白い巨塔(昭和41年)

山崎豊子の小説を週刊誌連載の翌年に大映が映画化した2時間30分の大作です

《大船シネマおススメ映画 おススメ度★》

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、山本薩夫監督の『白い巨塔』です。昭和38年から2年弱に渡ってサンデー毎日誌に連載された小説「白い巨塔」は大学病院や医学界の内幕を赤裸々に描いて評判を呼び、昭和40年には新潮社から単行本も刊行されました。翌年その小説を映画化したのが経営危機に瀕していた大映で、『忍びの者』以来大映に腰を落ち着けていた山本薩夫監督にとっても代表作となりました。上映時間2時間30分の大作は併映なしの一本立てで公開され、昭和41年度のキネマ旬報ベストテンでは見事トップに選出されています。

【ご覧になる前に】主人公財前五郎は本作企画の財前定生から命名されました

浪速大学医学部病院で手術を終えた第一外科の財前五郎助教授は、噴門癌の摘出手術としては最短時間を更新したと助手たちに話します。第一外科のトップで退官を間近に控えている東教授は、週刊誌に写真入りで記事が掲載された五郎を呼び出すと、許可なく手術室で撮影したことを厳しく叱責し、第一内科の鵜飼教授に自分の後任には財前は相応しくないと告げます。五郎は愛人のケイ子のアパートでの情事を済ませると深夜に妻の待つ自宅に帰ります。五郎は裕福な産婦人科医の財前家に婿入りしたのですが、それは苦労して五郎を医学部まで進学させた母親の願いからでした…。

山崎豊子は昭和19年に女学校を出て毎日新聞社に入社し当時学芸部の副部長だった井上靖の元で記者をしていました。働きながら書いた小説が出版され、「花のれん」で直木賞を獲得したのを契機に新聞社を辞めて作家生活に入ります。「ぼんち」など大阪の風俗を描いた作品を発表する中で取り組んだのが「白い巨塔」で、大学病院の裏側に切り込んだ本作以降は、銀行や航空会社、さらには政界などを題材とした社会派長編小説を次々に世に送り出していくことになります。昭和38年9月から昭和40年6月までサンデー毎日に連載された本作は現在でも山崎豊子の代表作とされていまして、大映での映画化以降、TVドラマとして繰り返し映像化されています。

山崎豊子が昭和38年に文芸春秋社から発表した「女系家族」は大映で映画化されていますが、その際に企画を担当したのが大映企画部の財前定生でした。大映が作る映画のクレジットではすべて「製作永田雅一」と社長の名前を冠するのが決まりでしたので、大映作品における「企画」とは他社でいうところの製作でありプロデューサーであったんだろうと思われます。財前定生は昭和30年代の大映作品で50本近くプロデューサーをつとめていて、三隈研次が監督した『女系家族』をプロデュースしたときに原作者の山崎豊子と親しくなったらしく、山崎豊子が「白い巨塔」の執筆に入る際に財前定生の苗字を拝借したうえで、あまり画数が多くならないように名前は単純なものにしようと主人公の名前を「財前五郎」にしたらしいです。

一説によると「五郎」は主演の田宮二郎の本名で、映画デビューから昭和34年まで名乗っていた柴田吾郎から取ったという話もあるようです。しかし山崎豊子が連載を開始する時期には田宮二郎は勝新太郎とのコンビで「悪名シリーズ」に出ていたので、まだ誰も田宮二郎を『白い巨塔』の主人公に抜擢しようと想定していなかったでしょうから、柴田吾郎から財前五郎の名前を発案したというのはちょっと眉唾物かもしれません。

本作が公開された昭和41年には映画館の観客数は年間3億5千万人になっていて、ピークだった昭和33年に比較するとなんと3分の1に減少してしまいました。メジャー映画会社の中でも最も苦しんでいたのが大映で、二年連続の赤字決算の結果、累損は30億円に達していました。永田雅一社長は政界工作のために多額の政治資金を献金していましたから、政府に働きかけて海外輸出用映画の製作費という名目で20億円の融資を三年間受けられるという法案を通させて、大映・松竹・日活の三社がこの制度を利用してなんとか経営のやりくりをします。そんな大映が脚本界の大御所となっていた橋本忍にシナリオを書かせて、『忍びの者』以来大映で娯楽作品を連発していた山本薩夫に監督を任せ、2時間30分の大作を製作したのですから、本作の実質的なプロデューサーだった財前定生にとっても乾坤一擲の勝負作だったことでしょう。

