ニッポン無責任時代(昭和37年)

東宝によるクレージーキャッツシリーズの第一作で植木等が主演しています

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、古沢憲吾監督の『ニッポン無責任時代』です。ハナ肇とクレージーキャッツは昭和36年にTVの「シャボン玉ホリデー」に出演して人気タレントとなり、「スーダラ節」は80万枚を売るほどの大ヒットとなりました。TVの台頭によって入場者数を減らしていた映画界がこの人気を放っておくはずもなく、「若大将シリーズ」をスタートさせたばかりの東宝が、もうひとつの鉄板シリーズを作ろうとクレージーキャッツ主演映画の製作に乗り出しました。結果的に植木等が演じた主人公の平均(たいらひとし)はサラリーマン社会のアンチヒーローとして東宝映画の顔となっていくのでした。

【ご覧になる前に】「若大将」を生んだ田波靖男のアイデアが元になりました

銀座のバーで太平洋酒の谷田と大塚は株の買い占めが進んでいることを噂しています。その話に割り込んできた平均と名乗る男は、社長の氏家邸を訪問すると社長が翌日議員の葬儀に出席することを聞き出します。葬儀会場で受付に紛れ込んだ平均は、氏家社長と一緒に太平洋酒本社の社長室に入っていき、大株主の富山社長に株を売らせないことが重要だと力説します。その話しぶりに感心した氏家社長は平均を社員にすることにして平均は総務部に勤務することになったのですが、社長秘書の愛子は平均が社長室から煙草をくすねたことを見ていたのでした…。

脚本家の田波靖男は、東宝に助監督として入社したものの、企画や脚本づくりを担う文芸部に配属になりました。というのも前年東宝文芸部に入った石原慎太郎が芥川賞を受賞して会社を辞めてしまい、席がひとつ空いていたからです。同期が黒澤明や成瀬巳喜男の現場で助監督として働いているのを羨ましそうにしていた田波靖男に製作担当の重役だった藤本真澄が声をかけ、先輩の笠原良三とともに書き上げたのが『大学の若大将』。加山雄三主演で大ヒットしてシリーズ化が決定し、続く『銀座の若大将』も好評というときに、田波靖男はマンネリ化していた「社長シリーズ」の打開を図るため菊島隆三とともに韮山の温泉宿にカンヅメにされていました。

しかしなかなか良いアイデアは出ず、都会が恋しくなった田波靖男は単身車で本社に戻ろうとしたのですが、生憎の雪で箱根に一泊することに。そこで田波靖男が完成させたのが「無責任社員」というお話で、会社のために忠義を尽くすサラリーマンを描く「社長シリーズ」の企画を担当しているうちに、田波靖男は会社の事情や他人の思惑など何とも思わない男が勝手気ままに行動したらどんなことになるのか、映画でそのシミュレーションをしてみようと考えたのでした。

そんなときにプロデューサーの安達英三郎が「スーダラ節」でヒットを飛ばしているクレージーキャッツで映画を作れないかと田波靖男に相談します。ここぞとばかりに「無責任社員」のプロットを田波が提案すると安達はすぐに乗ってきて「タイトルが地味だから『ニッポン無責任時代』にしよう」と本作の企画がスタートしました。安達が共同プロデューサーに選んだのが森田信。東大出の森田は東宝文芸部を退社して電通に移っていて、クレージーキャッツが所属していた渡辺プロにコネがあったのです。

渡辺プロの渡辺晋社長はクレージーキャッツが東宝の映画に出演することを自分では判断せず、脚本を青島幸男に見せてその意見を聞きました。完成シナリオを読んだ青島が「今までの日本映画になかった面白さだ」と太鼓判を押したため、この『ニッポン無責任時代』の映画化が実現したのです。撮影が始まった後で、主演の植木等は「あんな不真面目な人間像はやりたくない」と訴えたそうで、実は僧侶の家に生まれた植木等は私生活では超が付くくらいの真面目人間で「平均」のような人物は大嫌いだったそうで、青島幸雄よりも先に植木等がシナリオを読んでいたらこの映画は実現していなかったかもしれません。

