隣の八重ちゃん(昭和9年)

松竹蒲田を代表する監督だった島津保次郎によるトーキー初期の恋愛喜劇です

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、島津保次郎監督の『隣の八重ちゃん』です。松竹蒲田の城戸四郎撮影所長は「映画の基本は救いでなければならない。見た人に失望を与えるようなことをしてはいけない」といういわゆる小市民映画を目指す蒲田調の基本線を方針としていました。その蒲田調を支えていたのが島津保次郎で、城戸四郎が最も信頼を置く監督だったといわれています。現在では「ホームドラマの元祖」とも呼ばれているこの『隣の八重ちゃん』は、トーキー初期に島津保次郎が放った傑作で、昭和9年度のキネマ旬報ベストテンで第二位に選ばれました。

【ご覧になる前に】お隣に住む家族の交流がユーモラスな会話で描かれます

庭でキャッチボールをしているのは恵太郎と精二の兄弟。甲子園を目指す精二のために帝大生の兄恵太郎は投球練習の相手をしているのですが、逸れたボールが隣家の窓ガラスを割ってしまいます。しかしそれは毎度のことで、娘の八重子はガラス屋が来るのを母親に任せて恵太郎といっしょに銭湯に出かけていきます。気軽に隣家にあがりこんだ恵太郎が八重子の母親から留守を任されると、八重子が友人を連れて帰って来て靴下の穴を繕ってもらうことに。八重子と恵太郎は旦那に妻は靴下をはかせるべきかどうかを気軽に話すのでしたが、そんなある晩の遅い時間に金沢へ嫁いでいた八重子の姉京子が突然に出戻りで帰ってきたのでした…。

松竹蒲田では昭和6年に五所平之助監督の『マダムと女房』で日本映画初のトーキー映画を公開して以降、大御所監督が順番にトーキーで新作を発表していきました。トーキーを最初に撮るのは自分だと勢い込んでいた島津保次郎は、先を越されたものの昭和7年の『上陸第一歩』で水谷八重子を主演にして初めてトーキーを発表したのですが作品的には失敗に終わりました。というのも「土橋式松竹フォーン」を発明した土橋兄弟の兄武夫が製作現場で同時録音の音質確保を最優先して采配をふるうために、監督を差し置いて現場全体を取り仕切っていたからで、島津保次郎はトーキーを撮りたくても自分の思うようにいかないジレンマに悩んでいました。そういう事情を察知した撮影所長の城戸四郎は、時代劇でもトーキーを作りたいという松竹下加茂撮影所の要望に応えて土橋武夫を京都へ長期派遣することにして、弟の土橋晴夫に蒲田を任せる一石二鳥の体制を作ります。録音技師にとやかく口出しされないようになった島津保次郎は、自分で書いた脚本を思い通りに演出して、松竹蒲田を代表するような恋愛喜劇の傑作が生まれることになったのです。

企画段階から大ヒットを予感した城戸四郎は主演の八重ちゃん役にどの女優をあてるかを悩んだそうで、松竹を代表する女優になっていた田中絹代ではビッグネーム過ぎるし、売り出し中だった桑野通子では美人過ぎて身近な感じがしないと、結果的には松竹歌劇団から入ってきたばかりの新人・逢初夢子を主役に抜擢することにしたのでした。その代わりに姉の京子役には日活から移籍して三十代になっていたベテランの岡田嘉子を配してバランスをとることになりました。

八重ちゃんの相手役を演じるのは大日方傳で、前年には小津安二郎監督の『出来ごころ』で坂本武の相棒役をやった俳優さんです。また八重ちゃんの友人悦子役で出てくる高杉早苗は本作で映画デビューしたのですが、四年後に歌舞伎役者の三代目市川段四郎と結婚して引退、三代目市川猿之助を産むことになります。一方でスタッフにも大物の名前がズラズラ出てきまして、助監督には豊田四郎と吉村公三郎が名を連ねていますし、撮影助手には木下恵介の名前も見つけることができます。

