帰らざる河(1954年)

マリリン・モンロー主演の西部劇はロッキー山脈沿いの河下りが見せ場です

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、オットー・プレミンジャー監督の『帰らざる河』です。主演はマリリン・モンローとロバート・ミッチャムで、アメリカ北西部のロッキー山脈にある急流をイカダで下っていく河下りが物語の基本線になっています。マリリン・モンローは『紳士は金髪がお好き』『百万長者と結婚する方法』に出演して、本作以降は一気にハリウッドのセックスシンボルとして大スターの道を駆け上ることになります。前作が二本ともミュージカルだったこともあって、本作では酒場の歌い手として歌を数曲披露する場面が作られていますが、歌手としても一流の表現者であったことが伝わるような歌声が印象的です。

【ご覧になる前に】「There is a river」とモンローが歌う主題歌が有名です

ゴールドラッシュに沸く金鉱近くの町にマットは自分の息子を探しにやってきました。息子を預かってくれていた酒場の歌い手ケイは恋人のハリーとともにハリーがイカサマ賭博で手に入れた金鉱の権利書を登記するためイカダを使ってカウンシルシティに向います。マットは息子とともに山のふもとで農業を始めようとしますが、近くの川にハリーとケイのイカダが流されてきました。マットは二人を救助して食事を与えるのですが、登記を急ぐハリーはマットのライフルと馬を奪って、ひとりカウンシルシティに旅立ってしまいます。残された三人はいつのまにか先住民たちに取り囲まれていたのでした…。

マリリン・モンローが「There is a river called “River of No Return”」と歌う本作の主題歌を作曲したのはライオネル・ニューマン。兄のアルフレッド・ニューマンは20世紀フォックス社のスタジオロゴがサーチライトで照らされるときのあの有名なファンファーレを作曲した人で、晩年の『大空港』の音楽なんかは映画音楽の王道とも言うべき傑作でした。この主題歌のほかにマリリン・モンローは酒場で3曲くらいソロを聞かせてくれますが、どれもギターやアップライトピアノのシンプルな伴奏のみで、少しハスキーなマリリンの歌声がしっかりと歌の情感を伝えるのを聴くことができます。

原作のルイス・ランツも脚本のフランク・フェントンも本作以外これといった作品を残していませんので、たまたまマリリン・モンロー向けの企画用に間に合わせたシナリオを即席で作ったのかもしれません。監督のオットー・プレミンジャーはオーストリアからハリウッドに渡った人で、本作以降には『黄金の腕』や『栄光への脱出』など有名作を監督しています。全く知りませんでしたが俳優もやっていて、ビリー・ワイルダー監督の『第十七捕虜収容所』ではドイツ軍の収容所長を演じていたのだそうです。

タイトルが示す通り本作のもうひとつの主役が川そのもので、ロケーション撮影はカナディアン・ロッキーのボウ川で行われました。途中には水が渦巻いて流れ落ちるボウ滝があって観光名所になっているようですが、もともとは川の側に生える木を先住民たちが弓に使っていたことからBow(弓)Riverと名付けられたんだそうです。全長600km以上の長大な川なので、撮影はその中のごく一部を使ったのみだったんでしょうね。本当にイカダで下って行かれるような川なのかどうかは、場所によるみたいです。

【ご覧になった後で】内容はともかくモンローを楽しむための映画でした

この映画を見ると、マリリン・モンローは映画会社にとっても将来のスターとして大いに期待された女優だったことがわかります。はっきりいってプロットもいい加減ですし、キャラクターの描き方も浅いのですが、とにもかくにもマリリン・モンローを見てくださいというだけの映画で、しかもそれで十分楽しめてしまう作品でした。

歌の場面はもちろんですが、河下りに場面転換したあともモンローのジーンズ姿から始まって、洞窟では裸になって毛布にくるまるシーンが出てきますし、イカダの上では水浸しになって白いシャツからボディラインがくっきりと浮かび上がるようなショットまでしっかり見せてくれます。なんだか20世紀フォックスもオットー・プレミンジャーもマリリン・モンローを女優ではなくグラビアアイドル風に見ていたのかなと勘ぐってしまうような描き方で、それはそれで楽しめるのですが、モンロー本人はもっと違う撮り方をしてほしかったのかもしれません。実際に後年マリリン・モンローは本作を「最悪の映画だった」と振り返っていたようですし、オットー・プレミンジャー本人も途中でイヤになってしまい、撮影の仕上げや編集段階では『足ながおじさん』を撮ったジーン・ネグレスコに任せてどこかに行ってしまったという逸話も残っています。

その河下りですが、激流にのまれるイカダを超ロングショットでとらえる場面では三人のスタントマンが演じていて、モンローとミッチャムと子役が本当に演じているのは川岸にごく近いところでしっかり係留されたイカダの上の場面だけなんだとか。あとはスタジオ内でスクリーンプロセスを背景に撮影されたショットとのカッティングで激流下りのアクションシーンが構成されていまして、これがなんとも盛り上がらないんですよね。滝にさしかかってイカダごと落とされるとか、狭い渓谷の巨大な岩に激突するとか、そんなサスペンスはいくらでも演出できたと思うのですが、ただ漫然とイカダが川の流れに乗っかって流されていくというだけの映像に終始しています。唯一ロバート・ミッチャムがイカダから落ちて櫂につかまるという程度で、あそこも櫂につかまったままでは身体が川底の岩に擦れたりしてかえって危ないのではないかと思ってしまいました。

そんな河下りの描き方を見るとオットー・プレミンジャーもやる気がなかったのかと思うものの、冒頭の金鉱の町の描写はなかなかスタイリッシュなものでした。ロバート・ミッチャムが馬に乗ってやって来るのをロングショットで捉える場面では、息子の居場所を町の顔役に聞いている後ろで、馬車にのった娼婦たちが川に落ちそうになって荒くれ男たちに抱かれて去っていくという小芝居が展開されます。そこからミッチャムが酒場に向うまでが長回しのワンショットになっていて、ここらへんの雰囲気の出し方は見事なものがありました。余談ですが、このころのロバート・ミッチャムはほとんどアル中状態の酒乱で、それがオットー・プレミンジャーのやる気を失くさせた一因でもあったようですよ。

ちなみに衛星放送で放映されたバージョンで見たのですが、ほとんどの映像がレストアされて鮮明になっている一方で、オーバーラップやフェイドイン、フェイドアウトのショットはレストアされずに元の退色して輪郭も滲んだような昔のフィルムがそのまま残されていました。現像処理で画面を溶暗させたりする部分のレストアは技術的に難しいのか、それをしっかりやるとコストがかかるのか知りませんが、期せずしてレストア前とレストア後の映像比較ができてしまって、デジタル技術によっていかに昔のクラシック映画が見やすくなっているのかがよくわかる観賞機会になったのでした。(V042522)

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