新左翼の爆弾テロを扱ったため上映中止に追い込まれた独立系ATG作品です
こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、若松孝二監督の『天使の恍惚』です。若松プロダクションと日本アート・シアター・ギルド(ATG)の共同製作作品で、爆弾テロを扱った内容が問題となって上映を中止すべきだと言う声にさらされました。東宝系映画館での上映は取りやめになったものの結果的にはアートシアター新宿文化のみでの上映となったいわくつきの作品で、1時間半の上映時間の中でいくつかのシーンだけがカラーで撮影されています。
【ご覧になる前に】脚本の出口出は赤軍に合流する映画監督の足立正生です
がらんとしたキャバレーの片隅で男たちは女からメモを受け取るとその場で燃やして去っていきます。最後に残ったサングラスの男「十月」は女を「秋」と呼んでベッドを共にします。キャバレーの歌手が運転する車で「十月」は数人の仲間と米軍基地に忍び込み武器庫から爆弾を盗み出すのですが、米兵の爆撃で両目を負傷してしまいました。「月曜日」が歌手と抱き合おうとしたアパートに踏み込んできたのは「二月」と名乗る男。「二月」は四季集団の「一年」からの指示で盗んだ爆弾を「二月軍団」に渡すよう告げると、「月曜日」にリンチを加え始めるのでしたが…。
若松孝二はテレビドラマの助監督を経て昭和38年にピンク映画で初めて監督になった人。昭和40年の『壁の中の秘事』がベルリン国際映画祭に正式出品されるとその是非を巡って話題となり、自ら「若松プロダクション」を設立します。男女二人の俳優だけしか出演しない低予算製作の『胎児が密猟する時』のほか成人指定のピンク映画を量産する一方で、昭和46年には新左翼メンバーのインタビューを集めた『赤軍-PFLP 世界戦争宣言』を監督しています。
そのドキュメンタリー映画を共同監督したのが足立正生で、出口出(でぐちいずる)のペンネームで本作の脚本を書くことに。日本大学芸術学部映画科卒業後に大林宣彦や高林陽一らとともに実験映画製作グループ「フィルム・アンデパンダン」を結成して昭和41年に『堕胎』で映画監督としてメジャーデビューしました。若松プロダクションに入ると若松孝二の盟友として行動を共にするうちに新左翼運動に傾倒。昭和49年には日本赤軍に合流してスポークスマンの役割を担い、平成9年レバノンで逮捕されると3年の刑期の後に日本へ強制送還されました。
昭和47年2月に起きたあさま山荘事件では、日本中がTV放映を通じて事件の進行を目の当たりにすることになり、仲間同士のリンチ殺人事件が発覚すると新左翼運動は世論の支持を失います。前年から新左翼運動が過激化して都心で交番を狙った爆弾テロが頻発していて、中でも昭和46年12月に起きた新宿クリスマスツリー爆弾事件は新宿三丁目の交差点にある追分交番の裏でクリスマスツリーに仕込まれた爆弾が爆発。爆弾を処理しようとした警察官は左足切断、左手四指を失い、右目を失明する重傷を負い、通行人6人が巻き込まれたのでした。
そんな時期に爆弾テロに走る若者たちを主人公にした映画を撮ること自体が若松孝二や足立正生のスタンスを表しているわけですが、劇場公開時にはマスコミや市民から上映反対の声があがり、有楽町の日劇文化劇場をはじめとした東宝系映画館では上映を取りやめることに。反対に新宿ツリー事件の現場にほど近いアートシアター新宿文化(旧新宿文化劇場)は上映を敢行。もとは「天使の爆弾」というタイトルだった本作は爆弾事件のあった新宿で陽の目を見ることになったのです。
俳優陣を見ると『金瓶梅』に出演していた吉澤健が「十月」を演じるほか、「秋」には田原久子から改名した荒砂ゆき、大島渚の『新宿泥棒日記』でデビューした横山エミが「金曜日」を演じています。また音楽を担当した山下洋輔トリオも演奏シーンで出演していて、中村誠一、森山威男の演奏姿を見ることができます。
【ご覧になった後で】内容は別にして昭和47年当時に製作した勇気に脱帽
いかがでしたか?新左翼の若者たちによる爆弾テロを描く一方で、彼らがところかまわず相手も選ばずにまぐわうのがやや滑稽な感じがして、その滑稽さを中和させるためにベッドシーンにカラーフィルムを使ってリアルな卑猥さを強調したのかなと邪推してしまいました。自分で製作費を負担することが多かった若松孝二としては、ある程度の資金回収をしなければならない事情があったのでしょう。センセーショルで時局性の高い題材であるにもかかわらず、エロシーンを散りばめて成人映画として公開することで通常のピンク映画と勘違いして入場してくる男性客がいると見込んだのかもしれません。そんな興行事情もアートシアター新宿文化だけの単館上映となってはアテが外れたのではないでしょうか。