キャメラマンの宗川信夫は一年前に大映にとって久々の大ヒットとなった『大怪獣ガメラ』を撮った人でしたし、美術の間野重雄と音楽の池野成は『傷だらけの山河』『氷点』でともに山本薩夫と組んでいます。特に池野成は吉村公三郎の『夜の河』や川島雄三の『しとやかな獣』などで意欲的な楽曲を書いた作曲家です。これら大映東京撮影所のスタッフが総出で作り上げた『白い巨塔』は、見事にキネマ旬報ベストテン首位を獲得しましたが、配給収入ベストテンは東映の「網走番外地シリーズ」や東宝の「クレージー映画」が勢揃いしていて本作の名前を見い出すことはできません。でも『白い巨塔』は通常の併映ではなく一本立てで公開されていて、洋画系映画館でロードショー公開されると、配給収入ベストテン上には記録が残らないので、もしかしたらそんな上映形態だったのかもしれません。当時の新聞広告などを確かめてみないとそこらへんはよくわかりませんね。

【ご覧になった後で】田宮二郎はじめ俳優陣が登場人物になりきっていました

いかがでしたか?今回で三度目の鑑賞だったのですが、何度見ても飽きさせずに2時間半の長尺を一気見させるめちゃくちゃ面白い映画でした。その面白さの根幹は山崎豊子の原作なんでしょうけど、長編小説をこの尺の中に短縮しつつも登場人物のキャラクターを見事に描き分けたうえで、教授戦から裁判まで流れを切らすことなくシナリオ化した橋本忍の手腕には恐れ入るしかありません。主人公の財前の周りには同僚や教授陣、義父と医師会、母親と妻と愛人、そして患者と弁護士などがたくさん登場人物がいて、複数のエピソードが複雑に絡まって大きなストーリーのうねりとなっています。ざっと数えただけでも20人以上のキャラクターが次々に出てきて、それぞれ対立したり共謀したりするので、下手な脚本家ではこれだけ大勢の人物を捌くことは到底できません。

登場人物ひとりひとりが置かれた状況を描きながら、その人物に深みを与えながら、病院内の人間関係を紹介し、そこに次期教授選考をからめ、平行して医療過誤に至るプロセスを盛り込み、最後には医学界を守るための裁判の結末までが表現されます。橋本忍はもちろん黒澤映画でのオリジナル脚本でもすばらしい作品を残していますがそれらはすべて共同脚本の仕事で、単独でのシナリオは原作ものの脚色がほとんどです。しかしそれが単なる原作の映画化にとどまらず、映像にして俳優が演じることを前提としたひとつの完成品になっているところが、他のシナリオライターの追随を許さないところだと思います。

その橋本忍の脚本に具体的な肉付けをしていくのが俳優たちの仕事ぶりで、本作では昭和40年当時の日本を代表する俳優たち(特に男優ですけど)の演技がじっくりと堪能できますし、舞台ではなく映画として作品化されたことで後世まで永遠に残る貴重な映像アーカイブになっています。主演の田宮二郎は本作出演時には弱冠三十一歳。現在の三十歳をちょっと越えた程度の俳優たちとは比べ物にならないほど成熟していて迫力十分なので、なぜ同じ俳優なのにこんなに歳の取り方が違うのかと考え込んでしまうほどです。180cmの身長も立派ですが、クローズアップになったときの目鼻立ちの美しさには見惚れてしまいますね。四十二歳で自死したのは本当に残念なことでした。

