拝啓天皇陛下様(昭和38年)

渥美清がカタカナしか読み書きできない一兵卒を演じた軍隊喜劇の傑作です

《大船シネマおススメ映画 おススメ度★》

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、野村芳太郎監督の『拝啓天皇陛下様』です。浅草出身の渥美清はNHKの「夢であいましょう」に出演して人気コメディアンとなって映画にも主演するようになりました。本作は渥美清が主演した三番目の作品で、野村芳太郎監督によって渥美清の個性が存分に発揮された傑作喜劇となりました。この映画を見たフジテレビのスタッフが渥美清演じる「ヤマショウ」にヒントを得て、TVシリーズの「男はつらいよ」を発想したという話もあるそうで、渥美清にとって大きなターニングポイントとなったのでした。

【ご覧になる前に】原作を書いた棟田博が映画では語り手の棟本になります

昭和7年に岡山の歩兵連隊に入隊する初年兵の中に自分の名前を漢字で書けない山田正助がいました。最初に言葉を交わした棟本は正助のことをヤマショウと呼んで、盗まれた軍帽を盗み返したりしてなにかと世話を焼きます。上官の原が除隊するときにしごきの仕返しをすることになった正助は本気で原を殴ることもできずに二年兵になります。あるとき門限を破り重営倉送りになった正助は中隊長の座禅に付き合わされますが、中隊長は読み書きができない正助のために教師だった初年兵の垣内を教育係に任命し、毎晩中隊長の部屋で正助は小学校の読み書きの基本から教わるのでした…。

原作を書いた棟田博は早稲田大学国文科を中退して故郷の岡山に戻り、岡山歩兵連隊に入隊しました。二度目の応召の際に中国戦線に従事したのちに除隊となり、そのときの体験を小説にして出版した「分隊長の手記」がベストセラーとなります。太平洋戦争が始まると戦記物を専門とした作家活動を盛んに行ったのちにジャワ、ビルマを従軍記者として転戦しますが、終戦後は戦犯作家的に見られたこともあり児童向けの書き物で糊口をしのぐ生活となりました。しかし昭和30年に発表した「サイパンから来た列車」が評判となり、昭和初期のわりとのんびりとした軍隊生活を描くスタイルが新鮮に受け止められるようになります。この「拝啓天皇陛下様」が週刊現代に連載されたのは昭和37年ですから、掲載されるとすぐに松竹が映画化権を獲得したものと思われます。

その原作を野村芳太郎と多賀祥介の二人が共同で脚色していまして、多賀祥介は野村芳太郎が本作の前年に監督した『左ききの狙撃者 東京湾』という作品で、松山善三とともに脚本を書いた経験があるだけの新人でした。多賀祥介は脚本作品はほとんど残していませんが、のちにATG作品のプロデューサーとして活躍することになり、『祭りの準備』『青春の殺人者』『ピポクラテスたち』などで企画を担当しますし、大林宣彦の代表作『転校生』ではプロデューサーをつとめています。

野村芳太郎は松竹蒲田の所長もつとめた野村芳亭の息子で、慶應義塾大学を卒業すると当然のように松竹に入社しました。助監督時代に黒澤明が松竹で撮った『白痴』にチーフ助監督でついたときに、本編をカットするしないで松竹と大モメした黒澤明が「でも松竹には日本一の助監督がいた」と野村芳太郎の働きぶりを賞賛したというのは有名な話です。もちろん野村芳太郎が優秀だったのは事実でしょうけど、小林正樹の話を聞くとどうやらプロデューサーシステムで映画を作っていた東宝では分業化が進んでいて助監督はまさしく監督の補佐しかやらなかったのに対して、監督主義をとっていた松竹では、助監督が予算管理やスケジュール管理をすべて仕切らなければならず、東宝でいう製作主任や記録の仕事も全部助監督の職掌範囲だったようで、黒澤明は松竹の助監督がやる仕事の広さに驚いていたのかもしれません。

そして主演の渥美清は昭和37年に『あいつばかりが何故もてる』という作品で映画初主演をしたばかりの頃でした。本作の直前に中村登監督の『つむじ風』という6巻ものの中編にも主演していますから、本作は渥美清の主演第三作にあたるわけです。当時のTVでの活躍や映画での脇役出演などについては全く知らないのでなんとも言えませんが、結果的にこの『拝啓天皇陛下様』でのヤマショウ役が注目されて、渥美清は映画俳優として大きな飛躍をとげることになるのでした。

【ご覧になった後で】ヤマショウというキャラが渥美清の原点のようでした

いかがでしたか?本作を見るとのちに「男はつらいよシリーズ」で車寅次郎を演じる渥美清の原点がここに詰まっているように感じられます。ヤマショウというキャラクターは教育を受けていないために粗野で幼稚な面倒くさい人のように見えますが、心根が清らかで実直ないい奴なのです。善悪の判断がつかないことが多いので社会的ルールに外れたことをしてしまうけれど、それは別の見方をすれば自分の気持ちに正直に行動しているだけだったりします。まさに「男はつらいよシリーズ」の車寅次郎そのものではありませんか。渥美清は昭和38年の時点で野村芳太郎によっていかにも渥美清にしか表現できないキャラクターを与えられていたわけで、山田洋次監督は本作をもとに変奏曲的に「男はつらいよ」を作ったのかもしれません。