【ご覧になった後で】昭和9年の映画とは思えないほど会話が現代的でした

いかがでしたか?昭和9年は日本海大海戦の英雄東郷平八郎元帥が亡くなって日比谷公園で国葬が執り行われた年ということで、まだ明治の匂いも残る時期です。現在的に見れば大昔の範疇に入るような時代の映画なのですが、八重ちゃんと恵太郎が交わす会話のなんと現代的なことでしょうか。ほとんど今の時代に普通に会話しているのと変わらないような、少しだけのんびり感が強調されただけのセリフがリズムよく取り交わされます。会話の内容もごくごく日常的で「この靴下臭いわね、あぶら足だからよ」とか「おっぱい大きいわね、私なんかペチャンコよ」とかの松竹蒲田の小市民映画ならではの他愛のないセリフが、土橋式の同時録音技術で生き生きと再現されていました。

現実の生活そのままのセリフの一方で、セリフのないシチュエーションの描写もやや少女マンガ風ながらもコミカルで、かつセンシティブに表現されていました。八重子は恵太郎と二人で映画を見に行きたいのですが、恵太郎が精二と姉の京子を誘ってしまい、四人で出かけることになる場面。映画館の席につくとき八重子は当然自分の横に恵太郎が来るものと思って奥の座席に座るのですが、恵太郎の間に京子が来てしまいます。さらにカフェに入ってテーブルに座る際も精二の隣になってしまい、鶏鍋のお店では八重子は座敷のどこに誰が座るかを見極めたうえで、さっと恵太郎の隣の席を確保します。ここらへんはすべてセリフなしの動作とショットの組み合わせで表現されていまして、グループ交際のときに誰もが思い悩む「どうしたらあの人の横になれるか」という重大なテーゼを非常にヴィヴィッドに映像化していたと思います。

それもこれも逢初夢子の等身大の自然な演技が実に心地よいからで、観客としても大日方傳との恋愛をなんとか成就させてやりたいような気持ちになってきます。ちなみに恵太郎が悦子から似ているといわれるフレデリック・マーチはトーキー初期のパラマウントピクチャーズのスター男優で、『隣の八重ちゃん』が製作されているときに日本公開されていたのはエルンスト・ルビッチ監督の『生活の設計』あたりでしょうか。フレデリック・マーチとゲーリー・クーパーが美女をめぐって争うという恋愛喜劇だったそうなので、そんな背景もあってフレデリック・マーチの名前を取り上げたのかもしれません。

一方で岡田嘉子は本作の中ではただひとり新劇出身っぽい演技を見せていて、それがまた京子というキャラクターの少しズレたというか突飛なというか普通の主婦に収まりそうもない女性の生身の姿を表現していたようにも見えました。精二役の磯野秋雄という人は三井秀男なんかとともに「与太者トリオ」と呼ばれていたんだそうです。精二は東京の地方大会に優勝して甲子園に出場することになっていますが、前年の昭和8年には中京商対明石中が準決勝で対決して延長25回の大延長戦になりました。精二が甲子園に出場する展開も、恵太郎がフレデリック・マーチに似ているという設定も、当時の松竹蒲田が最新のトレンドを映画に取り入れた結果だと考えると、なんだか時流をとらえようと必死になっている姿が目に浮かんできて微笑ましいような気分になってきますね。

あとちょっと驚いたのが、隣の主人同士で酒を呑む場面の切り返し。なんと島津保次郎はここで視線の交わらない切り返しを行っています。いわゆるイマジナリーラインを無視した切り返しというやつで、小津安二郎論が語られる際に必ず出てくる小津独自のショットの組み立てです。あえて説明すると会話をしている二人の人物を映像的にカッティングで見せる際には、キャメラを三角形の頂点において右に見た絵と左に見た絵を交互に見せていくのが通常の切り返し手法です。二人の人物が交わす視線をキャメラが邪魔しないのでイマジナリーラインを守っているということになるんですね。ですが小津はこれを無視して、例えば二人の人物の顔の左側が手前に来る絵を続けてつないでいったのです。この独特のつなぎは小津調の特徴のうちのひとつと定義されていたのですが、なんと『隣の八重ちゃん』でも島津保次郎が使っているではありませんか。ローアングルではなく若干俯瞰気味で撮ってはいますが明らかに小津と同じ法則で切り返しをしています。昭和9年より以前からこの切り返し手法が完全に小津の手の内に入っていたかどうかまではよく知りませんけど、島津保次郎の映画で小津と同じような映画の基本ルールを無視したカッティングが行われていることは注目に値すると思います。ということで、映像テクニック的にも本作にはちょっとした発見がありました。(Y082922)

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