博士の異常な愛情(1964年)

核戦争勃発の恐怖をブラックコメディにしたキューブリック監督の傑作です

《大船シネマおススメ映画 おススメ度★》

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、スタンリー・キューブリック監督の『博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』です。1962年10月に起きたキューバ危機は米ソ間の緊張が高まり核戦争一歩手前で踏みとどまる背筋が凍るような事件でした。本作は核戦争が現実になるという状況を深刻なタッチではなく風刺喜劇的に描いていて、スタンリー・キューブリックの最後の白黒作品であると同時に、最高傑作のひとつにあげる人も少なくない作品です。イギリス人俳優ピーター・セラーズが主要な三役を演じ分けているのも見どころで、セラーズは複数の役を演じた俳優でははじめてアカデミー賞にノミネートされました。

【ご覧になる前に】狂った将軍が出した核攻撃命令を止められるかというお話

北極圏にあるズーホフ島にソ連が究極の破壊装置を設置したという噂が流れる中、アメリカのバープルソン空軍基地ではジャック・D・リッパー准将がマンドレイク大佐に「R作戦」の実行を命じます。「R作戦」とはアメリカがソ連から核攻撃を受けて政府中枢の指揮命令系統が混乱した場合に下級指揮官の判断でソ連へ報復攻撃を行うもので、リッパー准将はソ連の情報攪乱戦に惑わされないよう基地を完全封鎖しすべてのラジオを回収するよう指示します。参謀本部のタージドソン将軍は水爆を搭載した数十機のB-52爆撃機が出撃したことを知ると、ペンタゴンの作戦室に集まったマフリー大統領以下政府首脳の緊急会議で撤退暗号を発信しないと命令は取り消せないと釈明するのでしたが、コング少佐が率いるB-52はソ連機の攻撃を受けて通信装置を破壊されてしまっていたのでした…。

1962年10月から11月にかけて勃発したキューバ危機は、キューバでのソ連による核ミサイル基地建設に対抗してアメリカがキューバ近海を海上封鎖したことから両国間の緊張が一気に高まり核戦争の一歩手前まで状況が悪化した大事件でした。この事件の教訓をいかしてホワイトハウスとクレムリンを結ぶ直通電話「ホットライン」が設置され、アメリカ大統領とソ連書記長がいつでも直接会話できるようになり、翌年には米ソ間で部分的核実験禁止条約が締結されて、核戦争を起してはいけないという緊張緩和の機運が高まっていくのでした。

原作はピーター・ジョージが書いた「Red Alert」という小説。核兵器の保有によって世界平和が保たれているという異常な状態を研究していたキューブリックが政治や経済学の専門家から評価を受けていた「Red Alert」の映画化権を獲得して、原作者のピーター・ジョージと二人でシナリオ作成に取り掛かりました。そこに主演のピーター・セラーズが紹介したテリー・サザーンが加わることになり、原作は緊迫した状況をリアルに描いたものだったそうですが、逆に風刺を利かせたブラックコメディにするという方針に変更されてテリー・サザーンが中心になって新たな脚本が完成したのだとか。ここらへんはそれぞれによって言い分が違っているようですが、キューブリックと二人で書き上げたと主張していた原作者ピーター・ジョージは本作完成後の二年後に亡くなっていまして、死因は自殺だったそうです。

主演のピーター・セラーズはマンドレイク大佐、マフリー大統領、ストレンジラブ博士の三役を演じていて、当初はB-52のコング少佐までやる予定だったそうです。両親が芸人という家庭に生まれたセラーズは二歳のときから舞台に立ち、従軍していたときには慰問の舞台に立ったり上官のモノマネをしたりして芸を磨いていきました。一人で何役ものキャラクターを演じ分けることができる才能に着目したコロンビア・ピクチャーズは、キューブリック監督にピーター・セラーズを主演にするという条件で本作への出資を決め、製作費の半分以上はピーター・セラーズの出演料に費やされました。ピーター・セラーズは1963年の『ピンクの豹』で演じたクルーゾー警部役で人気に火がつき本作の怪演でその名声を確立しましたが、本作出演後に心臓発作に襲われます。なんとか一命をとりとめてペースメイカーを入れて俳優を続けていましたが、1979年に出演した『チャンス』でアカデミー賞にノミネートされた翌年の1980年に再発し帰らぬ人となってしまいました。享年五十四歳の惜しまれる死でした。

映画の冒頭に「この映画で描かれているような事故は絶対に起こりえないとアメリカ空軍は保証する」という字幕が出てきますが、本作の構想を聞かされたアメリカ空軍は撮影協力を全面拒否し、B-52の機内はたった一枚だけ存在した写真をもとに再現されました。また空軍基地やペンタゴンの作戦会議室もすべてセットで建てられたもので、アートディレクターはピーター・マートン。本作のあとには007シリーズのプロダクションデザイナーとして活躍することになります。キャメラマンのギルバート・テイラーは戦後のイギリス映画でキャリアを積んだ人で、本作のすぐ後には『ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!』を撮っていて、ヴィヴィッドな映像で若き日のビートルズを映像化しています。そしてなんと1977年にはあの『スター・ウォーズ』の撮影監督をつとめるまでになりましたので、本作はギルバート・テイラーにとってのスプリングボードになったのでした。

