傷だらけの山河(昭和39年)

大物実業家をモデルにした石川達三の原作を山本薩夫監督が映画化しました

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、山本薩夫監督の『傷だらけの山河』です。原作は週刊朝日に連載された大物実業家をモデルにした石川達三の小説で、おなじみの新藤兼人が脚色しています。大映の永田雅一社長に誘われて大映で『忍びの者』を監督した山本薩夫にとっては、やっと社会派ドラマを作れるようになった一本で、昭和39年度キネマ旬報ベストテンで第7位にランクインされました。2時間半の長尺ですが、劇場公開時には『黒の挑戦者』との併映だったという記録が残っています。

【ご覧になる前に】主人公勝平は西武グループ総帥の堤康次郎がモデルです

郊外にひっそりと佇む一軒家で電話をとった女性は「今日の五時にそっちへ行く」という男の声にウキウキして身支度を整えます。運転手付きの車でやってきた西北建設社長の有馬勝平は息子の名前を間違えたことを指摘した民子と一緒にいそいそと服を脱いで寝室に入っていきました。帰宅した竹雄は民子に促されて勝平に卒業したら詩人になると挨拶しますが、勝平は一笑に付します。高層アパート建設反対運動をする住民たちの苦情が来ていると報告を受けた勝平は、翌朝母親と茶を一服した後に住民代表と応接室で面談するのでした…。

石川達三は昭和10年に創設された芥川賞の第一回受賞者で、自らのブラジル渡航体験を描いた『蒼茫』での受賞は、ルポルタージュ的手法を用いた社会派小説路線の先駆けでもありました。戦後になると新聞や週刊誌の連載小説の人気作家として次々に通俗小説を発表する一方で、題材を調べ抜く手法を使った社会派小説も連打します。戦時下にジャーナリストが一斉検挙された横浜事件を扱った「風にそよぐ葦」や労働争議の佐教組事件を題材にした「人間の壁」などの代表作に続いて、土地開発を進める実業家を主人公にした週刊朝日連載小説が「傷だらけの山河」で単行本は昭和39年新潮社から刊行されています。

実業家有馬勝平のモデルは西武グループ創業者の堤康次郎。滋賀県生まれの康次郎は大正13年の選挙で土地改革を訴え初当選し、以来衆議院議員を13期務めた政治家でしたが、同時に土地開発で莫大な利益を追求する事業家でもありました。軽井沢や箱根の別荘地を開発する不動産会社を手始めに、鉄道の買収・合併を繰り返して西武鉄道を掌握すると、バス事業や百貨店業、ホテル業など次々と事業を拡大し、西武グループを一大企業集団へと育て上げます。政治家としては昭和28年に衆議院議長に就任、昭和39年4月に心筋梗塞で亡くなると、旭日大綬章を追贈されました。

堤康次郎の女性関係は誰が正妻で誰と子供を作ったかもわからないくらい複雑なもので、後に西武百貨店からセゾングループを興した堤清二と西武鉄道や不動産事業のコクドグループを率いた堤義明も異母兄弟でした。一方で土地開発事業においては東急グループの五島慶太と激しい競争関係にあり、箱根のリゾート開発を巡る争いは「箱根戦争」とも呼ばれ、ホテルや観光をおさえた西武に対して鉄道アクセスは東急系の小田急が制することになり、二人の実業家は「ピストル堤」と「強盗慶太」とあだ名されるほどのライバルでした。

堤康次郎をモデルにした連載小説に着目したのは、週刊誌ネタのような話題性のある映画を即席栽培するように作って劇場公開していた大映の面目躍如たるところだったでしょう。本作は昭和39年4月4日に公開されていて、堤康次郎が亡くなったのが4月26日のことでしたから、たぶん大映社長の永田雅一は公開をあと一ヶ月遅らせるべきだったと嘆いたのではなかったでしょうか。詳しい記録は残っていませんが、2時間半の長さが嫌われたのか本作の興行成績は散々な結果に終わったそうです。

