荒野のストレンジャー(1973年)

クリント・イーストウッドが主演兼監督した二本目の作品は西部劇でした

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、クリント・イーストウッド監督の『荒野のストレンジャー』です。イーストウッドは1971年に製作された『恐怖のメロディ』で初めて監督をつとめましたが、本作はそれに続き二本目の監督作品で主演も兼ねています。前年に西部劇『シノーラ』に主演したイーストウッドはジョン・スタージェス監督とウマが合わなかったらしいので、『荒野の用心棒』や『続・夕陽のガンマン』などのマカロニウエスタンで新しい西部劇を作り上げたイーストウッドとしては、自らオリジナル西部劇を作ってみたくなったのかもしれません。ユニバーサル映画で市井の人から見殺しにされるというプロットを見かけたイーストウッドは、そこからちょっと他にはないテイストのミステリー風西部劇を作り出したのでした。

【ご覧になる前に】モノ湖の湖畔に建てた町のセットで撮影されたそうです

ひとりの流れ者のガンマンが湖の畔にある小さな町ラーゴにやって来ます。町の人々が遠目に眺める中で、三人の荒くれ者がよそ者ガンマンにちょっかいを出そうとした途端に、ガンマンはあっという間に三人を撃ち殺してしまいました。三人はこの町の用心棒で、一年前に町の人々が協力して刑務所送りにした悪党が釈放されて町に復讐しにくることに備えて雇われていたのでした。町の町長や保安官は用心棒が殺されてしまったことで対策を考えるのですが、そのガンマンを代わりに雇うしかないと決心し、ガンマンに町の警護を引き受けてほしいと依頼します。するとガンマンは町のあらゆるものを自分の自由にしていいなら引き受けるという条件を出したのでした…。

本作の脚本を書いたのはアーネスト・タンディマン。1971年にウィリアム・フリードキン監督の『フレンチ・コネクション』でアカデミー賞脚色賞を受賞した人です。『黒いジャガー』で主人公の私立探偵シャフトを創作した人でもあり、TVドラマで多くの脚本を提供したのちには『シャフト』という小説シリーズを書いたりしています。イーストウッドが興味をもったプロットを、時代も場所もあえて曖昧にしたまま西部劇という衣だけを借りてミステリー風に仕立てたのがタンディマンでした。このオリジナル脚本が本作の決め手になっていることは間違いないと思います。

クリント・イーストウッドは本作のためにアメリカの様々な場所を探した結果、カリフォルニア州のモノ湖を見つけたそうです。モノ湖はアルカリ性で塩分濃度が高いため魚などは生存できない環境なのだとか。映画の冒頭で平原を馬で疾走するイーストウッドの背景にモノ湖が映し出されるのですが、大自然というよりは広大な水の墓場のような雰囲気で映っているのはそのような過酷な環境のためかもしれません。この湖の畔にラーゴという町をつくるためオープンセットを建てて、本作の撮影が進められました。セットは建物によっては内装まできちんと作られたので、室内シーンもほとんどこのモノ湖の屋外セットで撮られたものなんだそうです。これだけのセットを作ったのにイーストウッドは予算内で、しかも製作スケジュールをしっかり守って本作を完成させました。クリント・イーストウッドの監督作品はエンターテイメントとして面白く見られることももちろんですが、このように予算と納期を守ることで出資者や配給会社からの信頼を獲得したのかもしれません。もちろん本作も自分の製作会社であるマルパソプロダクションが共同製作していますので、自分の資金をうまく使うことも頭にはあったのでしょう。でも監督第一主義が行き過ぎて予算やスケジュールを守らない監督が増えるといった傾向とは真逆の、製作側にとって都合よく作品を完成させてくれるイーストウッドは、俳優としてのネームバリューに加えて映画製作者としての経営的な有能さが周囲から認められたのではなかったでしょうか。でなければ、本作のあとに次々と主演兼監督作品を世に送り出せるわけがないと思います。

イーストウッド以外は特にこれといった俳優が出演しているわけではありませんで、ただ町に復讐に帰ってくるステイシー役のジェフリー・ルイスだけは本作をきっかけにイーストウッド・ファミリーに加わって、『ブロンコ・ビリー』や『ダーティファイター』『ピンク・キャデラック』などでイーストウッドと共演することになりました。娘のジュリエット・ルイスもよく知りませんけど結構有名なようですね。

【ご覧になった後で】普通の人の無関心・無関係を糾弾する復讐劇でしたね

いかがでしたか?これはちょっと異色の西部劇で、西部劇というよりはひとつの小さな町を舞台にして市井の人々による無関係・無関心な姿勢がいかに卑劣なものであるかを糾弾するような、そんな復讐劇になっていましたね。イーストウッドがユニバーサル映画で目にしたプロットはニューヨークで起きた事件を題材にしていたそうですが、それを死んだような塩湖の畔の孤立した町を舞台にするために、あえて西部劇というジャンルを選んでみたという感じがしました。ラーゴというのはスペイン語で「湖」を表す単語で、その町の標識が映画の終盤では赤い文字で「HELL」に書き換えられていたのが、町自体を主人公にした作品であることを象徴していたように思います。

この町で以前に起きた悪党と町の人々の共謀による保安官殺し。それが本作のミステリーのキモとなる過去の事件なわけですが、この出来事の回想が映像の歪みと不安定な音楽によって夢うつつのように描かれていて、ここらへんが監督第二作の浅いキャリアしかないながらイーストウッドの天性の才気によるものではないでしょうか。同時にイーストウッド演ずる主人公の流れ者が、実は殺されたダンカンではないか、というのが本作のミステリー調を高めています。ダンカンがなぶり殺しにされる回想シーンで鞭打ちされているのはイーストウッドのように見えますが、実はイーストウッドのスタントマンをつとめていたバディ・ヴァン・ホーンがやっています。かつてはグレゴリー・ペックやジェームズ・スチュワート、ヘンリー・フォンダのスタントをしていたバディは本作以降はイーストウッドのスタントを長年担当するようになった人。なので、あの回想シーンの保安官がイーストウッドのように見えて、実はイーストウッドではないという撮り方が本作の核心部分に直結していて、こういうディテールが巧いんだなとイーストウッドの監督としての才能を垣間見る思いがします。

またラストシーンは、「保安官ダンカンここに眠る」という墓標を見せておきながら、流れ者ガンマンが去っていくと、その遠い後ろ姿が超ロングショットの片隅で逃げ水の中に溶け込むようにして消えていくという映像になっています。あれも巧いですねえ。なんでも脚本ではガンマンは殺されたダンカンの兄弟という設定だったそうですが、イーストウッドがそれをはっきりと描かずに、ダンカンの幽霊による復讐劇にも見えるように撮ったのだそうです。確かにダンカンの兄弟が周到な計画のもとに復讐したというのでは、本作の謎めいた雰囲気は半減してしまったでしょうし、死に絶えたような塩湖の光景と、人工的でかつ最後には赤く塗られる非現実的なラーゴという町の設定は、ガンマンの幽霊にこそふさわしいように見えますもんね。(V032222)

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