雁(昭和28年)

森鴎外の小説を豊田四郎が高峰秀子主演で映画化した文芸作品です

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、豊田四郎監督の『雁』です。明治の文豪森鷗外が大正4年に刊行した小説がもとになっていまして、豊田四郎が監督をつとめています。松竹蒲田出身の豊田四郎は監督としては基本的に東宝で映画を撮っていた人ですが、本作と翌年の有島武郎原作による『或る女』の二本だけはなぜか大映で製作されました。昭和28年のキネマ旬報ベストテンで第八位にランクされたことで、豊田四郎は文芸作品の映画化を自らの得意領域にしていくようになり、織田作之助の『夫婦善哉』、川端康成の『雪国』、志賀直哉の『暗夜行路』、永井荷風の『濹東奇譚』などが豊田四郎によって映像化されたのでした。

【ご覧になる前に】東大鉄門から不忍池に下る無縁坂が舞台となります

飴売りの父親と二人で貧しく暮らすお玉のところに世話焼きのおさん婆さんが縁談の話を持ちかけます。相手は浜町で呉服屋を営み妻に先立たれた旦那だという触れ込みで、料亭で見合いをさせられたお玉は湯島の無縁坂の一軒家に住まうことになり、その近所には父親用の貸家を与えられました。しかし旦那の職業はその界隈でも評判の悪い高利貸しで、そのうえ妻子もあり、お玉は妾として囲われただけだと気づいたのでした…。

森鷗外の小説は時代が明治から大正に変わる時期に雑誌「スバル」に連載されたもの。森鷗外といえば『舞姫』が有名ですが、『雁』は森鷗外にとっては比較的後期の作品で、陸軍における軍医のトップに相当する陸軍省医務局長のポストに就いていたときに書かれました。森鷗外は早い時期から樋口一葉や与謝野晶子、平塚らいてうなどの女流作家を高く評価していて、女性を主人公にした小説も多く書いていましたので、『雁』もそのうちのひとつに位置づけられる著作になっています。

脚色したのは松竹から大映に移った成澤昌茂。溝口健二に師事し『噂の女』や『新・平家物語』『赤線地帯』など溝口の後期作品を支えた脚本家でした。本作はそうしたキャリアに至る前の仕事で、文芸作品から時代劇まで幅広いジャンルでシナリオを書いていた時期のものです。

高峰秀子演じるお玉の住まいがあるのは東京湯島の無縁坂。東京大学医学部の裏手にある鉄門から不忍池方面に下る坂は、江戸時代に無縁寺があったことから無縁坂と呼ばれるようになりました。医学部の学生を芥川比呂志が演じており、医学部の鉄門を出て無縁坂を散歩しながら不忍池横にある寮に帰るという設定になっています。

撮影を担当したのは三浦光雄で、サイレント映画時代からの撮影技師だった人です。山本嘉次郎や五所平之助などの監督と一緒に仕事をしたのちに豊田四郎監督作品でキャメラを回すようになり、本作以降も『夫婦善哉』『白夫人の妖恋』『猫と庄三と二人のをんな』で撮影を担当しています。昭和31年に五十三歳の若さで亡くなっていまして、日本映画撮影者倶楽部という団体がその死を偲んで新人キャメラマンを表彰する「三浦賞」を制定。今でも日本映画撮影監督協会がこの賞を引き継いでいるんだそうです。

Daiei Public Domain

【ご覧になった後で】地味なお話ですが影を強調した撮影が見事でした

騙されてお妾さんとなり、世間から蔑まれる高利貸しの老人に囲われてしまう若い女性が主人公ですので、なんとも地味な救いのないお話でした。原作の欠点なのかもしれませんが、お玉の立場としては、老人の慰みものにされるのは耐えがたいことながら、父親を含めて贅沢な暮らしが保証される安心感は捨てられないという二律背反状態にあるにも関わらず、そんなアンビバレントな葛藤があんまり描かれていないんですよね。そんな屈辱的な生活から抜け出したいという希望が、芥川比呂志の医学生への慕情になるというストーリーも、所詮は成就するわけもなく、なんだかやるせない結末しか見えずに鬱憤がたまる展開でした。

豊田四郎の演出は、クローズアップを多用することで登場人物の心情に迫ろうという意図はあるものの、この原作と脚本ではお玉や東野英治郎の高利貸しがステレオタイプ的なキャラクターにとどまっているため、あまり効果的だとは言えませんでした。その正反対に影の使い方が大変に印象的で、浦辺粂子がやる本妻が路地に佇んでいるのを見たお玉が部屋の中に逃げ込む場面での、雨だれの影が部屋の壁に投影されるショットは実に見事で美しくさえありました。たぶんガラスの上に水を流して、そこにライトをあてて、いかにも高峰秀子が雨滴の流れに巻き込まれているかのようでした。また無縁坂をふらふらと下っていくお玉の全身に木の葉の影が映りこむところも良かったですねえ。白っぽい着物に葉っぱの形の影ができて、お玉がキャメラに寄るに従って影部分がどんどん増えてくるというショットでした。こうした影の使い方はサイレント期に流行ったドイツ表現主義の名残りなんでしょうか。もしかしたら豊田四郎よりもキャメラマンの三浦光雄によるアイディアだったのかもしれません。

高峰秀子は感情を押し殺した主人公を抑制を利かせて演じていますが、傘を返しに来た医学生と高利貸しが鉢合わせするところで、いきなり背中をむき出しにして白粉を塗らせるところのような、怜悧な復讐心みたいな心情を表現する場面が少なく、持ち味を十分には出し切れていないように見えました。逆に高利貸しの東野英治郎は、品のない成り上がりの好色老人でありながら誰に対しても卑屈になるしかない小物な感じを出していて、この手の役は東野英治郎か小沢栄太郎かどちらかだなと思わせるほどの適役でした。ちなみに昭和41年に大映がリメイクした際のキャスティングはお玉が若尾文子で、高利貸しは小沢栄太郎なのでした。

父親役をやった田中栄三は、サイレント期には映画監督として活躍した人なんだそうです。カットバックや移動撮影、ロケーション撮影などの技術革新を進めて、日本映画界に多大な貢献をしたらしいです。戦後は本作や原節子版の『青い山脈』で校長役をやるなど俳優としても活動したのですが、本作の父親役は本当に下手クソですね。セリフも棒読みだし、そこらへんの通行人くらいにしか見えませんでした。

無縁坂を下ると沼沢地になるセットデザインでしたが、明治期の不忍池周辺はあんなような湿地帯だったんですね。高峰秀子がさまよい歩く場面で湯島天神が出てきて、そこでも地面一面に雨が溜まっていて、ぬかるみになっていました。東京の街ではほとんどの道が未舗装で、石畳でも砂利道でもなく、ただ単なる泥道だったことが伺える映像でした。現在では水たまりを発見すること自体が難しくなっているほど日本の道路はほぼ舗装されていますけれども、明治期では雨が降れば排水もされずに水浸しになる悪環境だったんですね。現在では忘れられていますが、本作のような映画を見ると都会の光景が様変わりしたのは道路の舗装が大きな要因ではないかと思ってみたりするのでした。(Y052622)

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