雪国(昭和40年)

川端康成の小説の二度目の映画化は松竹製作で岩下志麻・木村功の主演でした

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、大庭秀雄監督の『雪国』です。ノーベル文学賞を受賞した世界的作家である川端康成の代表的な小説「雪国」は東宝が昭和32年に映画化しましたが、本作は二度目の映画化作品となります。東宝版では池部良と岸恵子の主演でしたが、この松竹版では、島村を木村功が、そして駒子を岩下志麻が演じていると同時に、本作はフジカラーで撮影されていて、温泉街や雪景色が色鮮やかな映像で映しとられています。

【ご覧になる前に】脚本は斎藤良輔と監督の大庭秀雄が共同で書いています

新潟に近い湯村の温泉宿に着いた島村は、山を巡る旅の疲れから女中に芸者を呼んでくれと頼みます。島村の部屋に来たのは踊りの師匠の娘で、宿屋でお客相手の手伝いをしている十九歳の駒子でした。話が合うと思った途端、他の座敷に呼ばれた駒子は翌朝島村の部屋を訪れますが、そんな駒子に島村は女を世話してくれと言い、それは駒子とは友人でいたいからだと告げます。田舎芸者が来て結局は散歩に出かけた島村でしたが、真夜中に再び駒子が部屋に現れ、酔いつぶれそうな駒子を介抱しているうちに二人は閨を共するのでした…。

川端康成の小説「雪国」はひとつの長編として書き下ろされた作品ではなく、さまざまな雑誌に掲載された断片的な短編が後に章立てに編纂されて書き継がれたものでした。昭和12年に「雪国」の題名で出版されたものの、その後も続編のような断章が書き加えられて、現在の形になったのは昭和23年のことでした。主人公の駒子は、昭和9年から三年間くらい川端が訪れていた新潟県の越後湯沢温泉で出会った松栄という芸者がモデルになっていると言われています。貧農出身の松栄が長岡の芸者置屋に奉公として出されていた二十歳くらいの時期に、川端康成は湯沢温泉の高半旅館に逗留して宿の主人たちを相手に温泉や土地の習慣や宿と芸者の関係などについて話し込み、後に「雪国」として執筆される小説のネタを仕込んでいたことになります。

初めての映画化の際に東宝で脚色を担当した八住利雄でしたが、この松竹版では監督の大庭秀雄と松竹一筋の脚本家斎藤良輔が共同でシナリオを書いています。齋藤良輔は松竹蒲田撮影所の脚本部に入社して、清水宏の『風の中の子供』や小津安二郎の『風の中の牝鶏』、渋谷実の『自由学校』など松竹を代表する作品の脚本を書いてきました。田中絹代の二度目の監督作品『月は上りぬ』も斎藤良輔と小津安二郎の共同脚本でしたから、松竹の脚本家の中では別格的な存在だったんでしょう。そんな斎藤良輔も昭和33年以降は日活や東宝、大映の作品に脚本を提供していますので、どこかの時点でフリーになったのだと思われます。そんな大ベテラン斎藤良輔にとって本作は実はキャリア上最後の作品でして、150本以上のシナリオ歴は本作で打ち止めとなっています。

大庭秀雄は松竹大船撮影所で昭和14年に監督に昇進して以来、松竹ホームドラマの王道をいくようなキャリアを歩んだ大御所監督でした。中でも昭和28年から翌年にかけて監督した『君の名は』三部作は年間配給収入でダントツのトップとなる大ヒットを飛ばし、本社ビルを建て替えることができたくらいの莫大な利益を松竹にもたらしました。本作は大庭秀雄にとってはキャリア末期の仕事で、前後には『残菊物語』や『稲妻』などリメイク作品が並んでいますので、この『雪国』も二度目の映画化ということで大庭秀雄に監督のお役が回ってきたのかもしれません。

岩下志麻は本作出演時には二十四歳になっていまして、それでも十九歳という設定の駒子を演じる女優は当時の松竹では岩下志麻以外には考えられなかったことでしょう。昭和35年に小津安二郎監督の『秋日和』でデビューして以来、年間10本前後の松竹作品に出演させられていた岩下志麻は本作公開の翌年には監督の篠田正浩と結婚して独立プロダクション「表現社」を立ち上げていますので、松竹の言いなりになってあてがいぶちの役を演じるのに飽き飽きしていた頃だったかもしれません。実際に岩下志麻本人が『雪国』の駒子を演じたいと松竹に要望を出したんだそうで、松竹としては岩下志麻を退社させないためにも『雪国』のリメイクが実現化されたようです。

葉子を演じる加賀まりこは岩下志麻より二歳年下なだけで、本作の前年には日活で中平康監督の『月曜日のユカ』に主演してコケティッシュな魅力をスクリーンに焼き付けたばかりでした。本作の二ヶ月前に公開された篠田正浩監督の『美しさと哀しみと』は川端康成の小説の映画化作品で、完成版を見た川端康成が「主人公は加賀まりこのために書いたようだ」と嘆息をもらすほどだったとか。以来、加賀まりこは川端康成に気に入られ、本作の葉子役も川端康成からの要請による配役だった可能性があります。