松竹出身の山本薩夫は成瀬巳喜男とともにPCLに移籍して東宝で映画を撮っていましたが、戦後労働争議で東宝を追われると独立プロで映画製作を続けていました。そんな山本薩夫に声をかけたのが永田雅一で、山本は市川雷蔵主演の『忍びの者』でメジャー映画会社への復活を果たします。『赤い水』『続・忍びの者』に続いて撮ったのが本作で、山本薩夫にとっては本格的社会派ドラマで自分の実力を見せつけるチャンスだったことでしょう。二年後の昭和41年に大映は『白い巨塔』を山本に任せてキネマ旬報ベストテン第1位を獲得することになるのです。ちなみに週刊朝日で連載された「傷だらけの山河」の挿画家田代光は、「白い巨塔」を連載するサンデー毎日でも挿画を任されています。

脚本は大量シナリオ製造機ともいえる新藤兼人で、キャメラマンは増村保造や市川崑とのコンビが多かった小林節雄。音楽の池野成は『赤い水』に続く山本作品への楽曲提供です。そして山村聰は本作出演時に五十四歳と主人公有馬勝平の設定にぴったりくらいの年齢で、勝平を巡る女性たちは若尾文子や丹阿弥谷津子、滝瑛子らが演じる一方で、母親が違う息子たちは高橋幸治、伊藤孝雄、川畑愛光、船越英二(娘婿)らが配役されています。

【ご覧になった後で】山村聰の尊大な演技が見事ですが後半失速が残念です

いかがでしたか?本作の見どころは山村聰のなりきり演技に尽きますね!有馬勝平という人物の尊大さを実に見事に表現していて、まるで有馬勝平という実業家のドキュメンタリー映画ではないかというくらいに主人公をリアルに造形していました。しかもいかにも偉そうに振る舞うと同時に、その内面に潜む邪悪さと清廉さを両方感じさせるのが巧いところで、単に傲慢で横柄というわけではなく自分なりの理想をもってそれを実現させようとする辣腕さや自分の考えを押し付けるだけではなく双方がWinWinになるような交渉力など、ライバル香月を演じた東野英治郎がつぶやくように大事業を成し遂げるのには有馬勝平のような図抜けたパワーがなければできないのだという感じが伝わってくるのです。山村聰が映画の中で示した圧倒的な存在感こそが本作の魅力そのものだと思います。

五十四歳という年齢の重みもありますけど、両手をやや外側に向けて振る歩き方や脅迫めいた要求を笑顔で伝える余裕のある態度、三つ揃えの背広の着こなし、きもの姿でお茶を立てる所作など、どれもが経営者としての長い経験のもとに築き上げられたものであるかのようでした。山村聰自身が旧制一高から東京帝国大学に進んだエリートでしたし、メジャー映画会社に所属せずフリーで映画界で活躍した人。小津や溝口や成瀬など巨匠に重用されたのに加えて、山田典吾と現代ぷろだくしょんを設立して『蟹工船』や『黒い潮』などで監督業にも進出しましたから、経験という意味ではそこらへんの実業家以上のものを持っていたんでしょう。発声の仕方や笑い方なども完璧にコントロールされていて、有馬勝平というキャラクターを具現化していました。

山本薩夫の演出も非常に手堅くて、シネマスコープの画角を活用しつつほんの少しキャメラを動かしてフレームを変える手法が冴えていました。例えば山村聰が若尾文子を呼び出して三年間の愛人契約を提案する料亭のシーン。画面の両端に二人を置いた横からのショットに斜めからのバストショットを交互に織り交ぜ、嫌ならこの話はなしだねと突き放す山村聰に対して若尾文子がすがるように愛人になることを了解します。ここでキャメラは若尾文子のスカートから出た足を舐めるようにティルトアップしてお猪口を差し出す動作を映し出してカット。いかにも見事に若い女を篭絡させた勝平の老獪さが映像化されていました。

また何を言われても従順だった丹阿弥谷津子が訴訟を取り下げろという勝平の電話に反旗を翻すところ。やや下から丹阿弥を撮ったショットがフラーっと右にパンすると壁に増女の能面が飾ってあって、その微妙な笑いの表情が丹阿弥演じる妾かね子の積年の恨むつらみを表現するかのようでした。鉄道敷設公聴会での西北鉄道と関東開発の重役たちを横なめで映していく移動ショットは『白い巨塔』の裁判シーンでも繰り返されることになる人物紹介になっていましたし、導入部で寝室の襖を閉めただけで坪内美詠子演じる民子が妾であることがわかるというシンプルな描写も含めて山本薩夫の映像演出にはキレがあって、茶室の場面転換のようなメリハリも効いているためか2時間半の長尺を飽きずに見ることができました。