足立正生の脚本は当時の新左翼運動が内ゲバ化していったのを受けて書かれたようで、「四季集団」という党活動に「秋」グループと「冬」グループがあって、「秋」グループの「十月軍団」による米軍武器奪取作戦で死傷者が出たことで「冬」グループの「二月軍団」に主導権が移るという内部抗争がストーリー展開の軸になっていました。「十月軍団」はリーダーの「十月」の配下に「月曜日」から「日曜日」までの7人のメンバーがいるという設定でしたが、セリフがあるのは本田竜彦の「月曜日」と横山エミの「金曜日」、小野川公三郎の「土曜日」の三人。ここに「秋」が加わる人間関係はシナリオ上は手際よくまとめられてはいるものの、この集団がなぜ爆弾テロをしなければならないのかという思想面は一切触れられずにテロ自体が目的化してしまっていたので、登場人物の誰にも感情移入することが難しかったです。
若松孝二の演出はセリフをしゃべる人物のクローズアップを多用しながら、室内シーンが多いためにやや凡庸なミディアムショットやフルショットが散見され、映像が非常に安っぽく映っていたのが残念でした。というのもセットを建てる予算なんか到底ないわけですから、どこかの家を借りて室内撮影しているだけなので、部屋の中の家具や日用品が映り込み過ぎていて、新左翼活動の非日常性みたいなものが全く表現されていないのです。スマホやパソコンがない当時は、仲間同士の連絡手段が限られるためアパートの部屋をアジトにして密会するというのが活動の中心だったと思われるのに、アジトと呼べるような切迫感がなく、しかも当時の貧乏臭さのような調度品類が映画の雰囲気を壊してしまっていました。
たとえばソファーの上の緑のタオルとか広いベッドに置かれた花柄の布団とか部屋のコーナーにある三段の飾り棚とか。なんかテロリストっぽく感じられない雰囲気なんですよね。いきなり爆弾で破壊する部屋もエレベーター付きマンションの一室で、活動資金が不足しがちなテロリストにしては贅沢過ぎる設定です。また序盤の米軍基地侵入はそこそこ見せ場にはなっていましたが、ライトを点けたままの車でフェンスの近くまで乗りつけてドアをバン!と大音量で閉めたりしたらすぐにパトロールの米兵に見つかってしまうじゃないスかね。生活臭たっぷりのリアル感を出したいのであれば襲撃シーンにはリアリティが欠けていて、映像演出には爆弾テロに突き進む若者たちをどう描くのかという一貫性が感じられなかったですね。
しかしながらあさま山荘事件から一ヶ月後に本作を劇場にかけようとした行動力には脱帽させられます。いわゆる70年安保闘争は、日本全国が戦争反対で一致団結したような60年安保のような盛り上がりは見られず、全共闘や新左翼運動に対して世論は冷めた目を向けていました。昭和42年の羽田闘争、昭和43年以降の大学闘争を経て学生や活動家を中心に内部抗争が激化した後に、市民を巻き込んだ強盗試験や爆弾テロが続き、内ゲバからあさま山荘に至る連合赤軍事件が発覚すると、新左翼運動は国民の幻滅と拒否反応を決定的なものにしていました。通常であれば時局性のある事件は映画やTVで取り上げられやすいのですが、新左翼運動に関しては一切エンタテインメントの素材になりませんでした。
事件から三十年が経過した2000年代になるとようやくポツポツと新左翼運動の映画化作品が出てくるようになります。高橋伴明監督の『光る雨』(2001年)原田眞人監督の『突入せよ!あさま山荘事件』(2002年)、そして若松孝二監督は2008年に『実録 連合赤軍 あさま山荘への道程』を作り、マンガでは2006年から2013年にかけて山本直樹が『レッド』を描きました。このように2000年以降においても数えるほどの作品しか出てきていないわけですから、昭和47年という新左翼運動真っ只中の時期に正面から映画で取り上げた若松孝二は賞賛されるべきではないでしょうか。作品の出来栄えはともかくとして日本映画史においては記録に残る一本だと思われます。(U070526)

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