一方島村役の木村功は戦後俳優座に所属していた頃に、黒澤明監督の『野良犬』で犯人役に抜擢され、『七人の侍』の勝四郎役を演じたことで映画界のトップスターの座を確保した人。それでも演劇への情熱を持ち続け、俳優座を脱退して岡田英治らとともに劇団青俳を立ち上げ、新劇の上演を続けました。本作出演時は四十二歳なので島村役を演じるには最適の年代だったと思われます。

【ご覧になった後で】滲んだようなカラー映像で温泉街の雰囲気が伝わります

いかがでしたか?リメイクということで、どうしても東宝版の『雪国』と比較して見てしまうのですが、東宝の豊田四郎版が幻想的で浮遊感のある不思議な魅力をもった作品だったのに比べると、この松竹版は写実的で登場人物の生身が感じられるようなテーストになっていました。悪く言えばやや世俗的というような感じで、齋藤篤とお座敷遊びをしながら着物が襦袢だけになる宴会の場面や穂積隆信演じるターさんが駒子に結婚の約束を反故にされて酔って怒る場面などは、芸者という稼業の辛さを垣間見せますし、東宝版では老眼鏡でその存在を暗示しただけの旦那も駒子が駅で見送るシーンが出てきます。まあ小津作品にチョイ役で出る菅原通済がやっているので下品にはならないものの、旦那本人を出す必要があったかどうかは疑問です。

踊りの師匠役の沢村貞子が「中気」だということで半身不随のような演技で出てくるのも映画的に見れば余計な感じがしますし、駒子の家の近くでは当時の日本酒かなんかの赤い鉄製看板が木造家屋に貼りつけてあるのをそのまま映していて、なぜ目立つ赤い看板を外さないのか気になってしまいました。そして木村功には悪いのですが、インテリジェンスや大人の悪さのようなものが感じられず、誠実で気弱そうな文筆家にしか見えないので、妻がいながら駒子と深い関係になるような島村をやるにはややミスキャストだったのではないかなと思ってしまいました。

それもあってラストの火事の場面でも木村功は何にも出来ずにまごまごしているだけの役立たずに見えてしまいますし、ここは繭蔵の二階をキャメラが寄りの画面でとらえるので、葉子が落下していくという絵がやっぱり火事の現場中継的に見えてしまいます。小説ではほぼ最終ページに書かれているこの場面はあきらかにロングショットのイメージで読ませる場面なので、ここは大庭秀雄の演出にズレ感が出ていたところでした。

脚本は東宝版との違いを出したかったのか、時制通りに書き換えられていて島村と駒子の初めての出会いの場面からスタートします。これはこれでわかりやすいのですが、そのせいで序盤を終わったあとにあの有名な「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」という木村功のナレーションが入る建てつけになってしまい、やや鼻白む感じでした。結果的に車窓に映る加賀まりこの顔が民家の灯りとかぶってそれが夜光虫のように見えるという場面の印象が薄くなっていましたし、東宝版ではしっかりと描かれていた「この指が覚えている」というエロいセリフもカットされてしまっていました。

しかしながら本作の一番の魅力はフジカラーによるカラー映像でした。『カルメン故郷に帰る』で国産初のカラー映画に採用されたフジカラーはその感度の悪さから太陽光撮影にしか適さず、その後の日本映画ではイーストマンカラーが採用されていました。日本映画なのにアメリカ産のフィルムを使っているというのはフジカラーにとっては屈辱以外の何物でもなかったでしょう。企業努力の末、夜間撮影にも耐えられる高感度フィルムの開発に成功し、やっと昭和40年前後になって日本の映画会社に採用されるようになったのです。

それでもやっぱりイーストマンカラーほどではないようで、この『雪国』も野沢温泉が全面的にロケーション撮影に協力した夜間撮影では光が滲むようにして映っています。でも本作はそのちょっと滲んだカラー映像が逆に駒子の心情を表現するような涙に浮かべながら光を見るときの滲んだ感じになっているんですよね。意図された効果ではなかったかもしれませんけど、東宝版が白黒作品だったので余計に滲んだカラー映像の印象が松竹版『雪国』を象徴しているように思えたのでした。

キャメラマンの成島東一郎は吉田喜重の『ろくでなし』で撮影技師として初めてクレジットされた人ですが、実は『カルメン故郷に帰る』では撮影助手として木下組についていた経験がありました。昭和37年には『秋津温泉』でキャメラマンにとって栄誉のある三浦賞を受賞していまして、昭和40年には松竹から独立してフリーになったという記録があります。成島東一郎のキャリアの最後を飾る作品は大島渚監督の『戦場のメリークリスマス』でしたから、本作はキャメラマンとしての成島東一郎の仕事を再確認できる作品と言ってもいいかもしれません。(T112423)

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