みれん(昭和38年)

瀬戸内晴美の原作を池内淳子主演で映画化した三角関係以上の恋愛ものです

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、千葉泰樹監督の『みれん』です。出家して寂聴を名乗る前の瀬戸内晴美が書いた『夏の終わり』が原作で、瀬戸内晴美はこの小説で昭和38年度女流文学賞を受賞しています。映画化にあたっては、瀬戸内晴美本人と思われる主人公を池内淳子が演じていまして、不倫関係に陥る相手役には仲代達矢と仲谷昇があてられています。本作は製作が東京映画で、東宝はオープニングロゴでは配給としてクレジットされています。

【ご覧になる前に】瀬戸内晴美自身の恋愛体験が物語の設定になっています

白いタイル張りの部屋に閉じ込められている夢にうなされていた知子は、目を覚ますと横に小杉がいるのを見てホッとします。小杉が江ノ島の家にいる妻と娘のところへ外出するのを見送って、知子は着物のデザインを馴染みの呉服屋に届けにいくのですが、そこで偶然顔を合わせたのは木下青年。12年前に県会議員に立候補した夫の選挙運動を手伝っていた木下に知子は次第に惹かれていき、ついには夫と子供を捨てて知子は木下と駆け落ちしたのです。しかし結局うまく行かずに別れることになり、知子と木下は久しぶりの再会を果たしたのでした…。

瀬戸内晴美の小説「夏の終わり」でも描かれているらしいのですが、瀬戸内晴美本人は見合いで結婚した夫の赴任地北京で娘を出産し、戦後日本に引き揚げた後に夫の教え子だった青年と不倫関係に陥りました。夫と娘を捨ててひとり文筆活動に入った晴美は、長編小説を書くようになった時期に芥川賞と直木賞の候補にもなった男性作家と同棲するようになります。この男性作家には家族があったのでいわゆる不倫関係になったのですが、かつての恋人だった青年との関係が復活して、不倫相手がいながらさらに別の男性とも関係をもつ三角関係以上の複雑な恋愛生活を送ったそうです。この複雑な暮らしがいつまで続いたのか知りませんけど、このあとで瀬戸内晴美は井上光晴とまたまた不倫の関係になり、それを清算するために仏門に入ったという経緯のようです。

その「春の終わり」を脚色したのが松山善三で、松竹で木下組を支えた名助監督であり、名脚本家であり、高峰秀子の夫でもあった人。昭和36年の監督デビュー作『名もなく貧しく美しく』が本作同様に東京映画製作ですから、その前に松竹は退社していたのかもしれません。監督は千葉泰樹で、東宝のプロデューサー藤本真澄が「東宝の一番バッター」と評するほどにさまざまなジャンルの映画をポンポンと量産した人でした。そういう監督ならソツなく手早く撮り上げた作品なんだろうと思ってしまいますが、きちんとした映像設計がされているので、どちらかといえば映画職人的な手腕の監督さんだったみたいです。

主演の池内淳子は日本橋三越の呉服売場に勤めたあと花嫁修業をしているときに週刊誌のカバーガールコンテストに応募したのをきっかけにして新東宝に入りました。一時結婚して引退していたものの離婚して映画界に復帰し、新東宝倒産後に東京映画に移籍していまして、本作の前年には同じ千葉泰樹監督の『河のほとりに』にも出演しています。この『河のほとりに』は加山雄三と星由里子が若大将シリーズ以外で共演した作品としても有名なのですが、池内淳子は加山雄三と一夜を共にしてしまう年上の女性という脇役の扱いで、その一年後に本作で堂々と主演女優をはっているのにはちょっと驚いてしまいます。

不倫相手は作家役は仲谷昇で、青年役は仲代達矢。仲谷昇は文学座出身で、ちょうどこの映画が製作されたのと同じ時期に芥川比呂志らとともに文学座を脱退して劇団雲の結成に参加することになりました。本作で江ノ島にいる妻の役は岸田今日子が演じていますが、実生活でも仲谷昇と岸田今日子は劇団仲間であり夫婦でもあった二人でした。一方の仲代達矢は俳優座に所属していて映画会社各社から専属にならないかと勧められたようですが、年の半分は舞台に立ちたいという意思を貫き、俳優座所属のまま映画出演を続けることになりました。結果的にこのフリーの立場が奏功して、映画会社の枠にしばられることなく出演作品を選べることになったそうです。