田宮二郎以外の俳優のことを全部紹介しているといつまでも話が終わらなくなってしまうのですが、登場人物たちのほとんど全員がほぼクローズアップで画面に一斉に映し出されるのがクライマックスの裁判シークエンスで結審するところ。ここで医学界の権威である滝沢修が財前に有利な証言をして、財前が無罪になることを関係者全員が確信するわけですが、キャメラが裁判所の中に着席している人々を横移動ショットで順番になめていきます。サイズはほぼクローズアップなので全員の表情がわかるように映し出され、それぞれの喜怒哀楽が俳優たちの顔の演技だけで表現されていきます。ここが本当に絶品で、セリフは何ひとつないものの各人が何を思い何を喜び何を悲しんでいるのかが顔の表情だけで手に取るように観客に伝わってくるのです。

これこそ映画的表現の最たるもので、ここに至るまでしっかりと物語が積み上がってきているからこそ20人に及ぶ登場人物がどんな人なのか観客の頭に入っていますし、裁判の行方にどう反応しているのかが俳優の顔を使った演技力だけで観客には十分納得できます。山本薩夫は政治色が強い映画を撮るとアクが強過ぎて作品が面白くなくなる傾向があるのですが、娯楽的な手法に徹すると案外と巧い演出家であることが再認識できます。本作でもあまりに多くのエピソードを短いシーンで説明していかなければならないので、シーンの終わりごとにフェードアウトを用いて、文章でいえばきちんと句読点を打つとか改行するとかと同じ効果を出していました。その山本薩夫の必殺技が裁判結審の横移動全員の顔なめショットだったのではないでしょうか。

男優が揃いも揃って名演を見せるのはもちろん映画俳優としての演技法を熟知しているからではありますが、大元にあるのは登場人物の設定に入り込んでその役になり切ることができるからでしょう。その意味では舞台によって演劇の基本を叩きこんだ男優たちの存在感は圧巻でした。俳優座の東野英治郎・小沢栄太郎、劇団民藝の滝沢修・加藤嘉・下條正巳・清水将夫・鈴木瑞穂、文学座の加藤武、新国劇の石山健二郎といった具合です。一方で映画会社に入って演技を磨いた人たちが、松竹出身の田村高廣、大映の二枚目の船越英二、大映で脇役を続けた見明凡太朗・潮万太郎などで、劇団から映画界へと移ったのは須賀不二男くらいでしょうか。まあそんな中でも、東野英治郎演じる第一外科の東教授、小沢栄太郎演じる内科の鵜飼教授、滝沢修の東都大学船尾教授の三人は、細かい表情や仕種などすべてが自然にその人物の造形につながっていて、見ているだけで嬉しくなってきてしまいましたね。

小説は一度完結したもののあまりに評判が良く、本作公開翌年の昭和42年から「続・白い巨塔」が執筆され、病魔に襲われた財前五郎の挫折が描かれることになります。そんなわけで後に作られるTVドラマは財前五郎の死がエンディングとなるのですが、この映画版だけは執筆当時の正編通り、誤診は無罪放免となって財前が権力を手に入れて回診の大名行列の先頭に立って終わります。まさに「悪は勝つ」的なピカレスクロマンなわけで、しかも歌舞伎の「河内山」に出てくる「悪に強きは善にもと」というような悪漢がラスボスを蹴散らすという毒をもって毒を制す的な話ではなく、完璧な悪のまま映画は終幕を迎えます。

本作ではナレーションで財前五郎の幼少期の回想が挿入されるとともにただただ自分の立身出世だけを望む母親に現金書留を送る一場面があるだけですが、小説でもTVドラマでも財前五郎の不幸な境遇は映画よりもかなり強調されて描かれています。なのでなぜこれほどまでに財前五郎が権力を志向するのかの背景が伝わるような情に訴えるところがあります。けれども映画版はあまりに回想がわずかなので、終盤ではそれが忘れ去られて財前五郎の悪辣さが前面に押し出されたままです。それでも本作を見ていると、その振り切れた感じが逆に爽快にも感じられ、それはたぶん田宮二郎のチャーミングさに因るのではないかなと思われるのです。非常にハンサムで、観客の目を一身に引き付ける田宮二郎だからこそ観客も最後の結審シーンを財前が無罪になることを望む気持ちで見てしまうのではないでしょうか。それを考えると、本作はやっぱり日本映画ではめずらしいピカレスクロマンとして永く記憶される作品だといえるでしょう。(V012124)

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