お転婆三人姉妹 踊る太陽(昭和32年)

日活オールスターキャストが集結したミュージカルコメディです。

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、井上梅次監督の『お転婆三人姉妹 踊る太陽』です。主演の三人姉妹はペギー葉山、芦川いづみ、浅丘ルリ子。ペギー葉山は本職の歌手ですが、芦川いづみはバレエを披露、浅丘ルリ子はメガネをかけてコメディリリーフとして活躍します。昭和30年代前半にこんな和製ミュージカル映画があったのは驚きで、しかもいい加減な作り方ではなく、しっかりとハリウッドミュージカルの基本パターンを踏襲しているのです。

【ご覧になる前に】昭和32年の日活お正月映画!めでたい雰囲気が満載です

滝家は洋裁店を経営する母親と三人姉妹の家族です。父親の滝信太郎はかつてはジャズのビッグバンドを率いる音楽家で、五年前に亡くなくなりました。三人姉妹は、まだ若くて美しい母親のことを気にかけて、なんとか再婚させようと企んでいたところ、都合のよいことに三女秋子の通う高校に新任の英語教師が赴任してきました。三人姉妹はふたりを見合いさせようと食事会を開催するのですが…。

映画の冒頭、「お転婆三人姉妹」のタイトルが描かれた回転扉から出演者が次々に飛び出して、キャッチコピーをひと言ずつ叫びます。その中で「1957年の青春!」というセリフがある通り、本作は1957年、すなわち昭和32年が始まったばかりのときに公開されたお正月映画。当時は元旦は家族団欒、二日は挨拶回りと決まっていたので、正月映画は必ず三日に封切られていました。本作も昭和32年1月3日公開作品。お正月にふさわしい日活オールスターキャストのミュージカルコメディです。

三人姉妹に加えて、母親役は轟夕起子で、まだ美しい未亡人がぴったりです。見合いの相手はなんと安部徹。悪役専門のはずが、再婚相手として合格点をつけられてしまう役で出演しています。さらには、ミュージカルシーンには南田洋子、月丘夢路、新珠三千代、北原三枝がゲストで出てきますし、男優陣はフランキー堺、岡田真澄に石原裕次郎と豪華な布陣を揃えています。石原裕次郎は前年の昭和31年に『太陽の季節』でデビューして『狂った果実』で初主演したばかりの新人の頃。新人らしい初々しさで浅丘ルリ子の相手役を演じています。もしかしたら二人の初共演作品かもしれません。

監督の井上梅次はこの年の暮れに『嵐を呼ぶ男』で石原裕次郎をブレイクさせた人。本作はどちらかといえば女優中心の少女漫画風な作品なので、堅実な演出に終始しています。三人姉妹の家庭は当時としてはブルジョア階級ともいえる二階建ての一軒家に住んでいて、その家の美術セットは松山崇がデザインしたもの。松山崇は東宝で黒澤明監督の『野良犬』や『生きる』『七人の侍』の美術監督をつとめた大物で、本作の前年にフリーになったので東宝以外の作品でも美術を担当することになりました。この松山崇のもとで修業したのが村木与四郎・村木忍夫妻です。加えて音楽を担当しているのは多忠修。これで「おおのただおさ」と読むのだそうですが、戦後のジャズブームの際にはビッグバンドのバンドマスターとして活躍した人なんだとか。本作でもそのジャジーな感覚が大いに活かされています。

【ご覧になった後で】ハリウッドのミュージカルスタイルをなぞった構成?

戦後は進駐軍の影響もあってジャズがブームとなり、さらにはハリウッドのミュージカル映画も相次いで公開されました。昭和28年にはジーン・ケリーの『雨に唄えば』とフレッド・アステアの『バンド・ワゴン』が映画館にかかっていますが、両作品に共通しているのが映画のクライマックスに劇中劇としてのミュージカルシークエンスが展開されること。すなわち映画本編のストーリーとは関係なく、出し物としての歌とダンスのスペシャル場面が挿入されていて、レビュー番組を楽しめるように構成されているのです。その構成をなぞったのが本作で、終盤になって登場人物たちが突然「それではここからはショーをお楽しみください」というような口上を述べると、映画は三章からなるレビューシーンに移行します。ここで日活の美人女優たちがゲスト出演するわけですが、南田洋子とフランキー堺が出るパリの街角は、『巴里のアメリカ人』(1951年・日本公開は昭和27年)のパロディになっています。月丘夢路がスリットの入ったタイトドレスで帽子を被ったギャング風の男たちと一緒に踊る場面は、『バンド・ワゴン』へのオマージュ、というかモノマネですね。それにしても北原三枝が石原裕次郎と一緒に「青春!」と歌い踊る場面で、スポーティな衣装の胸に堂々と「LOVE」と書かれていたのには思わず苦笑してしまいました。

クレジットタイトルに出てくる「コニカラー」。実はこの映画、コニカラーによる総天然色映画、すなわちカラー映画だったようです。今ではそのフィルムが失われているのかわかりませんが、白黒で記録されたものしか残っていません。コニカラーを生んだのは小西六写真工業。現在ではコニカミノルタという会社として存続している小西六は、日本ではじめて三層構造のフィルムでカラーを再現するコニカラーを開発したのでした。しかし昭和26年に富士写真フイルムが1工程現像のカラーリバーサルフィルムを発売し、そのフジカラーで撮影されたのが日本映画初のカラー映画『カルメン故郷に帰る』だったのです。本作は松竹映画の『カルメン故郷に帰る』の六年後に日活によって作られていますが、なぜか撮影に手間のかかるコニカラーで撮られています。『カルメン故郷に帰る』がカラーの発色を保つための光量が必要でオールロケで撮影されたのに対して、ほとんどスタジオ撮影で作られています。もしかしたらコニカラーのほうが撮影所の照明でも発色できる技術を備えていたのかもしれません。

それにしても浅丘ルリ子がまだ大人になりきる前の頃で、幼さの残る浅丘ルリ子はヒールも履かずに背が低いこともあって、本当に末っ子としての可愛らしさが感じられます。それに対して芦川いづみの清純さに注目が集まってしまいますね。イメージ的には浅丘ルリ子より芦川いづみのほうが年下っぽい感じがしていたのですが、実際は浅丘ルリ子は昭和15年生まれで当時十七歳。芦川いづみは昭和10年生まれなので二十二歳です。石原裕次郎の素人っぽさも相まって、若い俳優たちの力が、本作のあとで日活の隆盛期を作っていくのだなという勢いが画面からも噴き出しているような作品でした。(A112021)

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