【ご覧になった後で】ラチがあかない話でどの人物も中途半端な感じでした

この映画はまず千葉泰樹の監督としてのセンスに注目でした。冒頭のショットは白いタイルの上を這うように動く両手をとらえていて、池内淳子が見る悪夢という設定なのですが、白い壁を破るとその向こうに森川町の家の日常風景が映し出されるという演劇的な演出が特徴的でした。演劇的という意味では、場面の終わりを照明の変化で締めくくることが多く、部屋が暗くなったり顔の表情が半分影になったりという照明演出を前面に出していたのも珍しかったと思います。その一方で全体的には実に手堅い構図のフィックスショットをしっかり使いこなしていて、見ていて実に安定感がありましたし、そうした映像で押していくので、終盤に事故現場へ駆け付ける池内淳子を追った移動ショットが非常にエモーショナルに感じられるんですよね。こうした強弱のつけ方はベテラン監督ならではの味でした。

一方でたぶん原作がそうなのでどうしようもないのでしょうけど、脚本がズブズブの展開で、なかなかラチがあかない話ですので、これからこの物語はどうなっていくのかという展望も期待も持てない内容でした。前半は12年前の木下との逃避行および8年前の小杉との心中未遂など事件らしい事件が描かれるのでそうでもないですが、後半はただでさえ鬱陶しい妻子ある男性との不倫に加えて昔の男との仲が復活してしまい、人間関係が複雑化し過ぎてしまうので、登場人物それぞれの心情を追いかけられなくなるのです。主人公知子がなぜ小杉との現状で満足しているのか、小杉は妻と知子と両方を天秤にかけているだけなのか、木下が再び知子と交情をもってしまうのはなぜなのか、などがあまりうまく描かれていないので、登場人物全員が中途半端に見えてしまい、この映画が何を伝えたいのかがよくわからなくなってしまいました。

まあ特に主張はなくズブズブしただけの映画でも全然構わないのですが、そうだとしたら後半の池内淳子と仲代達也の苦悩みたいなのは必要なかったんじゃないでしょうか。関係者全員が仲谷昇のようにただ漫然とこの関係に慣れてしまうだけで、何も考えないようにしていれば、みんなそれなりにハッピーなわけで、夫婦とか家族とか重たい責任を背負い込むこともないですし、そんないい加減な三角関係継続維持型の恋愛ゲーム的映画であれば、かえって皮肉の利いた作品になったのではないでしょうか。日光の戦場ヶを彷徨って、たぶんこのまま俗世を離れる決意をするのだろうなということを予感させるのは、なんだか主人公知子の自己満足的な締めくくりのような感じがしますね。

池内淳子も仲谷昇もリアリティがあって巧いのですが、仲代達矢はこういう役はちょっと合いませんでしたね。木下青年役はもう少し繊細な感じの俳優がやったほうがよかったと思います。かたや岸田今日子は冒頭の夢の場面でほんの少し横顔を見せるだけで、ほかは声でしか出演しないのですが、その声が半端ない存在感でした。速達でネコのヒゲがどうとか伝えるあの甘ったるいというか粘っこいというか汗でまとわるつくような朗読の声が本作の中で一番シュールな印象を残していました。

ちなみに知子の家の近くには「森川町」というバス停がありますが、現在的にはその町名はなくなり「本郷」に組み込まれてしまったようです。あと江ノ電の「湘南海岸公園前」は今でも健在で、江ノ島の西側あたりの住宅地に近い駅です。知子が小杉を訪ねると「妻と娘は藤沢に行ってる」と答えますけど、藤沢までは江ノ電で四駅。まあ原作もそうでしょうけど、たぶん全部モデルになった人の住所をそのまま使っているんではないかと思われます。(T082622)

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