昭和残侠伝 唐獅子牡丹(昭和41年)

高倉健主演のやくざ映画「昭和残侠伝」シリーズ九作品のうちの第二作です

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、佐伯清監督の『昭和残侠伝 唐獅子牡丹』です。日本映画を牽引した時代劇が次第に飽きられてしまい興行的に苦戦し始めた東映は、昭和38年に『人生劇場 飛車角』でヒットを飛ばして、以来やくざ映画へと舵を切っていました。「博徒」や「日本侠客伝」、「網走番外地」などシリーズ化された作品群は、鶴田浩二または高倉健主演によって次々に作られていきました。「昭和残侠伝」シリーズもその路線に沿って九作品が世に送り出され、本作はそのシリーズの第二作にあたります。

【ご覧になる前に】本作の舞台となるのは宇都宮にある大谷石の石切り場です

昭和初期の宇都宮で石の山場を仕切る左右田組に身を寄せていたのは花田と弟分の周平の二人。やくざから足を洗おうとする周平を助けるため、花田は組長寅松の言葉に従って対立している榊組三代目の秋山を斬ります。三年後に出所した花田が宇都宮に帰ってみると、山場の大部分は榊組から左右田組に移っていて、榊組を継いだ秋山の未亡人八重は少ない石切り人工たちとともに残った山場を精一杯守っていました。花田は榊組を追い詰めたのは自分だと自らを責めるのでしたが、八重の一人息子和夫が花田のことを慕い始めて、八重も花田のことを頼るようになるのでした…。

宇都宮から少し北へ行ったところにある大谷町は、良質な凝灰岩が豊富に採掘できる日本有数の採石場です。その地名から「大谷石」と名付けられ、加工がしやすい石材だということで国内の土塀や外壁などに使用されてきました。そんな外装材として使われることの多かった大谷石を、内装にも取り入れたのが建築家のフランク・ロイド・ライトでした。柱や階段などに幾何学模様の装飾を施した大谷石を配した最も有名な建築が、あの帝国ホテルの旧館。大正12年に完成した帝国ホテルはオープン当日に発生した関東大震災にも耐えて、東京を代表するホテルとして海外の賓客を迎えることになります。

ロイドが大谷石を好んだのはその細工のしやすさだったそうですが、大谷石の採掘場は、採石しやすいことから山が垂直または平行に切り取られていったおかげで、荘厳な地下宮殿のような様相を示すことになりました。夏には涼しく、冬には温かい採掘場の中は、現在では展覧会やイベント会場にも活用されていて、宇都宮を訪問した際には、ギョーザを食べるだけではなく、ぜひ立ち寄るべきスポットになっています。

監督の佐伯清は東映京都から東映東京撮影所に移った人。東映は京都で時代劇、東京で現代劇を製作していましたから、佐伯清もある時期までは現代劇を中心に作っていたようです。しかし東映が任侠路線に進むようになり、やくざ映画は江戸時代と現代の中間というか、明治・大正・昭和初期の時代を背景とした作品群でしたので、京都と東京でやくざ映画を撮り合うという位置づけに変わっていきました。東映任侠作品の中で大泉の東京撮影所で作られたのが「網走番外地」シリーズと「昭和残侠伝」シリーズ。やくざ映画が終焉を迎えると、東京撮影所では菅原文太主演の「トラック野郎」シリーズが製作されることになっていきます。

主演はもちろん高倉健ですが、「昭和残侠伝」シリーズの特徴は高倉健の相手役として池部良が共演していること。池部良といえば、『雪国』や『暗夜行路』などの文芸映画の主役を担った俳優ですし、エッセイストとしても活躍する知的なイメージのある二枚目ですから、東映やくざ映画にはちょっと相応しくないように感じてしまいます。あの「芸術は爆発だ!」で有名な岡本太郎が従兄にあたるという家系でもあり、実際に「昭和残侠伝」シリーズへの出演オファーが来たときには家族の反対に合ったそうです。しかしやくざ映画だからこそ、逆に池部良のような品のある俳優が際立つんですね。池部良は後半にしか出てきませんので、中盤から映画の深みを増すための増強剤のような役割を果たしています。

【ご覧になった後で】高倉健が強すぎるのと疑似夜景が暗すぎるのは失敗です

東映のやくざ映画というのは、基本プロットが同じであるにもかかわらず、高倉健がじっと耐えた末に悪党たちをやっつけるという筋立てがリビドーの発露のような爽快感を誘発するので、設定や人間関係を少し変えるだけでいろんなバリエーションの映画が成立してしまうんですよね。なので多くのシリーズものが成立したのだと思いますが、本作もまさにその定番パターンそのもの。左右田組に殴り込みに赴く高倉健と池部良の二人の姿に主題歌がかぶさるクライマックスは、本当に笑ってしまうほどカッコいい名場面でした。

しかし寅松の屋敷に殴りこむまではいいのですが、寅松が石切り場に逃げたという展開になってからがいけません。屋外の果し合いというのがなんとも間の抜けた空間になってしまったのと、さらには石切り場の場面全体がキャメラの露出をアンダー気味に撮る疑似夜景で撮影されていて、これがアンダー過ぎてしまって、ほとんど真っ暗な画面で人物の動きがよく見えません。これはキャメラマンの失敗じゃないですかねえ。せっかく健さんが背中の唐獅子牡丹の刺青を見せているのに、全然その効果が出ていませんでした。残念です。

さらには池部良が比較的簡単にやられてしまうのに対して、高倉健が傷ひとつ負わないのはちょっと興覚めですね。背中に切り傷を受けて瀕死になりながら相手を打ちのめすというギリギリの斬り合いがあるべき姿のはずですが、本作では着流しの着物さえパリッとしたままですから、ちょっと健さんが強過ぎるんじゃねえかって感じがしてしまいます。途中まではやくざ映画の鉄板パターンで良かったのに、終盤で一気に評価がガタ落ちになってしまいました。

脇役の中で突出して個性的なのは寅松の息子弥市を演じる山本麟一でしょう。あの薄い目と薄い口はひとめ見たら忘れられないくらいのインパクトがあります。他の出演作の中では山本薩夫監督の『戦争と人間』の第三部で演じた辻政信少佐役が印象的でした。ほとんどセリフもないのに圧倒的な存在感で悪名高い軍人に扮していました。『緋牡丹博徒』では主役の藤純子を見守り続ける後見役でしたが、やっぱり山本麟一は悪役のほうが似合いますよね。昭和55年に五十三歳の若さで亡くなったのは本当に惜しいことでした。

あとは花田を慕う和夫役をやった保積ペペ。本作が映画デビューだったそうで、後に村野武範主演のTVドラマ「飛び出せ!青春」で山本大作という高校生を演じることになります。学園ドラマなのでたくさん生徒役が出演していた中で、保積ペペは人気があったらしく、次作の「われら青春!」でも同じ山本大作として登場しました。確かに本作の和夫役もちょっと垂れ目なところが愛嬌があって、人懐こい感じがします。

東映のやくざ映画は炭鉱を舞台にした作品が多かったので、高倉健は炭鉱夫や沖仲士と絡む役回りでしたが、大谷石の石切り場で展開される本作は設定としてはやや珍しい部類に入ります。けれども本作の中では石切り場での採石の模様が映し出されていまして、昭和の貴重な記録にもなっていると思います。(V022322)

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