アイラ・レヴィンの原作をロマン・ポランスキーが脚色・監督したホラー映画
こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、ロマン・ポランスキー監督の『ローズマリーの赤ちゃん』です。原作は「ブラジルから来た少年」など多くのサスペンス小説を書いたアイラ・レヴィンの代表作で、パラマウントピクチャーズは映画化する際にロマン・ポランスキーに監督をさせることにしました。原作を気に入ったポランスキーは自ら脚色も担当して、ホラー映画史に残る傑作を完成させたのです。悪魔をテーマにしているにも関わらず、本作は大ヒットを記録して、1968年の全米興行収入で8位のランクインしています。
【ご覧になる前に】ミア・ファローはフランク・シナトラとの離婚直後の出演
ニューヨークの古いアパートに案内された売れない役者ガイと新妻ローズマリーの二人は、クラシカルな居間が気に入り入居を決めます。ストックルームがチェストで塞がれていた部屋は、ローズマリーがすべて内装を変えて見違えるように明るくなりました。地下のクリーニング室で隣室に住むテリーという女性と知り合いになったローズマリーは、麻薬中毒だったテリーがカスタベット老夫妻に引き取られたという過去を知ります。ある晩外出から帰宅するとアパートの前に人だかりがしていて、見ると血まみれのテリーが死んでいました。8階の部屋から飛び降りたんだろうと警察が話すところに、カスタベット夫妻が帰ってきたのでしたが…。
アイラ・レヴィンは陸軍除隊後に舞台の戯曲やTVの台本を書いていましたが、1954年に発表した「死の接吻」でエドガー賞を受賞し小説家として注目されます。1956年に『赤い崖』のタイトルでロバート・ワグナー主演で映画化され、その後も小説や脚本を書きますが、アイラ・レヴィンの名を一躍有名にした小説が、1967年に出版された「ローズマリーの赤ちゃん」でした。悪魔を扱ったその内容は、後のホラー小説や映画に大きく影響を与えたと言われています。アイラ・レヴィンは、妻がロボットにされる「ステップフォードの妻たち」、ヒトラーのクローン少年が量産される「ブラジルから来た少年」、瓜二つの女性が主人公の「硝子の塔」など、映画化される小説を次々に発表して、2007年に七十八歳で亡くなりました。
本作の映画化権を入手したウィリアム・キャッスルは、1950年代からB級ホラー映画を監督していた人。60年代に入ると製作も担当するようになったキャッスルは、本作の企画をパラマウント映画に持ち込みます。当時のパラマウント映画は、製造業と資源採掘を主業としながらエンターテイメント業界に進出したガルフ&ウェスタン社に買収されたものの、興行的失敗を繰り返していた時期。そこで20世紀フォックスのプロデューサーだったロバート・エヴァンスを製作担当副社長として引き抜き、巻き返しを図ります。それまでホラー映画は田舎町を舞台にしたものがほとんどで、都市型ホラーとしてのヒットを見込んだロバート・エヴァンスは、ウィリアム・キャッスルが監督をしないことを条件に製作にゴーサインを出したのです。
ナチスドイツのホロコーストを逃れたロマン・ポランスキーは、『水の中のナイフ』で長編映画監督デビューを果たした後、イギリスに渡って監督した『反撥』『袋小路』がベルリン国際映画祭で審査員特別賞・グランプリを受賞します。ホラー映画のパロディ『吸血鬼』を発表すると、ロバート・エヴァンスから後に『白銀のレーサー』として映画化される原作の監督を依頼されますが、代案として提示されたアイラ・レヴィンの小説を選択し、ハリウッド移住を決意します。一説には、ロバート・エヴァンスは、スポーツものを撮りたいというポランスキーをスキー小説で誘い出し、初めから本作の監督をさせるつもりだったらしいですが、定かではありません。
TVドラマで女優デビューしたミア・ファローは、1966年にフランク・シナトラと結婚したことで話題を呼びました。なにしろ五十歳だったシナトラが二十一歳のミア・ファローと結婚したんですから、当時の「年の差婚」記録だったのではないでしょうか。しかし親娘ほども世代の違う二人の仲は長続きせず、シナトラが反対する中で本作に出演したミア・ファローは、撮影中にシナトラから要求されて離婚届けにサインします。実はシナトラの元に戻ろうかと迷っていたミア・ファローをロバート・エヴァンスが「この映画でオスカーが取れる」と言って引き留めたんだそうです。結果的にミア・ファローはノミネートもされず、ミニー・カスタベットを演じたルース・ゴードンがアカデミー賞助演女優賞を獲得したのでした。
【ご覧になった後で】じわじわと悪魔崇拝者に包囲される過程が効果的でした
いかがでしたか?新居に住み始めた夫妻がアパートの悪魔崇拝者たちに徐々に浸食され悪魔の子を出産させられる過程が、ねっとりと恐ろしく描かれていましたね。普通の生活に隣人との煩わしい付き合いがきっかけになって不愉快な違和感に染められていくというサスペンスと悪魔崇拝者たちの究極の陰謀がからまるホラーの両面が、巧妙に絡まり合うように作られていて、じわじわと怖さが伝わってくるのが実に効果的でした。原作を読んでいないのでわかりませんが、アイラ・レヴィンはここまで原作を忠実に映画化した作品はないとコメントしていたようなので、この怖さは小説が元々もっていたもので、それを素直に映画化したことが成功の要因なのかもしれません。
