靖の小説「通夜の客」を原作としていて、一部では『「通夜の客」より わが愛』というタイトル表示になっています。五所平之助は本作を皮切りとして『白い牙』『猟銃』と井上靖の小説を連続して映画化していて三作ともに佐分利信が主演を務めています。
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江分利満氏の優雅な生活(昭和38年)

サントリー宣伝部でコピーライターをやっていた山口瞳が婦人画報誌に掲載した連作短編が直木賞を受賞し、それに目をつけた東宝のプロデューサー藤本真澄が小林桂樹樹園で映画化したのがこの作品で、監督は川島雄三からバトンタッチした岡本喜八です。
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夜の鼓(昭和33年)

近松門左衛門といえば江戸中期(西暦1700年前後)に人形浄瑠璃・歌舞伎の作者として活躍した偉大な戯曲家ですが、近松が書いた「堀川波鼓」(ほりかわなみのつづみ)という三段の世話物を映画化したのが本作です。
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不良少年(昭和36年)

羽仁進が設立に加わった岩波映画製作所は記録映画を専門に作っていましたが、本作は岩波映画製作所にとっても羽仁進にとっても初めての劇映画です。登場するのは非行経験のある少年たちでもちろん演技経験のない素人ばかりです。
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血は渇いてる(昭和35年)

『ろくでなし』で監督昇格を果たした吉田喜重はマスコミが「松竹ヌーヴェル・ヴァーグ」と名付けた勢いに乗って監督第二作を公開しました。企業の宣伝広告やマスコミを揶揄する風刺的な社会劇になっていて、マスコミに反転攻勢するような姿勢を示しました。
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