共同脚本のクレジットで松木ひろしが田波靖男の脚本に手を加えて、監督は古沢憲吾が起用されました。古沢は戦時中にスマトラのパレンバンに降下した落下傘部隊の生き残りで、「パレさん」という通称をもっていたとか。昭和34年に監督デビューし、坂本九主演の「アワモリ君シリーズ」あたりでウロウロしていた古沢憲吾は、本作以降クレージーキャッツ主演の「日本一シリーズ」や「作戦シリーズ」を次々に監督して、クレージー映画の基礎を築くことになりました。その勢いで「若大将シリーズ」も『海の若大将』を皮切りに三作を監督しています。

驚くべきことに撮影を担当した斎藤孝雄は本作の翌年には中井朝一と組んで黒澤明の『天国と地獄』のキャメラマンをやる人です。その後『赤ひげ』も中井朝一と二人でやって、『どですかでん』から『まあだだよ』までの黒澤明晩年の全作品でメインキャメラマンとなるのですから、本作は斎藤孝雄がまだ黒澤組の主要メンバーになる前の仕事になります。

【ご覧になった後で】植木等のキャラだから自分勝手が不快にならないのでは

いかがでしたか?平均のような無責任社員が自分の会社に突然現れたらさぞかし既存の社員たちは不快な思いを抱くだろうなと思いながらも、植木等がやっているから全然不快には感じられず、むしろ痛快な存在に見えてくるんですよね。これこそが植木等の明るく突き抜けたキャラクターを最大限に活用したクレージー映画の本質なのではないでしょうか。

クレージーキャッツが出演しているとはいっても、植木等の他には社長役のハナ肇と部長役の谷啓がそれなりに個性を発揮しているだけで、犬塚弘・桜井センリ・石橋エータロー・安田伸の四人はグループ出演映画によくある例の通りで他の誰でもいいような端役です。もちろんヒット曲を歌い踊るミュージカルシーンでは特に犬塚弘の伸びのあるバンザイポーズが印象深いのですが、まあこの四人はいてもいなくても同じですし、ハナ肇と谷啓も本作においてはなくてはならない存在にまでは及んでいません。それに比べると平均の役は他のメンバーでは演じられませんし、植木等がいないクレージー映画はクレージー映画になり得ないほど植木等が絶対に必要不可欠な存在なのです。本作の価値は、植木等という稀代のコメディアンを発見したところにあるのかもしれません。

平均というキャラクターを開発した田波靖男の原案はすばらしいものの、本作の脚本はそれほどキレがあるわけではなく、松村達雄や清水元のようなライバル社長たちとのからみが弱いですし、中島そのみ・重山規子・団令子の「お姐ちゃんトリオ」も顔が丸い団令子以外はそんなに魅力的に見えず、平均の活躍を描くプロットの組み立ては不十分だったように思います。一方で途中で挿入される植木等の歌は歌詞の面白さで観客を引っ張っていくので、映画に一定のリズムを与えていました。こういう歌謡ショー的な作り方は東宝の得意とするところだったんでしょう。

同時に新人俳優が起用されるのを見るのも「クレージー映画」や「若大将シリーズ」の愉しみのひとつで、本作には『大学の若大将』でデビューしたばかりの藤山陽子がお嬢さん役で出ていますし、その相手役の峰健二は顔を見ればすぐに後の峰岸徹だということがわかります。また、ベテラン組として久慈あさみや中北千枝子が余裕の演技を見せるのも嬉しいところです。

昭和37年当時のロケ撮影の場所も注目ポイントで、太平洋酒の本社は常盤橋の大和証券本社ビルを使っているそうで、のちに「若大将シリーズ」でも加山雄三が勤務する自動車会社の本社になっていました。特に嬉しかったのが横浜プリンホテルでロケしたラストシーン。横浜プリンスホテルとはいっても場所は磯子にあって、現在は再開発されてマンションになっていますが、磯子の高台に建てられた東伏見宮別邸を西武が買い取ってホテルとしてオープンさせたのが昭和29年のこと。その旧館の右隣に見える建物が昭和35年に竣工したばかりの新館で、映画には映っていませんけど新館の横にはプールも開設されました。昭和39年には根岸線(京浜東北線)が桜木町から磯子まで延伸されたので、それを見込んで郊外のリゾートホテルとして拡張されたんでしょうか。なにしろ周辺に何もない時期の撮影ですから、高台の向こうには海が広がっていてスカーンと抜けた景色が斎藤孝雄のキャメラで明るく映されていたのが、本作の最後を飾るのにふさわしい明朗さに溢れていましたね。(V011623)

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