吉田喜重の監督第二作は宣伝広告やマスコミを風刺した社会劇になっています
こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、吉田喜重監督の『血は渇いてる』です。昭和35年7月に『ろくでなし』で監督昇格を果たした吉田喜重はマスコミ命名による「松竹ヌーヴェル・ヴァーグ」の勢いに乗って10月に監督第二作を公開しました。しかも内容が企業の宣伝広告やマスコミを揶揄する風刺的な社会劇になっていて、マスコミに持てはやされた新進監督の立場から反転攻勢するような姿勢を示しました。実は本作は二本立てで公開されていて併映作品は大島渚監督の『日本の夜と霧』。『日本の夜と霧』が公開4日目に上映中止になったというのは有名な話ですが、併映作だったこの『血は渇いてる』がどういう扱いになったのかは資料がないのでよくわかりません。いずれにせよ松竹の若い監督たちによるムーヴメントは本作以降急激に衰えていくことになりました。
【ご覧になる前に】脚本も吉田喜重のオリジナルでキャメラは成島東一郎です
とある中小企業の洗面所で脂汗をかきながらピストルを握りしめている木口は、社長が社員へ首切り宣言をしている屋上に出るといきなり自分はどうなってもいいから社員たちの首を切らないでくれと言って、ピストル自殺を図ります。中年社員の金井が寸前にところで止めに入り一命を取りとめた木口の入院先に現れたのは週刊日本の記者とカメラマン。取材した二人は記事にはならないと見切りをつけ、夜のバーで見かけた野球選手を酔わせて女友達と不倫している写真をでっちあげます。一方で昭和生命では女性社員野中の発案で木口を宣伝広告のキャラクターに起用することが決定され、オファーを受けた木口と金井は訳のわからないままピストル自殺の現場を再現する広告写真の撮影にのぞむのでしたが…。
吉田喜重は昭和30年に松竹に入社して木下恵介の助監督についた後、昭和35年に『ろくでなし』で監督デビューを果たします。大島渚監督の『青春残酷物語』が興行的にもヒットしたことから、旧来型のホームドラマを得意としていた松竹で新進気鋭の若い監督たちが作品を発表するようになると、マスコミは「松竹ヌーヴェル・ヴァーグ」と呼んで話題に取り上げました。そんな時流に乗って松竹幹部たちは大島渚や吉田喜重、篠田正浩らに積極的に新作を撮らせる機会を与えます。本作は『ろくでなし』に続いて吉田喜重が自らのオリジナル脚本を監督していて、第一作からわずか3ヶ月後に封切られることになりました。
キャメラマンの成島東一郎も『ろくでなし』で初めて撮影技師としてクレジットされたばかりで、成島東一郎にとっても二作目の撮影作品となります。前作に引き続き白黒フィルムで撮っていますが、吉田喜重とコンビを継続して二年後には『秋津温泉』をカラーのシネマスコープで撮影することになります。さらには中村登監督の『古都』では、光と影を生かした美しいカラー映像で作品づくりに大いに貢献するキャメラマンになるのでした。
主演の佐田啓二は本作の後には小津安二郎の『秋日和』に出演していて、本作は小津映画とはまったく違う陰気なキャラクターに挑戦しています。同じく三上真一郎も『秋日和』に出演後、小津の遺作となる『秋刀魚の味』では岩下志麻の弟という重要な役を与えられています。岩下志麻の話によると岩下は同じシーンで100回もリハーサルを繰り返されたのに、三上真一郎はすっと自然な演技をするので小津からあれこれ言われずにうまくやっていたということです。本作で三上真一郎が演じるのは週刊誌のパパラッチ的な記者役で、本作の前に篠田正浩の『乾いた湖』でも岩下志麻と共演して過激な学生役を演じていますので、そんな三上真一郎がなぜ小津映画に起用されたのか理由は定かではありません。
音楽を林光がやっているのも注目で、本作の一ヶ月後に公開された新藤兼人監督の『裸の島』が林光の代表作となるという時期です。『裸の島』は新藤兼人が主宰する近代映画協会の製作作品で、林光の映画音楽での楽曲提供をみると初期はそのような独立プロダクション製作作品に積極的に参加していたことがわかります。本作あたりから松竹などのメジャー映画会社の仕事も増えていきますけど、作曲家としての地位を確立してからも独立プロダクションとの関わりは途絶えることなく続いています。そのキャリアからは映画で儲けるというだけでなく、自分の音楽が映画の要素となることに挑戦し続ける姿勢が垣間見えるような気がします。
【ご覧になった後で】大看板の使い方や佐田啓二の演技が見事で効果的でした
いかがでしたか?監督デビュー作の『ろくでなし』は無軌道な若者を描こうとしたものの空振り気味でしたけど、本作は着眼点にオリジナリティがあって見ているうちにどんどん引き込まれるようなクリーンヒットになっていましたね。その要因は吉田喜重のオリジナル脚本のプロットが優れているところで、佐田啓二と織田政雄の自殺コンビ、三上真一郎と佐野浅夫のゴシップ記者コンビ、そして上昇志向のキャリアウーマン芳村真理と欲求不満妻岩崎加根子の対比という三つ巴のエピソードがうまく配置されていて、非常にバランスの取れた筋立てになっていました。どんな映画でも話術というのは非常に大切な要素ですので、吉田喜重の語り口は『ろくでなし』から格段に進歩したように思います。
