あなたと私の合言葉 さようなら、今日は(昭和34年)

市川崑監督が佐分利信と若尾文子を父娘役にして作ったホームドラマです

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、市川崑監督の『あなたと私の合言葉 さようなら、今日は』です。父親と二人の娘がいる家庭を舞台にしたホームドラマで、父親を佐分利信、娘を若尾文子と野添ひとみが演じています。オリジナル脚本の久里子亭は市川崑と妻和田夏十が共作したときの合同ペンネームでアガサ・クリスティをもじってつけられたもの。そこに大映で活躍した舟橋和郎が加わって、京マチ子や川口浩がからむ恋愛喜劇に仕立てました。見ているうちに「あ、これは…」と思わされるウィットに富んだ一編です。

【ご覧になる前に】京マチ子など大映オールスターが総出演した正月映画です

自動車会社で若手男性社員が結婚相手の女性社員を物色している中で、彼らの目を引く和子はデザイナーとして働いています。そこへ訪ねてきたのが大学時代の先輩梅子。大阪で老舗の鯛料理屋を経営する梅子は日本橋のデパートへの出店計画の打合せで上京し、和子の家に泊まりに来たのでした。その夜酔っ払って帰宅した父親は商船会社を辞めてきたと言って酔いつぶれてしまいます。妹の通子はスチュワーデスをしていて、自宅に御用聞きに来るクリーニング屋の哲ちゃんに恋していますが、父親の世話は姉の和子に任せっきり。その父親が勝手に和子の許婚として決めたのが親友の息子半次郎で、半次郎は転勤先の大阪で上司に東京へ戻してほしいと訴えるのですが…。

市川崑は昭和33年8月に三島由紀夫の「金閣寺」を映画化した『炎上』で高評価を獲得していて、昭和34年には谷崎潤一郎の『鍵』、大岡昇平の『野火』と続けて文芸作品の映画化に取り組んでいました。その息抜きだったのでしょうか、昭和34年1月3日公開の正月映画に選んだのがこの『あなたと私の合言葉 さようなら、今日は』で、父と娘に娘の親友がからむホームドラマをオールスターキャストで完成させました。和田夏十とのコンビによる久里子亭の原作・脚本に舟橋和郎が加わり、東京と大阪を舞台にして娘の結婚話を軽妙なタッチで描いています。

正月映画なので大映のオールスターが顔を揃えていて、まず女優陣では京マチ子と若尾文子の二大看板が顔合わせしていて、そこに松竹から大映に移籍した野添ひとみが加わっています。野添ひとみが大映に移籍したのは大映所属の川口浩と付き合っていたからで、川口浩が父親の川口松太郎に仲介を頼んだのだとか。大映で一緒に仕事をすることになった川口浩と野添ひとみは本作公開の翌年にはちゃっかり結婚していますので、当時から親も公認する仲だったんでしょうね。

川口浩以外の男優陣では佐分利信は別格にしても大映を代表する船越英二と若尾文子と交際の噂もあった菅原謙二が主演級で出ています。脇を固めるのは見明凡太郎や潮万太郎、三好栄子や浦辺粂子といったベテランたち。そしてクレジットでは柴田吾郎の名前で出ているので気づかないものの、冒頭の場面では若き日の田宮二郎の姿も見ることができます。

キャメラマンの小林節雄は後に『妻は告白する』や『陸軍中野学校』で増村保造とコンビを組むことになるのですが、本作は正月映画ということもあってアグファカラーで撮られています。大映スコープの大画面をカラーで撮るのは当時のキャメラマンとしてはステータスだったでしょうけど、このアグファカラーというのが本作のこだわりの一部だということは、本編を見るとわかってくる仕掛けになっています。

【ご覧になった後で】これは市川崑によるパロディなのかオマージュなのか

いかがでしたか?映画が始まってすぐの若手社員三人組の話し方や若尾文子の電話の出方、「どこで?」とか「そうなの」とか短いセリフが連続するやりとりなどでなんとなくそうなのかなと思うのですが、若尾文子の家に佐分利信の父親が酔って帰って来て母親が不在だなとわかるあたりで、これは小津映画のなぞりなのではないだろうかと気づいてきます。そもそも大映なのにわざわざ佐分利信が出演しているのも変ですし、京マチ子と若尾文子が二人で会話するときは互いのバストショットの切り返しになりますし、佐分利信と若尾文子の茶の間での会話はもっと如実に正面から同じ人物サイズのショットが繰り返されます。決定的なのは、若尾文子が嫁に行かないのは佐分利信が独身でいるからだと京マチ子に指摘されて、佐分利信が若尾文子に「お父さん結婚するからな」と告げるところ。そしてそれを若尾文子がいとも簡単に「ウソでしょ」と見破ってしまう展開になると、この映画は小津映画のパロディであり同時にオマージュでもあるんだなとわかるのです。

となると本作がわざわざアグファカラーを使っているのも小津映画と同じ発色を狙っているからですし、大阪で浦辺粂子が女将をやっている飲み屋で船越英二と菅原謙二と川口浩がカウンターで日本酒を吞み交わすのも小津映画の一場面を再現しているように見えてくるのです。この正月映画が公開された同じ年の11月には京マチ子と川口浩は、山本富士子を借りたお返しに小津安二郎が大映にやって来て撮った『浮雲』に揃って出演しているので、もしかしたらこの時点で大映所属の市川崑は小津が大映で一本撮ることになるのを知っていたのかもしれません。『浮雲』のキャメラマンはさすがに小林節雄ではなく宮川一夫でしたが、同じアグファカラーで市川崑による小津的映画に京マチ子と川口浩が共演していたというシチュエーションは、現在的な目で振り返ってみるとなんとも鷹揚で粋な時代感が伝わってくるように思われます。

また若尾文子が他所へ嫁いでいくのではなくアメリカに転勤になるという展開が、見事に小津映画の本歌取りというか返歌になっていて、もう1960年代を迎えようという時代になり20代前半で嫁に行くというのがやや時代遅れに感じられるように人々の意識が変化していたんでしょう。昭和25年に6割を占めていた見合い結婚は昭和35年には半分近くにまで減っていましたし、職場で働く女性たちも全員が寿退社を選ぶ時代ではなくなってきていました。なので田宮二郎以下三人組が結婚相手として女性社員を物色する姿はある意味では非常に批評的な表現であって、女性が活躍する将来を見通したうえでのシニカルさを表していたのかもしれません。

そういうわけで終盤に佐分利信が若尾文子に向って「人生ではいろんなものを捨てなけりゃならない。お父さんは娘を捨てるのを忘れていた」というセリフは、小津のパロディというよりは10年前の小津映画を当時の世相に合わせてアレンジした結果だったのではないかと思われます。わざわざウソをついて娘を嫁がせるよりも父親の覚悟を正面から娘に伝えて娘の自立を促すというドライな父娘関係が、小津映画には絶対にあり得ない描き方でしたし、だからこそ本作があまり映画史的に顧みられることのない過去の映画として埋没してしまっているのかもしれません。つまり形式的に小津映画を真似てはいるものの、父娘の感情描写があまりに当たり前過ぎて普遍性をもつには至らなかったということではないでしょうか。才人の市川崑にしてこれですから、やっぱり小津安二郎の世界は小津にしか作れない独自のものだったんですね。(A101022)

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