昭和二十年以前

十字路(昭和3年)

『狂った一頁』に続いて衣笠貞之助が松竹京都撮影所で作ったのがこの『十字路』で、映画が完成すると衣笠は松竹を辞めてロシアを経由してヨーロッパに渡り、本作を「ヨシワラの影」という題名にして公開することになりました。
昭和二十年以前

生きてゐる孫六(昭和18年)

昭和18年7月公開の松竹映画『花咲く港』でデビューを果たした木下恵介の監督第二作で、同年11月に公開されました。脚本も木下恵介のオリジナルで、名刀「関の孫六」をモチーフにしながら因習に縛られる地方の村での騒動を喜劇的に描いています。
日本映画

大冒険(昭和40年)

ハナ肇とクレージーキャッツは、昭和37年の『ニッポン無責任時代』を皮切りにして東宝で映画出演を続けました。本作は「クレージー作戦シリーズ」の中の一本で、クレージーキャッツが結成されて10周年を迎えた昭和40年秋に公開され大ヒットを記録しました。
外国映画

オーメン(1976年)

『エクソシスト』が記録的な大ヒットとなり、1970年代のハリウッドはオカルト映画やホラー映画がブームになりました。この『オーメン』もそのブームを代表する作品のひとつで、グレゴリー・ペックを主演に起用したことでB級っぽくない仕上がりになりました。
1940年代

殺人幻想曲(1948年)

ブロードウェイ出身で都会派コメディを得意としたレックス・ハリソンが著名なオーケストラの指揮者に扮して、公演旅行で不在中に年の離れた若い妻が浮気をしたのではないかと疑い、どうやって復讐しようかと妄想するスリラー喜劇になっています。
1940年以前

大いなる幻影(1937年)

ジャン・ルノワールが兵士の真実の姿を描こうと立てた企画は三年間お蔵入りしていましたが、突然実現の見通しがつくことになり撮影が完了した『ピクニック』の編集を投げ出したジャン・ルノワールは本作の製作にかかりきりになりました。
1940年以前

激怒(1936年)

フリッツ・ラングはユダヤ系オーストリア人で、ナチスドイツによる迫害の対象となることをおそれ、ドイツを脱出してパリに滞在後、アメリカに渡りました。本作はフリッツ・ラングがハリウッドのMGMで初めてメガホンをとった作品です。
1940年以前

M(1931年)

サイレント時代からドイツで監督として活躍していたフリッツ・ラングにとっての初めてのトーキー作品で、デュッセルドルフで起こった少女連続殺人事件をモチーフにしてラングと妻テア・フォン・ハルボウが脚本を書きました。
外国映画

軽蔑(1963年)

『勝手にしやがれ』でヌーヴェル・ヴァーグの一番最後に映画監督デビューを果たしたゴダールは、結婚したアンナ・カリーナを主演にした作品を発表していましたが、本作では当時の世界的女優ブリジット・バルドーが主演に起用されています。
日本映画

処刑の島(昭和41年)

松竹に入社して『恋の片道切符』で監督に昇進した篠田正浩はその5年後の昭和40年に松竹を退社しました。本作は退社後初となる監督作品で、武田泰淳の原作を石原慎太郎が脚色したシナリオを映画化しています。
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