このヤマショウのキャラクターはもちろん渥美清の存在感そのものと演技力というか喜劇味で創造されたものですが、野村芳太郎のオーセンティックな演出がヤマショウに微妙なペーソスを与えていたのも見逃せません。野村芳太郎はヤマショウの独特なキャラを浮き立たせるというか浮かせるためにロングショットを多用するんですよね。除隊が決まって棟本と別れて女郎宿のほうへ去っていくヤマショウはロングショットの向こうの方へと小さくなっていき、二度三度振り返っては棟本に手を振ります。九州の炭鉱の集会場でいきなり拍手喝采を要求するヤマショウは多くの炭鉱夫の中に埋もれたひとりにしか見えないくらいの引きのショットで登場しますし、日光の開拓団ではるか向こうから走ってくるヤマショウが棟本と抱き合うのも超ロングショットでとらえられます。

このように本作の中ではキャメラはヤマショウにクローズアップやバストショットで近づいたりすることは少なく、常にあるシチュエーションの中でどのようにヤマショウが振舞うかを客観的に映像化しているのです。中国戦線で戦死した同僚を荼毘に付しているところに近づいて「天皇陛下万歳を言う時間はあったんだな」と詰め寄るところもすべて引きの絵で事態が進んでいきます。野村芳太郎としては、本作はヤマショウ個人を描く作品ではなく、軍隊を三度の飯を食わせてくれる天国だと思うような無知で気楽なヤマショウが戦争や戦後の混乱に振り回されながらも自分らしく生きていく姿を通して、庶民から見た戦中戦後史を表現しようとしたのではないでしょうか。ヤマショウの点景はそのまま多くの日本人が経験した戦時体験を普通の感覚で呼び起こすものだったのかもしれません。

そして渥美清の演技を受けに回って見事に引き立てていたのが長門裕之でした。子役時代から映画界に入り日活では太陽族映画で頭角を現していた長門裕之は、本作の前年に日活を退社してフリーになって活動していましたから、松竹で吉田喜重監督の『秋津温泉』に出たり本作の翌年からは東映で「日本侠客伝シリーズ」の脇で出演したりするようになる時期です。しかしそういった出演作品を概観してもどうも長門裕之は俳優としてのポジショニングがはっきりせず、主演としても脇役としても中途半端な印象しかありません。けれど本作の長門裕之は渥美清の受けに回ったことが奏功していて、その中途半端が逆に渥美清の圧倒的な存在感と不思議に噛み合っていて、絶妙なコンビネーションを展開しているように思えます。渥美清がいなければ長門裕之はいつも通りの「帯に短し」だったでしょうし、逆に長門裕之がいなかったら渥美清は手に余って鬱陶しいくらいの過剰なキャラに感じられたでしょう。この二人を組ませたのも本作の大きな成功要因だったと思います。

そして脇もみんなうまかったですね。軍隊時代の桂小金治や西村晃は日活の川島雄三っぽい軽妙さをこの映画に持ち込んでいましたし、中隊長の加藤嘉や教育係の藤山寛美もぴったりの役をこなしていました。女優陣も長門裕之の妻の左幸子と結婚話を断る高千穂ひづるの対決シーンに見応えがありましたし、狂ってしまう多々良純に取りすがる小田切みきや最後に渥美清を見送る中村メイコなど、戦中戦後の運命の中で生きる女性の健気さが出ていたと思います。そういえば新聞で事故死のことを伝えた後で、時制を戻してその夜を描くエンディングも本作のプロットづくりが確かだったことを証明していました。あと蛇足ですが、ヤマショウが軍事演習を行啓する昭和天皇を見ていっぺんにファンになってしまう場面。顔は遠景でしか映らないのでよく見えませんが、天皇を演じたのは作曲家の浜口庫之助だったそうです。馬にまたがる姿はなんとなく昭和天皇に似ていたような気がして、そういう点でもキャメラマンの川又昂はロングショットを生かした本作に欠かせない仕事をしたといえるでしょう。(U081223)

コメント

  1. gavardini より:

    よのきち様

    こんにちは。
    圧巻のご解説、邦画トリビアの数々、堪能いたしました。
    渥美清、長門裕之、西村晃、加藤嘉、藤山寛美、左幸子、多々良純、小田切みき、中村メイコ・・・
    なんと素晴らしい名優たちの集結!

    プロデューサー~監督~助監督システムにまつわる東宝と松竹の違いも興味深く拝読。
    考えてみれば、
    山本嘉次郎→黒澤明→野村芳太郎→山田洋次
    という系譜が成立していなくもないのですね。
    そして当然ながら野村芳亭→野村芳太郎という極太ラインも存在し、野村芳太郎は家庭的抒情映画の松竹にスタイリッシュな東宝のエッセンスが注入された筋金入りの名職人監督と言えるのかも。

    その野村芳太郎監督の『張込み』(1958)
    これが貴館で上映される日を待ちわびております。
    さらには『男はつらいよ』シリーズからの名作ピックアップを。

  2. yonokichi より:

    gavardini様
    ご来館誠にありがとうございます。過分なコメントをいただき恐縮しております。
    『張込み』は大船シネマを始める前に見て、国鉄で西へと移動する導入部がカッコよかったなと記憶しております。『男はつらいよ』は35作目まで見たのですが、それ以上見るのがツラくなり断念しました。いつか初期の名作について架空上映したいと思います。

  3. gavardini より:

    よのきち様こんにちは。
    ご返信ありがとうございます。

    『張込み』の長い導入部が終わって11分過ぎ、タイトルが現れる瞬間、恍惚状態に陥る私です (笑
    この夜行列車には高峰秀子も同乗されており、松竹撮影スタッフ&キャストの大移動でもあった由。

    >『男はつらいよ』は35作目まで見たのですが、それ以上見るのがツラくなり断念しました。

    シリーズの名作は初期~中期の、それもお盆公開作に多いのですね(12月公開の『寅次郎恋歌』を例外として)。

    (このコメントへのご返信は不要でございます)

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