俺たちに明日はない(1967年)

銀行強盗ボニー&クライドを主人公にしたアメリカンニューシネマの傑作です

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、アーサー・ペン監督の『俺たちに明日はない』です。原題の「Bonnie and Clyde」のとおり、1930年代にアメリカ中西部で銀行強盗を働いたボニー・パーカーとクライド・バロウのコンビを主人公にしていまして、アメリカンニューシネマの嚆矢ともいえる作品です。主演のウォーレン・ベイティはプロデューサーも兼ねていて、出演料を出し渋ったワーナーブラザーズは本作がヒットしないと思い込んで配給収入40%をベイティの取り分としました。フタを開けてみたら大ヒットとなってベイティは3000万ドル近い大金を手にすることになったのでした。

【ご覧になる前に】1930年代の世相がボニーとクライドを支持しました

刑務所を出所したばかりのクライドは、車を盗もうとしているところをボニーという娘に見つかってしまいますが、二人は意気投合してそのまま盗んだ車で町を出ていきます。預金を強奪しようと飛び込んだ銀行がすでにつぶれていたり、食料品店主を銃で脅したら巨漢の店員に殴られたりとドジを続ける二人でしたが、車の整備と運転が得意なCWモスという相棒を見つけると、三人組になって銀行強盗を重ねていきます。そこへクライドの兄バックと妻ブランチが合流して、「バロウギャング」の五人組は新聞紙面を賑わすような犯罪の道へと進んでいくのでした…。

ボニーとクライドは1934年5月に150発以上の銃弾を浴びて絶命するまでアメリカ中西部で銀行強盗と殺人を繰り返した凶悪犯でした。彼らの銀行強盗の手口は金銭を奪うとたちまちに逃走して州境を越えてしまうのが特徴で、当時の州警察は自州のエリア以外では捜査に手出しすることができなかったので、深追いされる心配がなかったのです。アメリカ中西部のテキサス州、ルイジアナ州、ミシシッピ州、アーカンソー州、オクラホマ州を縄張りとしながら、銀行強盗のたびに行員や警察官を銃撃し、犠牲者は13人に及んだといいます。それでも「バロウギャング」が大衆から注目されたのは、新聞が彼らの犯行を書き立てたことと、大恐慌の余波を受けてアメリカ国民全体が不況に喘いでいた中で一部の権力者が独占していた富をいとも簡単に強奪してしまう義賊的な振る舞いに胸のすく思いがしたからでした。

脚本を書いたデヴィッド・ニューマンとロバート・ベントンは「エスクワイア」誌の編集者で、ボニーとクライドのバイオグラフィを読んでシナリオ化に取り組みました。その脚本に注目したウォーレン・ベイティが自らプロデューサーとなって製作にこぎ着けたのだそうです。当初はフランソワ・トリュフォーに監督を依頼する案もあったそうですが、トリュフォーはイギリスで『華氏451』の製作に入っていて実現せず、『奇跡の人』や『逃亡地帯』を撮っていたアーサー・ペンが監督に起用されました。けれども撮影現場ではウォーレン・ベイティとアーサー・ペンはいつも対立していて、特にアーサー・ペンはボニーとクライドが死ぬフリをする場面を追加しようとして、ウォーレン・ベイティが強く反対するというような見解の不一致があったそうです。そもそもウォーレン・ベイティ自身がクライド役で出演するつもりはなく、ボニー役には一時は姉のシャーリー・マクレーンをあてる計画もあったのだとか。結果的に自分がクライド役をやることになって、姉弟の共演は見送られたらしいです。

キャメラマンのバーネット・ガフィは本作でアカデミー賞撮影賞を受賞しておりまして、アメリカ中西部の乾いた空気感を映像化することに成功しています。しかし撮影中はガフィが明るい色調で撮ることを主張したのに対してアーサー・ペンが落ち着いたトーンを要求したため、一時はガフィが撮影監督の場を降ろされて、『五月の七日間』を撮ったエルスワース・フレデリックスに交代させられたのだとか。結果的にはアーサー・ペンがガフィの方針のほうが正しいと矛を収めてガフィを復帰させたんだそうです。

またバンジョーのメロディが印象的な音楽を担当したのはチャールズ・ストラウス。この人は『バイ・バイ・バーディー』や『アニー』などのミュージカル映画で作曲をしていて、アニーが歌うあの有名な「Tomorrow」なんかもチャールズ・ストラウスの作品なのです。そんなミュージカル映画を得意としたチャールズ・ストラウスのバンジョーによる挿入曲が本作における逃げて逃げて逃げまくる逃走シーンをコミカルに盛り上げていて、殺伐としがちな映画の内容におかしみを与えているのでした。