その中心にいるのが佐田啓二なわけで、いつもの爽やかな好青年というイメージから一気に逆転して、どうにもこうにも煮え切らずうだつが上がらないキャラクターをジメっとした感じで上手に表現していました。佐田啓二本人は本当に気取らない気さくな人だったそうで、同時に早くからアメリカの映画産業の状況をマーケティングしていた勉強家だったそうです。本作出演の二年後にはNHKが初めて取り組む大河ドラマに出演を要請されて、松竹のトップスターだったにも関わらず出演を承諾していますが、それも映画がTVに押されて斜陽になってきているというアメリカの最新情報を把握していて、これからはTVドラマの時代になると先読みした結果でした。そんな佐田啓二ですから、本作では宣伝広告の素材にされてマスコミに祭り上げられ、ついには葬り去られる市井のサラリーマンをスターらしくないモゾモゾした演技で見事に造形していました。
その佐田啓二を映像的に表象していたのが昭和生命本社ビルに掲げられた大看板で、ピストルを突き付けた顔を大きく引き伸ばした写真看板が掲げられる場面は佐田啓二をCMキャラクターに起用したキャンペーンの規模の大きさを伝えます。そしてだんだんとそのCMキャラが虚像となって自分から離れて独り歩きしてしまう流れでは大看板を見上げるちっぽけな佐田啓二とコントラストが描かれますし、最後に佐田啓二がピストル自殺してしまうと大看板は作業員たちによってビルからはがされて地面に打ち捨てられてしまいます。言うなればこの大看板はセルフアイデンティティの象徴であって、佐田啓二演じる木口は自殺騒動で一度は世間に大きな影響を与える人物になるものの、やがては自分から乖離していき自己同一性を保てなくなるのです。その結果木口は再度ピストル自殺を演じなければならなくなって、それは木口のアイデンティティが崩壊することを意味するのでした。本作に秘められたテーマを表現するには大看板は最も効果的な道具だったといえるでしょう。
この看板が掲げられる昭和生命本社ビルのロケーション撮影で使われたのが東京千代田区の大和証券本社ビル。正確には大和呉服橋ビルで昭和31年に竣工したガラス張りの9階建てビルは、しばしば映画の撮影に使われていまして、東宝の植木等によるサラリーマンものや若大将シリーズでもよく登場していました。確か『ろくでなし』でも高千穂ひづるが通う会社に同じビルが使われていましたから、東宝に限らず映画各社がこぞってこのビルでロケ撮影を行っていたようです。大和証券が八重洲の高層ビルに移転した後には人材紹介会社のパソナが入居していましたが、現在は再開発されて38階建ての常盤橋タワーがそびえ立っています。
本作のムードを盛り上げているのは成島東一郎による白黒の映像でありまして、特に三上真一郎と芳村真理がバーのフロアでダンスを踊る場面はクールな雰囲気が出ていましたし、二人によるベッドシーンは抱き合った二人のショットをちょっとずつアングルやサイズを変えてディゾルヴを繰り返す手法で描かれていました。そこに二人が独白を言い合うような会話がかぶさり、ちょっと哲学的な感じが出ていましたね。またでっちあげ写真を撮影した三上真一郎がやくざにのされるロングショットはたぶん夢の島で撮影されたんだと思いますが、ゴミ集積場というよりは荒涼とした最果ての土地っぽく映っていて、ここも非常に印象に残るシーンになっていました。
途中で新聞記者だと名乗って佐田啓二の腕を刺して逃げる右翼の男が出てきました。併映の『日本の夜と霧』が公開4日目に上映中止になった経緯はいろいろな説があるのですが、公開日が昭和35年10月9日で、当時の社会党党首浅沼稲次郎が演説中に右翼青年山口二矢に刺殺されたのが10月12日のこと。上映4日目はちょうどこの刺殺事件の日にあたりますから、『日本の夜と霧』の上映中止に紛れて取り上げられていないものの、本作の右翼の男が話題の人物を刺すという描写ももしかしたら松竹側が問題視して、上映されていた二本ともに急遽中止されたのかもしれません。
芳村真理はキャリアウーマンが一般的でない時代にもかかわらず、自分の力で木口を思うままに動かしていく有能な女性にぴったりでしたし、岩崎加根子も木口が有名になるのを鬱々としながら傍観する覚めた妻役がハマっていましたね。芳村真理の上司役で戸浦六宏が出演していますが、大島渚の『太陽の墓場』で映画に初出演して本作が二作目の出演だったそうです。いつも通りに風采の上がらない役で出てくる織田政雄は本作が出演作の中でも一番登場時間が長いんではないでしょうか。織田政雄が同じような受け答えをする二度目の取材場面でしきりに質問する記者役で出ていたのが石井伊吉。あの「ウルトラマン」でアラシ隊員を演じるのは本作の6年後のことになります。(U122723)
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