ベストセラーとなった伊藤整のエッセイ集を東宝の藤本真澄が映画化しました
こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、市川崑監督の『女性に関する十二章』です。原作は伊藤整が雑誌婦人公論に連載したエッセイで、昭和29年に中央公論社から出版されると大ベストセラーとなり、出版界で「十二章ブーム」が起こるほどでした。その売れ行きに目をつけたのが東宝の名物プロデューサー藤本真澄。映画化権を獲得するとすぐに製作に着手し、伊藤整を特別出演させた映画は、ベストセラーの余韻が覚めやらぬ同年11月に公開されたのでした。
【ご覧になる前に】脚本は和田夏十、キャメラマンは三浦光雄が務めています
公園の白い看板の前で立っているミナ子は学生時代からつき合っている小平太と一緒に銀座に向います。書店で「女性に関する十二章」をミナ子が買い、二人は映画館に向うと満席で入れません。ミナ子の所属するバレエ団が溜まり場にしている喫茶店に入りますが、バレエ団から脱退するかもしれないというミナ子と係長に昇格したから結婚しようという小平太の話は噛み合わないまま、ミナ子はバレエ団の集会に行ってしまいます。残された小平太は都電の停留所で子どもを連れた銀行の同僚に会い、一緒に映画館で西部劇を見るのですが、子どものキャンディーで上着を汚してしまうのでした…。
戦時下において言論統制されていた日本の出版界は、戦争が終わると凄まじい勢いで活気づき、戦後まもなくは300社程度だった出版社の数は昭和23年には4600社にまで増えるほどでした。当時においてはメディアは新聞・ラジオ・映画と本・雑誌しかありませんでしたから、その中でも一番手っ取り早く起業できるのが出版だったのでしょう。もちろんその中にはいわゆる老舗の雑誌もあったわけで、中央公論社が出していた婦人公論は「自由主義と女権の獲得を目指す」をコンセプトにして大正5年に創刊された女性向きの月刊誌でした。戦時中の紙不足の影響なのか二年間休刊したものの昭和21年に復刊すると、木下順二の戯曲「夕鶴」を掲載した後、昭和28年の1月から12月まで連載された伊藤整の「女性のための十二章」が話題の的となったのでした。
小説家・文芸評論家の伊藤整は昭和10年にD・H・ローレンスの「チャタレイ夫人の恋人」を翻訳しました。わいせつ文書として摘発されたのは完訳版を刊行して上下巻で20万部を売った昭和25年のことでしたが、それが伊藤整に注目が集まる契機になったのでしょう。チャタレイ裁判をノンフィクションとして描いた「裁判」も話題となり、その勢いにのって書いたエッセイ「女性のための十二章」は昭和29年に単行本として出版されると一大ベストセラーになります。以後「○○に関する十二章」という亜流本が続出するなど「十二章ブーム」が沸き起こり、伊藤整が続いて執筆した長編小説「火の鳥」も高い評価を得たのでした。
このベストセラーに目をつけたのが東宝のプロデューサー藤本真澄で、機を見るに敏な藤本は市川崑と一緒に伊藤整宅を訪問して、映画化の許諾を取りつけました。原作は女性のための恋愛講座が十二の章立てで書かれたエッセイですから、そのエッセンスをもとにした脚本に仕上げなければなりません。伊藤整・市川崑が意見交換し、市川崑の妻の和田夏十がシナリオ化したという流れだったようです。とにかく原作本が話題になっている間に封切らないと興行価値がありませんので、原作が出版された昭和29年11月に公開されていて、猛スピードで製作されたものと思われます。
昭和29年というのは日本映画にとっての特異年でして、日本映画史に残る名作が次々に公開された年でもありました。1月成瀬巳喜男『山の音』、3月木下恵介『女の園』・溝口健二『山椒大夫』、4月黒澤明『七人の侍』、9月木下恵介『二十四の瞳』、11月本多猪四郎『ゴジラ』という凄い作品が次々に公開され、東宝が『女性に関する十二章』をかけた同じ週には、大映が溝口健二の『近松物語』、松竹が小林正樹の『この広い空のどこかに』を上映しています。出版界が十二章ブームに沸くとともに、日本映画界でも戦禍から立ち直って豊潤な作品を輩出していたのでした。