その意味でいえば、ハリウッドでの初仕事になったロマン・ポランスキーが、脚色とは原作をいかように改作してもよいというハリウッドの常識に染まっていなかったことが勝因につながったわけで、生真面目にアイラ・レヴィンの小説を映画に移し替える作業に徹したことが逆に奏功したといえるでしょう。とはいってもポランスキーが完成させたオリジナル版は上映時間が4時間を超えていて、原作に忠実なあまり大変な長尺になってしまっていたそうです。ポランスキーはそれ以上縮めることができず、結果的に編集のサム・オスティンが2時間16分にまとめたのも、本作の完成度に寄与しました。サム・オスティンはTVドラマになった本作の続編を監督することになります。
もちろんロマン・ポランスキーが脚色だけで貢献したわけではなく、長回しを多用して俳優たちの演技のテンションを引き出したことで、キャラクターの存在感を観客にリアルに伝える効果がありました。ミニーが作ったムースを食べるシーンや公衆電話でヒル医師に連絡を取ろうとするところ、ストックルームを抜けて悪魔崇拝者が集まるカスタベットの部屋に入るショットなど、どれも観客の気持ちがローズマリーと一体化するようなサスペンスを生んでいました。またローズマリーが見るヨットの上の夢や悪魔にレイプされる半覚半睡の場面なども、シュールな演出が印象的でしたね。
そしてミア・ファローの演技は、演技をしていないと思わせるくらいにナチュラルで、特にヴィダルサスーンのサロンで髪を切ってきたという後半部のミア・ファローの気持ちの揺らぎは、観客を巻き込みながらカスタベット夫妻やサプスティン医師を疑ったり信じたりする行ったり来たりの感情の起伏を表現していて秀逸でしたね。メイクアップの効果もあり、悪魔の子を孕んだ痛みや苦しみが伝わってきて、チベットへ旅に出るというカスタベット夫妻を見送る展開になると、ミア・ファローと一緒にホッとするような気持ちになってしまいました。まあ実は旅になんて出てないわけですけど。
ジョン・カサヴェテスは、監督デビュー作『アメリカの影』(1959年)で知られるように即興的な演出に傾倒した人でしたから、すべてを自分の計算通りに仕上げようとする完璧主義のポランスキーとは、ソリが合わなかったようです。カサヴェテス演じるガイは、最初のディナー招待後すぐにカスタベット夫妻に取り込まれているという設定です。競争相手の役者が失明したという電話を受けた後の「散歩してくる」とローズマリーの親代わりだったハッチ(本作でただ一人信頼できるモーリス・エヴァンスは『猿の惑星』のザイアス博士をやった人です)が手袋を失くして去った後に「アイスクリームを買ってくる」は、両方ともそのままカスタベット宅に直行していて、隣室のチャイムがかすかに聞こえる設定になっていたそうですが、そこまでは気づきませんでした。
タイトルバックとエンディングに空撮で登場するアパートの外観は、ジョン・レノンがヨーコとともに住んでいたダコタハウスです。序盤で8階から落下したテリーが死んでいる現場は、まさに1980年12月にジョン・レノンが暗殺された場所でもあったんですね。でも、テリーの死が謎のまま回収されなかったのは、4時間バージョンから短縮されたせいでしょうか。前の住人がストックルームをチェストで塞いだわけも明かされませんでしたが、まあストーリー上、解決されないままのほうが不安感が増したかもしれないので、あまり細かい点は追及しないようにしましょう。
物語はカスタベット夫妻の部屋に集合した悪魔崇拝者たちに見守られてローズマリーが悪魔の子を育てる決意を示したところで終わります。そんな本作は、本当に呪われた作品になってしまったようで、プロデューサーのウィリアム・キャッスルは、本作完成後腎不全となり隠遁生活を余儀なくされ、『水の中のナイフ』以来ポランスキー作品の音楽を担当してきたクシシュトフ・コメダは、公開翌年に事故死しています。そしてポランスキーの子を妊娠していたシャロン・テートは、1969年にチャールズ・マンソンの信奉者によって胎児もろとも惨殺されました。
ローズマリーの出産日は6月28日であると繰り返し登場人物たちが口にします。カスタベットの部屋でニューイヤーパーティが開かれるときに新年が1966年であることが示されますので、ローズマリーは1966年6月に悪魔の子を産む設定になっています。すなわちそれは「666」という数字を表現していて、「666」は新約聖書のヨハネの黙示録に「獣の数字」として記述され、神と敵対する悪魔を表していると言われています。もちろんこれはアイラ・レヴィンの小説に出てくる設定で、『オーメン』などのホラー映画ブームにつながっていくことになることを考えると、アイラ・レヴィンはなんとも不吉な小説を世に出してしまったといえるのかもしれません。(V092824)
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