『知りすぎていた男』の元になったヒッチコックのイギリス時代の作品です
こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、アルフレッド・ヒッチコック監督の『暗殺者の家』です。暗殺計画の秘密情報を偶然知ってしまったために子供を誘拐されてしまうというストーリーラインは1956年の『知りすぎていた男』でヒッチコック監督自らの手によってリメイクされました。その元になっているのが本作で、ヒッチコックのイギリス時代の傑作とも言われています。またドイツで活躍していた俳優ピーター・ローレがナチスから逃れてイギリスに渡ったときの出演作としても有名でして、耳で覚えたという英語で話すセリフが特徴になっています。
【ご覧になる前に】イギリス時代のヒッチコックは本作で名声を確立しました
ボブとジルの夫妻は娘と一緒にスイスに旅行に来ていて、ジルはジャンプ競技をしていたルイと仲良くなります。ホテルのパーティでジルがルイと踊っているとき、ふいにホテルのガラス窓が割れて、見るとルイが一発の銃弾を受けて倒れ、ボブは娘に大混乱となった会場から部屋に帰るように言います。死ぬ直前にルイから「部屋のブラシのメモを見ろ」と告げられたボブは、ルイの部屋の髭剃りブラシの柄に仕込まれたメモを見つけますが、そこに警官が入って来てボブはジルが尋問を受けているホテルの事務所に連行されます。そこにかかってきた電話に出たボブは娘が誘拐され、メモのことを誰かに言えば娘の命はないと脅されるのでした…。
アルフレッド・ヒッチコックはイギリスで字幕職人として映画界入りしましたが、監督に昇格すると『下宿人』や『恐喝』などのサスペンス・スリラーでサイレント映画ならではの映像表現を磨いていきました。しかし1930年代に入ってトーキーの時代になると、なかなか良い企画に恵まれずこれという作品を発表できずにいたのですが、ゴーモン・ブリティッシュ・ピクチャーと契約を結び、その第一作として自らの得意とするサスペンス映画を企画し、この『暗殺者の家』を撮ることになります。結果的に本作はイギリスで大ヒットを記録して、一躍ヒッチコックはイギリス映画界を代表する監督と呼ばれるようになったのでした。
本作のストーリーラインはそのまま1956年の『知りすぎていた男』で使われていますが、『知りすぎていた男』のほうが当然のことながらシナリオが洗練されているので、リメイク版を先に見てしまうと本作の脚本はやや物足りないかもしれません。しかし基本的なプロットはある程度本作の段階で完成されていて、そのクライマックスはロンドンのロイヤルアルバートホールでのコンサートにあります。ここの場面をヒッチコックはナンセンスギャグ漫画から思いついたと解説していて、それはひとりの男が起きてから支度をしてフルートを持って外出して仕事場に行き服を着替え演奏会会場に座り演奏が始まりかなり演奏が進んだところで「ピー!」と一音だけフルートを鳴らして演奏会が終わり着替えて自宅に帰り風呂に入って寝る、という内容だったんだそうです。
出演者の中では、悪役を演じるピーター・ローレがひと際その個性を目立たせていて、ステレオタイプの悪役ではない独特な雰囲気を見せてくれます。ピーター・ローレはハンガリー出身のユダヤ人でドイツでフリッツ・ラング監督の『M』などの映画に出演していましたが、ナチスが政権を握ると迫害を恐れてイギリスに渡りました。英語を読むことができず、ローレは本作のセリフを耳で聴いて覚えたというエピソードが残っています。イギリス時代には本作のほかに『間諜最後の日』でもヒッチコック作品に出演していまして、ヒッチコック作品への出演が認められたローレは、ハリウッドに招かれて『マルタの鷹』などのアメリカ映画で活躍することになるんですね。
【ご覧になった後で】コンサートでシンバルが鳴るまでの演出が見事でした
いかがでしたか?本作の見どころは何といってもアルバートホールでのコンサートの場面でしたね。ジルがひとりでコンサート会場に到着するところからセリフはひとつもなく、映像だけで物語が進んでいきます。要人が到着して一瞬ジルが要人に暗殺計画があることを告げようとしますが、逡巡してやめてしまいます。そんなところもセリフも独白もなく映像だけで語られていきます。ジルの視線で客席の状況をとらえ、二階の上手側のボックス席が空いていて、そこの黒いカーテンから銃口がのぞきます。ここらへんがいわゆるヒッチコックタッチといわれるところですが、コンサートホールの中でこの銃の存在を知っているのはジルひとりだけなんですよね。それは目撃しているのがジルだけという設定だからで、キャメラが誰の視線を表しているのかを自在にコントロールしてしまうのが、本当に見事だと思います。さらには、そこで要人が暗殺されるのを放置するのか警告するのか、ジルの気持ちの迷いまでもショットの組み合わせだけで観客には伝わってしまうのです。
本作の見どころはこのコンサートの場面に集約されていたと思いますが、惜しむらくは上映時間の制限もありシンバルの音がどこで鳴るかをピーター・ローレがレコードをかけて説明するところの事前の伏線が短すぎて、演奏曲の流れの中でのサスペンスの盛り上がりを欠いてしまっているのが残念なところでした。ちなみにこの曲はアーサー・ベンジャミンという人が本作のために作曲したオリジナル交響曲で、リメイク版の『知りすぎていた男』では、音楽を担当したバーナード・ハーマンはクライマックスの曲を作り直してもいいよと言われたそうですが、ベンジャミンに敬意を表してオリジナル曲をそのままリメイク版のクライマックスでも採用しています。
ヒッチコックらしさという点では映画の導入部にその特徴が現れていたのではないでしょうか。いきなりスキーのジャンプ競技会場が映って、ウィンターリゾート地が舞台であることがわかり、犬を抱えた娘が走り出すというハプニングを通じて主要登場人物たちをいとも簡単に紹介してしまうあたりは、見事な手さばきです。そしてクレー射撃の腕前披露で悪役側の狙撃者まで印象づけると、場面は一転してホテルのパーティ会場に変わって、全員が正装した暖かな室内に場面が転換されるという流れになります。スイスを舞台にするということで、ヒッチコックはスケート場をうまく利用して、スケーターの滑った跡が実は「8」とか「6」とかの数字を描いていてそれが暗号になっているというアイディアを考えついたそうですが、うまくシナリオに組み込めずにボツになったんだそうです。
ヒッチコック映画らしくないのは終盤の銃撃戦で、たぶんこんな大勢でのドンパチシーンはハリウッドに渡った以降のヒッチコック作品には登場しないのではないでしょうか。この銃撃戦は1911年に実際に起きたシドニーストリート事件なるものに触発されたそうですが、実際にロンドン警察が街中で銃をぶっ放すという描写が当局から問題視されて撮影許可を得るのに手間がかかったとか。途中で別の場所で手配されたライフル銃が運搬されてくるという流れになっているのも、ライフルを常備していないことの言い訳表現のようで、当時のイギリスでは簡単には暴力的な場面を映画の上では撮影できなかったようですね。でもライフルがないと、屋根の上で娘を追い詰める悪役を狙撃できないわけですけど。それにしてもあんな銃撃戦のすぐそばにヤジ馬がたくさん集まっているというのは、現在的には警備態勢にかなりの問題があると思ってしまいました。(A070922)
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