監督の市川崑は高峰秀子の家に居候して東宝砧撮影所に通っていましたが、本作で東宝を辞めたみたいで翌年から日活に移り、さらに二年後には大映に移籍することになります。またキャメラマンの三浦光雄は松竹蒲田撮影所でサイレント時代から活躍したベテランでした。日活からPCL、東宝と所属を変えて、戦後はフリーになったのか東宝以外でもキャメラを回しています。五所平之助の『煙突の見える場所』、豊田四郎の『雁』『夫婦善哉』などの傑作を残しながら昭和31年に五十三歳で亡くなり、新人の撮影技師を表彰する「三浦賞」が制定され、現在でも若手キャメラマンにとって栄誉ある賞として続いています。
【ご覧になった後で】戦後の暮らしぶりにモダンなセンスが交じるのが印象的
いかがでしたか?昭和29年は終戦からまだ十年も経過していない時期で、GHQの支配から独立して二年後ですから、画面に映る人々の生活にはまだ貧しさが残っています。小泉博が銀行の同僚の伊豆肇(ナレーションの声もこの人のものらしいです)が子ども四人と映画を見る場面では、子どもを抱いて立ち見をしてまでゲーリー・クーパーの『平原児』を鑑賞します。『平原児』は1936年製作ですから、この時期はまだ戦争で公開されなかったアメリカ映画をありがたがって見ていた頃だったんですね。
主人公の津島恵子は二階建ての一軒家に住む比較的裕福な暮らしぶりですが、畳の部屋でお櫃からごはんをよそい、冷めた味噌汁で遅い夕食をとり中北千枝子演じる姉家族と同居している姿には慎ましさが滲み出ています。また小泉博ものんびりした徳川夢声と息子の結婚を急ぐ三好栄子との住まいは二階家ながら、くたびれた椅子を素人細工で修理しながら使っています。上原謙演じる演劇評論家はスーツと蝶ネクタイで決めたダンディぶりが似合っていますけど、家に帰って雑然とした日本間で着物に着替えるとごく普通の中年男性に逆戻り。当時の映画としては上流階級っぽいクラス感を出そうとしているものの、それらはどれも借り物というか表面上のもので、内実はとてもゆとりのある生活とは感じられませんでした。
しかし市川崑の演出はすこぶるモダンなセンスに溢れていて、タイトルも「女性に関する十二章」の原作本をうまく使って、ページをめくるとスタッフ・キャストが紹介されるという凝ったものでした。開巻すると画面全体が白地に黒文字の看板の前に立つ津島恵子になり、ファッション誌のグラビアのような見せ方です。オールドミス役の久慈あさみやちょっとゲイっぽい太刀川洋一がキャメラに向って独白するショットを唐突に挟み込んだり、原作者の伊藤整を出演させて徳川夢声に「徳川夢声の講演会はどこですか」と質問させたりと遊び心を感じさせますし、黛敏郎の軽快なジャズを全編BGM風に使っているところも洒落ていました。
物語はいつも話が嚙み合わない津島恵子と小泉博がお互いの大切さに気づいて結局結婚するという運びになってハッピーエンドを迎えます。しかし結婚式当日に花婿に逃げられた形の有馬稲子の描き方はサラリとしていますし、その前に招待状の花嫁の名前を書き替えられた見合い相手は登場すらしません。このドライさというか都合の良さというかストーリーのテンポを優先するあまり、脇のキャラクターが道具扱いされているあたりに急いでサッサと作ってしまえ的な乱暴さが垣間見えてしまい、ややシラケる部分がありました。雑な感じが作品のモダンさを邪魔していたので、もう少し丁寧な作り方をしてほしかったです。
それにしても銀座の書店の混雑ぶりには驚いてしまいました。人混みをかき分けて130円の「女性に関する十二章」を店員を呼んで購入する姿には、当時の人々にとって活字が身近な娯楽であったことが伝わってきます。ちなみに小泉博の月給は1万7千円ほどというセリフが出てきたり、銀座の喫茶店ではコーヒー50円と表示されたりしていて、物価に対する給与所得は相対的にかなり低かったことがわかります。また津島恵子は昔からバレエを習っていて今ではプリマとして舞台にも立っている設定となっていて、日本ではバレエが昔から庶民の間で習い事として普及していたこともよくわかりますね。(T042325)
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