戦争と平和(1956年)

トルストイの大長編小説を3時間30分で描いたアメリカ・イタリア合作版です

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、キング・ヴィダー監督の『戦争と平和』です。トルストイの「戦争と平和」はソ連では1965年から1967年にかけて4部作として製作されましたが、本作はその10年前に作られたアメリカとイタリアの合作版です。ソ連のセルゲイ・ボンダルチュク監督版が合計7時間に及ぶ大作だったのに対して、このキング・ヴィダー監督版は3時間30分なので、ソ連版の半分の尺しかありません。その点ではどうしてもトルストイの原作を駆け足でなぞることになるわけですが、それでも公開されると大ヒットを記録して1956年の世界興行成績で第7位にランクインしています。

【ご覧になる前に】オードリー・ヘプバーンの出演料は当時の最高額でした

モスクワの街ではナポレオン率いるフランス軍の侵攻を迎え撃つためにロシア兵たちが行軍している最中です。それをロストフ家の邸宅から見送っているのはナターシャと友人のピエール。軍に入隊しようとしないピエールが貴族仲間たちと酒の飲み比べをして泥酔していると、父親のベズーホフ伯爵が危篤だという知らせが入り、その死を看取ったピエールは莫大な遺産を相続することになりました。ピエールは親友アンドレイと再会し結婚したことを知らされますが、ピエール自身も社交界で美女ともてはやされているエレンに求婚しようと考えているのでした…。

ロシアの文豪トルストイが1869年の発表した「戦争と平和」は世界文学の傑作のひとつで、トルストイの作品としては「アンナ・カレーニナ」と並ぶ代表作でもあります。現在でも文庫6巻で刊行されていて総ページ数は3200ページにも及び、500名を超える人物が物語に登場します。小説の時代設定は1805年からスタートし、その時点ではナターシャはまだ十二歳の少女という設定でした。そしてナポレオン1世がロシア遠征をするのが1812年ですから、ロシアがフランス軍の脅威にさらされながらナポレオンを退けるまでの8年間くらいを「戦争と平和」は描いています。

この大長編の脚色を最初に担当したのは劇作家のアーウィン・ショーで、代表作でもある「若き獅子たち」は1958年に映画化もされています。ところが通常の映画の5倍くらいの長さの脚本になっていたため、プロデューサーのディーノ・デ・ラウレンティスがキング・ヴィダー監督ほか多数のライターたちに共作で改変させることになりました。ピエール役のヘンリー・フォンダはその書き直しに大いに不満を持ち、ラウレンティスとはずっと不仲のまま撮影にのぞむことになりました。

ナターシャ役のオードリー・ヘプバーンは『ローマの休日』でアカデミー賞主演女優賞を獲得し、『麗しのサブリナ』でハンフリー・ボガードとウィリアム・ホールデンとの共演を終えたところでした。ハリウッドのメジャースタジオはどこもオードリー・ヘプバーン主演で新作を作りたいという時期でしたので、彼女の出演料は高騰して本作出演時に支払われたギャラは35万ドルと当時の女優の中で最高額になったそうです。しかしオードリー本人は「自分にはそんな価値はないから、この出演料のことは絶対に口外しないでほしい」と周囲に依頼したんだとか。確かにハリウッドデビュー三作目で最高額というのは、本人にとってもプレッシャーになったのかもしれません。

ヘンリー・フォンダは出演時に五十歳になっていてオードリーの倍くらいの年齢でしたし、ピエールをやるにはかなり歳を取り過ぎていたと本人も思っていたようです。当初はマーロン・ブランドやモンゴメリー・クリフトが候補に挙がっていたそうですし、キング・ヴィダー監督はピーター・ユスティノフを希望していました。一方でアンドレイ役のメル・ファーラーは舞台出身で映画の経験はまだ浅く、1954年の舞台劇「オンディーヌ」でオードリーと共演して結婚したばかりの頃なので、もしかしたらオードリーが新婚の夫をアンドレイ役に推薦したのかもしれません。だとするとピエール役にはやっぱりビッグネームが必要になり、その結果ちょっと老けているけどヘンリー・フォンダで行こうかとなったのではないかと思われます。