そんなわけで中盤くらいまでは「これは『白い巨塔』にも匹敵する傑作なのでは?」と思わされたのですが、若尾文子演じる愛人が姿を消し、伊藤孝雄の平次郎がライバル関東開発の入社試験を受けるあたりから、話がこんがり始めてしまって収拾がつかない様相になってきます。若尾文子もパリ留学した川崎敬三も映画の後半には話題にも上がりませんし、新線の駅設置を巡る住民や賃上げ対策で第二組合を作る画策もセリフの上だけで片付いたことにされてしまいます。そもそも競争相手の関東開発は有馬勝平の西北電鉄による新線での土地値上がりでほんの少し儲けただけで、「箱根戦争」のような開発競争にまでは発展しません。山村聰の存在感によってスケールが大きい作品のように思えたのは中盤までで、終盤はそれらの伏線があちこちにバラけていくだけの尻すぼみ状態で終わってしまいました。西北学院という技術系の学校を建設するのは、堤康次郎が狭山市に作った「西武文理大学」のなぞりなのかもしれませんが、放火による火事もドラマチックな展開には至らなかったですね。

最悪なのは開通した支線の電車が踏切の差し掛かったところでトラックと衝突するというラスト。踏切で立ち往生したトラックが反対派住民による抗議によるものなのか単なる偶発的事故なのかが判然とせずにもやもやしますし、線路脇に放置されたトラックのつぶれた残骸は電車の運行にとって何を意味するのかもわかりませんでした。おまけにそれに続くラストショットが山村聰の不敵な笑いという意味不明な終わり方で、2時間半の長尺のまとめ方としては全く期待外れでした。

有馬勝平の複雑な女性関係や人間関係を描きながらいろいろな難事が立ち上がってくる前半をさばくだけで新藤兼人も力尽きたのかもしれませんし、石川達三の原作が堤康次郎存命中に執筆されていたことで後半に筆が鈍ったということかもしれません。脚本の粗さが本作後半の失速につながっていて、小林節雄のキャメラも池野成の音楽もそれなりの大作感があっただけに残念でした。俳優陣では、ライバル社に土地の価格を吊り上げさせる見明凡太郎や会社の金を土地に流用してしまう高松英郎、日照権を主張しながら金の入った封筒を渡されて満更でもない加藤嘉、口髭をたくわえていかにも重役然とした潮万太郎などの脇役がそれなりにフィーチャーされていて、大映オールキャスト的な豪華さがありましたね。

そして当時は有馬勝平的な実業家は資本主義の権化として糾弾されるべき時代背景があったのだと思われ、昭和40年代になると学生による大学紛争が激化し新左翼運動が高まりを見せる時期に当たります。なので山本薩夫の基本スタンスは市民の権利を奪う強欲な事業家である勝平は明らかに悪役であり、その意味で本作はピカレスクものという位置づけだったでしょう。しかしながら、現在の視点で見直すと有馬勝平は単純な悪党ではなく、高度成長期を支えた昭和的なワンマン経営者であってこういう抜きん出た個性をもつ突き抜けた実業家が現代日本のインフラづくりに貢献したという見方もできてしまいます。成熟化した現在では住民の権利を無視した開発など到底実現できませんから、鉄道新線の開発をしようとしたら土地の買収だけで何十年の時間が費やされることでしょう。そうしたあれこれをひとりの辣腕経営者が突破していく様子は別の見方をすれば爽快でもあり不可能を可能にする万能さを感じさせます。山本薩夫の意図とは正反対の見方になりますけど、本作は単純なピカレスクではなく日本の経済発展史に名前を遺す経営者の記録とも言えるのではないでしょうか。

そんな中で竹雄を演じた川畑愛光は川島雄三の『しとやかな獣』で芸能プロの金を使い込む息子役を演じていた人ですが、本作では詩人を志す妾の子供という複雑な境遇を表現するにはやや物足りない演技でした。というのも竹雄こそ康次郎からの遺産相続の権利をすべて放棄して、倒産寸前の武蔵野デパートの経営権のみを受け継ぎ、西武百貨店として再生させてセゾングループに発展させた堤清二その人に他ならないからで、辻井喬のペンネームで優れた詩や小説を発表する作家の若い頃とは思えないような凡庸さだったのが惜しまれます。(A062826)

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