【ご覧になった後で】とてつもなく怖いのに笑えてしまうすごい映画でした

いかがでしたか?核戦争に本当に突入してしまうとてつもなく恐ろしく怖いお話なのに、なぜかゲラゲラと笑えてしまうとんでもなくすごい映画でしたね。スタンリー・キューブリックといえば『2001年宇宙の旅』がオールタイムベストでトップに選出されるほどの代表作になっていますが、もしかしたらこの『博士の異常な愛情』のほうがキューブリックらしさが一番表現されている傑作なのかもしれません。空軍基地と作戦本部と爆撃機の三つの場面がカットバックする展開は脚本の見事さのおかげですし、それを息もつかせぬサスペンスで盛り上げながら間の取り方が絶妙な演出とキャラクターを設定以上に誇張して印象づける俳優たちの演技が最高に楽しめました。ジャンル的には戦争映画でもありコメディでもあり政治劇でもあるというオールラウンダーで、本作のようなひとつの枠にはまりきらない映画が本来の映画的映画のような気もします。

本作以降、キューブリックはカラー作品しか撮っていませんで、カラー化後の作品ではスローモーションを効果的に使ったり音楽と映像を一致させたり望遠レンズや超クローズアップで画面に変化を出したりして、映像演出家としての個性を存分に前面に押し出すことになります。しかし本作でのキューブリックはあくまで黒子に徹していて、とにかくシニカルなシチュエーションをコメディタッチとサスペンス演出を混ぜ合わせて緩急をもって語っていく演出に終始しています。緩急というのは場面設定ごとの演出の差配のことでして、作戦本部ではドタバタ喜劇調で俳優の演技をじっくりととらえ、B-52爆撃機では短いショットを連打してじっくり考えるヒマもなく作戦を実行し不測の事態に即断即決で行動する軍人たちをキビキビ映し出します。そして空軍基地ではリッパー准将の狂気を不気味に浮かび上がらせる前半とコカ・コーラの自販機を壊すところまでのちぐはぐさをシチュエーションコメディ的に描いていきます。場面ごとのカットバックによって、緩急のある語り口がさらに効果的に増幅されていましたね。

俳優ではやっぱりピーター・セラーズの演じ分けが見事でした。英語の訛りなど微妙なニュアンスが理解できないのでそこは残念ですが、たぶんストレンジラブ博士のドイツ語訛りだけではなく、大統領や英国大佐でそれぞれセリフの話し方に細かい芸が隠されているんでしょう。メイクアップの助けもあるとは思いますが、これで爆撃機のコング少佐まで演じていたら本当にすべての場面をひとりの俳優が中心に引っ張っていく映画ならではの演技が見せられたかもしれません。撮影中の事故でセラーズが足を怪我してしまい。コックピットに入れなくなってしまったので断念したそうですが、完璧主義のセラーズはコング少佐のテキサス訛りが納得できるレベルで話せなかったので、四役をやるのは消極的だったという話も伝わっています。

もちろんピーター・セラーズだけではなくジョージ・C・スコットのアメリカ軍人っぽい演技も面白くて、常にガムを噛みながらその場しのぎの言い訳や言説をぶちまけていく瞬発力キャラをいかにもな感じで演じていました。作戦本部でしゃべっている途中で転んでしまう場面は、本当に足がもつれてジョージ・C・スコットが転倒したのにそのまま演技を続けたため、キューブリックが演技なのかと思って採用したんだとか。終盤にストレンジラブ博士が地底移住計画を説き始めたときに「一夫多妻制」という案が出てきた途端に乗り気になってくるあたりがタージドソン将軍の人格的軽さを表現していました。

そしてやっぱり圧巻はスターリング・ヘイドンでしょうか。本作以外では『ゴッドファーザー』でアル・パシーノに殺される刑事役あたりくらいしか思いつかないのですが、リッパー准将のあの仰角でとらえた核攻撃宣言のクローズアップショットはいつでも思い出せる名場面というか名ショットのひとつだと思います。あそこでこのショットを使ったキューブリックの演出もスゴイですが、仰角に堪え得る演技と顔貌のヘイドンがいなかったら成立しないショットでした。スターリング・ヘイドンは第二次大戦中は戦略情報局のエージェントだったそうで、ハリウッドに復帰してからはかつて共産党員だった過去を追及されて、追放対象から逃れるために非米活動委員会向けにいろいろな証言をしてしまうという過去をもっていました。なかなかいい役が回ってこなかったのはそんな経緯があったからだったんでしょうか。

本作を最初に見たときに一番印象的だったのがラストにかかる「We’ll meet again」だったのですが、この曲はイギリス女優ヴェラ・リンが歌った同名ミュージカル映画の主題歌。1943年の第二次大戦中に上映された映画で、従軍した兵士たちに向けて「生きてまた会いましょう」と励ますための歌でした。「We’ll meet again, Don’t know where, don’t know when. But I know we’ll meet again, some sunny day.」という歌詞は核戦争で滅亡した人類にとっては皮肉な内容ですし、一方では地底移住計画が実現されれば再び太陽の下で会うことを期待する意味にも取れます。核実験できのこ雲が立ち昇る映像がどれも意外なまでに美しいのもあいまって、人間が生み出した最悪で最強の兵器の恐ろしさがこの歌で際立っていたように思います。

蛇足ですが、本作には性的なメタファーがあちらこちらに隠されていることでも有名で、まずタイトルバックの空中給油の様子からして非常に猥褻な感じで映し出されています。また登場人物の名前もすべて性的隠語をふまえて名付けられているそうで、そんなところもこの映画のブラックコメディ度を高めているんでしょうか。ちなみに正式タイトルが長ったらしいことも本作を有名にしている要素ですが、日本で公開された映画で最長のタイトル作品は『マルキ・ド・サドの演出のもとにシャラントン精神病院患者たちによって演じられたジャン=ポール・マラーの迫害と暗殺』で、1967年にピーター・ブルック監督がベルリンの舞台劇を映画化した作品でした。文字数も多いし全部いうのもかったるいので一般的には「マラー/サド」と呼ばれています。(A091722)

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