月は上りぬ(昭和30年)

坂根田鶴子に次いで日本映画で二人目の女性監督となった田中絹代の二作目

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、田中絹代監督の『月は上りぬ』です。戦後まもない時期に渡米し帰国後バッシングを浴びた田中絹代は、溝口健二監督作品によって見事にカムバックに成功します。溝口の『雨月物語』に出演した昭和28年、成瀬巳喜男監督のもとで見習いをして監督業の基本を学んだ田中絹代は、同年『恋文』で監督デビュー。日本映画における初の女性監督は戦前の坂根田鶴子という人だそうで、田中絹代はその坂根田鶴子に次いで、日本映画では二番目の女性監督となりました。本作は、監督デビュー二年後の昭和30年に製作された田中絹代の監督第二作となります。

【ご覧になる前に】小津安二郎が脚本に参加しているので、やや「小津調」

浅井家は戦時中に東京麹町から奈良に疎開し、戦後もそのまま奈良で暮らしています。母は亡くなり、父と三人の娘が同居していますが、長女の亡くなった夫の弟・昌二が近所のお寺に下宿しているところへ、友人の雨宮が訪ねてきました。三女節子はその雨宮を見て、次女綾子の結婚相手にぴったりだと思うのですが…。

田中絹代監督第一作の『恋文』は木下恵介脚本でしたが、本作は小津安二郎と斎藤良輔の共同脚本で、この二人は田中絹代が主演した小津の映画『風の中の牝鶏』を書いたコンビです。脚本に小津が参加していることもあって、『月は上りぬ』は見事に「小津調」の映画になっています。例えば、母親の不在や父と娘たちなどの家族構成、あるいは見合いを断って好きな人との結婚を選ぶという展開などは、小津映画に非常に似ています。まあ小津が脚本を書いているのだから当たり前ですよね。

最初の監督作品では、成瀬巳喜男を頼った田中絹代でしたが、本作は小津安二郎の後押しがあって完成しました。この映画が製作される二年前の昭和28年、日本映画ではいわゆる五社協定が締結されて、大手映画会社五社(松竹・東宝・大映・東映・新東宝)においては、専属監督・俳優を引き抜いたり、貸し借りしたりしないという約束がなされていました。ところが『月は上りぬ』を製作した日活は、製作活動を再開したばかりで五社協定に加盟していませんでした。当時の五社協定を推し進めていたのが、日本映画監督協会理事長だった溝口健二。溝口は立場上からも田中絹代が日活で映画を撮るのを反対したといいます。それをとりなして田中の映画づくりをサポートしたのが小津安二郎でした。溝口健二は田中絹代が監督業に進出することにも難色を示していて、本作以降、溝口と田中絹代の関係は悪化。一時は、田中絹代と結婚するという噂もあった溝口健二でしたが、田中絹代は溝口の死の直前にお見舞いに行くまで溝口と会うことはなかったそうです。

三人姉妹の中でも実質的な主役は三女節子を演じた北原三枝。節子は二十一歳の設定ですが、北原三枝もこのとき二十二歳。まさに若さの絶頂期で、三人の中でひとりだけ洋装なのもありますが、スタイルも抜群でずば抜けた存在感を見せてくれます。本作の翌年には『狂った果実』で石原裕次郎と共演して恋に落ちるのですが、裕次郎と結婚して女優を引退したのは映画界にとっては残念なことでした。その相手役、安井昌二はこの映画の役名をそのまま芸名にした新人でした。この人もやはり翌年に市川崑監督の『ビルマの竪琴』で主人公水島上等兵を演じて日本映画史に名を残すことになります。本作では水島上等兵の雰囲気は微塵もなく、どちらかといえば松竹の高橋貞二に似た感じです。北原三枝と安井昌二の二人は、企画段階では久我美子と高橋貞二を起用する予定だったそうですが、松竹の反対にあい、日活所属の俳優で進めることで決着がつきました。道理で安井昌二が高橋貞二っぽいはずです。そのほかは、小津映画の常連である笠智衆と佐野周二が脇を固めて、『青い山脈』の杉葉子が次女綾子を演じています。

【ご覧になった後で】監督ではなく女優田中絹代の「よねや」が最高でした!

いかがでしたか?もう最高に笑ってしまうのは、女優田中絹代が演じたお手伝いさんの「よねや」。節子から綾子に嘘の電話をかけるのを指導される場面は、本作の中の一番の見ものでしたね。小田切みき(『生きる』で志村喬に生きがいを見つけさせるあの職員です)の「ふみや」も節子に言われて綾子に偽の伝言をするのですが、そのふみやに比べて田中絹代のよねやの巧いことと言ったらもう比較になりません。監督自らが出演者の前でああいう演技をしてしまうと、他の俳優はやりにくいでしょうね。なにしろ監督が一番の名優なのですから。なので、よねやの場面は最高でありながらも、本作にとっての弱点でもあったかもしれません。

小津安二郎のサポートを受けただけあって、冒頭の法隆寺と東大寺を映したスティルショットから始まって謡曲の場面までセリフはないのにまさに小津映画的な映像で、そのそっくりさんぶりにびっくりします。シーンのつなぎめのインサートショットや、無人の部屋にトラックアップするキャメラなど、まさに小津調を感じさせます。けれども田中絹代監督も真似だけでは終わっていません。特に昌二が節子に結婚を申し込む、というか言い渡す場面。セリフ自体はいつもの小津映画に似ていますが、節子が思わず昌二に抱きつき、その節子の表情や昌二を抱きしめる腕をクローズアップするあたりに、女性の感性を生かした恋愛感情表現が映像化されていたと思います。あの画面からは女の吐息のようなものが発せられていましたし、そういう肉感的な表現力は小津映画では決して見ることはできませんでした。奈良の遠景ショットのパンが早すぎるとか、俳優の動作のつながりが悪いところが散見されるとか、スタッフの技術力の低さによる欠点はいくつかありましたが、田中絹代監督の自己主張はしっかりと伝わってくる映画ではあります。

しかし、登場人物の感情への密接感とは逆に、決定的に欠落しているのが、舞台設定の立体感です。具体的には、浅井家と寺の地理的位置関係が全く示されていないので、観客が混乱してしまうのです。例えば冒頭の謡曲の場面はお寺の庫裏という設定なのでしょうが、浅井家の広間だと勘違いしても不思議ではありません。そうすると昌二が借りている部屋が寺なのか浅井家の一角なのかがわかりません。セリフでは昌二は長女千鶴の亡くなった夫の弟、すなわち義弟だと示されるので浅井家にいてもおかしくはない立場ですので、余計に昌二がどこにいるかが明確になりません。さらに節子があまりに頻繁に昌二の部屋にいるので、浅井家とお寺はほとんど一体になって、同居しているかのように見えてしまうのです。もちろん小津映画であればそんなことは絶対に起こりえませんし、ひとつの家の中で、部屋と廊下がどういう構造でつながっているのかまでわかりやすく映像化されます。残念ながら本作での浅井家の家の構造はさっぱりわかりません。わかるといえば、浅井家から二月堂まではよねやが走って行かれるくらい近いところにあるということくらいでしょうか。場面設定の位置関係を映像で伝えるのは、演出の基本ですので、本作がかなり面白い映画であるにもかかわらずキネマ旬報のベストテンにランクインされなかったのは、こうした基礎の欠落がひとつの要因だったのでしょう。(A111321)

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