ハンガリー出身のキング・ヴィダーはサイレント時代からハリウッドで映画監督をつとめていますが、本作以外で有名なのは1946年の『白昼の決闘』あたりでしょうか。それよりもキャメラマンのジャック・カーディフのほうがよほど多くの名作で撮影を担当していて、パウエル&プレスバーガー監督の『黒水仙』『赤い靴』やジョン・ヒューストン監督の『アフリカの女王』、ジョセフ・L・マンキーウィッツ監督の『裸足の伯爵夫人』などでキャリアを積んでいた時期でした。ジャック・カーディフは映画監督業にも進出しましたし、1980年代までハリウッドで一線級のキャメラマンとして活躍を続けました。

【ご覧になった後で】ダイジェスト版のようで感情の変化についていけません

いかがでしたか?アーウィン・ショーの脚本をボツにしてキング・ヴィダー以下全8名で脚本を書き直した割にはあまりにダイジェスト版のようになり過ぎてしまって、登場人物の感情の変化がまったく理解できずに「なんでこうなるの?」と疑問だらけになってしまう展開でしたね。まず第一の疑問はナターシャの心変わり。あんなに純粋にアンドレイとの婚約を喜んで1年待つと約束したのにもかかわらず、色男のアナトールに言い寄られただけでいきなり駆け落ちするくらいにアナトールに参ってしまうなんて、ちょっとあり得ないですよね。あるとしたら深い関係のほうなのですが、オードリーが演じている限りはナターシャにそっちのこだわりがあるようには見えません。なので結局ナターシャのアンドレイへの気持ちが一時的なものでしかなかったというふうに解釈せざるを得なくなってしまうのですよ。本当に脚本のまずさがナターシャというキャラクターを台無しにしていました。

次の疑問はアンドレイのほうで、瀕死の重傷を負ってモスクワに帰還して偶然ナターシャと再会するというのもかなり無理のある偶然ですが、ぼんやりと視界に入って来たナターシャを見ただけでいきなり留守中の不義を許してしまうのはなぜなんでしょうか。自らを激戦地に追いやり自暴自棄になっていたアンドレイなのに、あまりに簡単にナターシャとよりを戻してしまうので、だったら最初からひねくれずにいればいいのにと思ってしまいます。

さらなる疑問はピエールのナターシャへの気持ちで、永遠に親友だと言いながら最後にロストフ家を訪れるといきなりナターシャと口づけしてしまいます。あのキスは恋人同士のキスであって友人のそれではありません。アンドレイが死んだからもうナターシャはフリーだということなんでしょうか。このようにトルストイの「戦争と平和」の主人公たちが、映画ではどうにもこうにも薄っぺらい感情で気ままに行動する人たちに見えてしまったのが本当に残念でした。オードリーのナターシャは言うに及ばず、メル・ファーラーもちょっと腺病質っぽいところがアンドレイ役に合っていましたし、ヘンリー・フォンダも五十歳には見えないようなカツラとメイクアップで理知的なピエールを表現していたと思います。しかし脚本がダメだと俳優たちがいくら頑張っても無駄でしたね。

キング・ヴィダー監督の演出もほとんど見るべきところがなく凡庸一本やりでしたが、わずかにベレジナ渡河作戦のモブシーンだけは無常感に溢れていて、橋を渡り切れないフランス軍がむなしく殲滅させられる映像は戦争の虚しさを伝える迫力がありました。とは言っても戦闘シーンは実はセカンドユニットが撮っていたという話らしく、イタリアから参加したマリオ・ソルダーティが演出した場面のようです。

そんなわけで3時間30分を我慢しながら見るというツラい映画になっているのですが、脇役陣の奮闘は印象に残っていて、ナポレオンを演じたハーバート・ロムは、1970年代の「ピンク・パンサーシリーズ」でクルーゾー警部の上司を演じることになりますし、プラトン・カラターエフ役のジョン・ミルズは1970年の『ライアンの娘』でアカデミー賞助演男優賞を獲得する名優です。ちなみに捕虜となって雪原で死の行軍をさせられる場面でピエールと行動をともにするカラターエフはいかにもトルストイやドストエフスキーの小説に出てきそうなキャラクターで、ロシアの大地に土着した泥臭いけれども純真な農村出身兵士がジョン・ミルズによって見事に具現化されていました。

演出は今ひとつながら薄暗い冬の空気感を映像で表現したジャック・カーディフのキャメラと、初めての舞踏会でアンドレイに誘われるオードリーのダンスの巧さだけが見どころだったような気がします。オードリーもナターシャを演じられるならと出演を承諾したんでしょうけど、出演作を厳選したオードリーにとってはセレクトを間違えた数少ない作品のひとつになってしまったかもしれませんね。(V022323)

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