【ご覧になった後で】バロウギャングの五人がそれぞれ個性的で魅力的でした

いかがでしたか?アメリカンニューシネマの先駆けともいわれる本作ですが、全く湿ったところがなく爽快ささえ感じられる作品でした。基本的には犯罪映画なのですが、青春群像劇とでもいいましょうか、バロウギャングの五人組のひとりひとりに非常に個性があって、そのキャラクターが全員魅力的なんですよね。観客はいつのまにかこの五人に魅了されていて、悲劇的な結末を迎えるのが惜しいような悲しいような気分にさせられます。

クライドを演じたウォーレン・ベイティは、かつては「ビーティ」の表記だったのでなんとも違和感があります。でも本人が来日した際に当時プロモーションしていた映画配給会社に「ベイティのほうが本当の発音に近い」と訂正させたそうですので、ウォーレン・ベイティと呼ぶことにしましょう。実在のクライドさんはホモセクシュアルだったらしく、本作ではそれをベイティの意向で性的不能者に設定変更したのだとか。そんなこともあり、銀行強盗を繰り返す無法者でありつつもどこかナイーヴな感受性をもった奥行きのあるキャラクターになっていて、その繊細さをベイティがうまく演じていたと思います。

一方でボニー役のフェイ・ダナウェイは金髪と痩身がボニーにぴったりでしたね。特にシーンごとに変わるファッションが魅力を倍増していて、衣裳デザイナーはセオドラ・ヴァン・ランクルという女性です。この人は後に『ゴッドファーザー パート2』の衣裳デザインもやるようになりますが、本作が映画界での初仕事でした。ボニーがベレー帽を被ったことで、本作公開後に世界的にベレー帽が大流行したそうです。

またジーン・ハックマンは本作でアカデミー賞助演男優賞にノミネートされた以降、ハリウッドを代表するスター俳優になっていきましたし、CWをやったマイケル・J・ポラードも同賞にノミネートされて個性的な脇役として活躍するようになります。そして助演女優賞でオスカーを獲得したのがエステル・パーソンズ。この三人ともに演技はメチャクチャ上手で、下手なジョークを繰り返す話好きなバック、悪ぶっているけど誠実で父親にも素直に従うCW、そしてボニーに敵対心を抱きながらいつもすぐにわめき声をあげてしまうブランチがそれぞれ印象的でした。バロウギャングのサブメンバーたちが画面に生き生きと焼き付いたのは、彼らの演技の賜物でしょう。

また、1970年代に『ヤング・フランケンシュタイン』や『大陸横断超特急』で活躍することになるジーン・ワイルダーが車を盗まれたうえに誘拐までされてしまうおっとりした金持ち男の役で出ているのも見どころでした。「ぼくのはウェルダンのはず」とかトッポいセリフを言うあの演技は映画初出演とは思えません。

そしてアーサー・ペンの演出は開巻すぐの場面でボニーのけだるい日常を描くショットが、動きを無視したカッティングをしていて、ヌーヴェル・ヴァーグの影響をモロに受けているのを隠そうともしない潔さがありました。たぶん低予算で撮られたのでスクリプターなども置いていなかったのかもしれませんけど、ショットの切り返しでボニーの手の位置が一致していなかったり細かい撮影上のミスが散見されるのですが、それが逆に奔放で斬新なカッティング効果をあげています。また、ボニーが故郷に帰って母親と再会する場面の靄がかかったような幻想的な場面づくりや、ボニーが平原の中を歩きだすのをクライドが追いかけるクレーンショットでも雲間に光がさえぎられるところなども、即興的な演出だったようですが本作の雰囲気を醸し出すのに非常に重要な役割を果たしていました。

そしてアーサー・ペンの一番の功績は、ラストの銃弾を浴びる直前、互いにニヤリという笑顔を浮かべて見つめ合うボニーとクライドのクローズアップショットを短くインサートしたことでしょうか。もちろん銃弾まみれになるエンディングもショッキングですが、その死を予感した二人が心を通じ合わせる演出が本作を爽やかな映画に昇華させる究極の演出だったのではないでしょうか。

それにしても「Bonnie and Clyde」という原題に対して『俺たちに明日はない』という邦題をつけた日本の配給会社の宣伝マンはなんという素晴らしいセンスの持ち主だったことでしょう。ダメな邦題もたくさんありますけど、これは作品の本質をそのまま表現していて、単なるコンビ名だけの原題よりもはるかに記憶に残る見事な題名でした。ワーナーブラザーズの日本支社の人が名付け親だと思われますけど、コピーライターではないので、誰の仕事だったのか記録されていないんですよね。でもたぶん日本中の映画ファンがみんな残らず絶賛しているのは間違いないでしょう。こん名タイトルをつけてもらって、本当にありがたいことでした。(V060222)

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