007ロシアより愛をこめて(1963年)

ショーン・コネリー=ジェームズ・ボンドの中ではこの映画が最高傑作!

《大船シネマおススメ映画 おススメ度★》

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、テレンス・ヤング監督の『007ロシアより愛をこめて』です。1962年に公開された第一作『007ドクター・ノオ』が大ヒットして、ショーン・コネリー=ジェームズ・ボンドによる007がシリーズ化されることになりました。監督は同じくテレンス・ヤング。第一作のややB級SFアクション的な作りからは一転して、本作は本格的なスパイ・アクション映画に仕上がっています。三十三歳のショーン・コネリーは、精悍さと軽妙さを漂わせながらも英国諜報部員としての酷薄さも感じさせて、ジェームズ・ボンドはこの人しかいない!というイメージを確立させています。

【ご覧になる前に】英国&ソ連のスパイを操る犯罪組織スペクターの登場です

犯罪組織スペクターはソ連の特殊諜報部隊スメルシュのスパイを英国諜報部MI6に接近させて、ソ連が開発した最新型暗号解読機「レクター」を奪い取る計画を立てます。ソ連の美人スパイ、タチアナ・ロマノヴァからコンタクトを受けたジェームズ・ボンドは、罠ではないかと思いつつも、「レクター」を入手するため、あえてタチアナがいるトルコのイスタンブールへ飛び立つのでした…。

日本初公開時(昭和39年)のタイトルは『007危機一発』。当時ユナイト映画の宣伝部にいた映画評論家・水野晴郎がこの邦題をつけたと言われていて、このタイトルのせいで本来「一髪」と書くべき熟語の誤字が頻出したそうです。1972年(昭和47年)にリバイバルされたときに原題の「From Russia with Love」の直訳タイトルに改められ、スパイアクション映画であると同時にロマンティックな側面のある本作の全体像を伝える題名が一般化することになりました。

前作ではドクター・ノオのセリフにしか出てこなかった犯罪組織「スペクター」がシリーズではじめてその実態を現します。首領である「No.1」は顔を見せずに白猫を抱いている手しか出しませんが、幹部である「No.3」ことローザ・クレップをオーストリアの女優ロッテ・レーニャが演じ、チェスの名手「No.5」にはポーランド出身のヴラディク・シェイバル(007シリーズの番外編コメディ作品『カジノ・ロワイヤル』にも出演しています)が配されています。そのスペクターに雇われる殺し屋グラント役にはロバート・ショウ。頭脳明晰で冷酷な殺し屋にぴったりのショウは、敵役を中心に個性派俳優として活躍しますが、残念なことに1978年に五十一歳で心臓発作により早逝しています。

『ドクター・ノオ』で黒字にカラフルな水玉模様がピコピコする斬新なタイトルデザインを考案したのはモーリス・ビンダーでしたが、本作のタイトルは半裸で踊る女性の肢体をうまく使ったエロティシズム溢れるデザインになっています。てっきりモーリス・ビンダーだと思い込んでいたのですが、このタイトルデザインはロバート・ブラウンジョンの作品。ブラウンジョンは次作の『ゴールドフィンガー』でも金色に塗られた女体にクレジットタイトルの文字を投影させています。実はグラフィック・デザインの世界では超有名人で、ザ・ローリング・ストーンズのアルバム「Let it Bleed」のジャケットデザイン(レコード盤の上にデコレーションケーキのあれです)もブラウンジョンの作品です。

【ご覧になった後で】単線のみで突っ走るシンプルな構成に引き込まれます

いかがでしたか?ジェームズ・ボンドがやられたと思ったら殺し屋グラントの腕試しのための替え玉だったとかチェスの世界大会の場面とかの巧みな導入部のあと、ジェームズ・ボンドが登場すると、あとはひたすらボンドの行動のみを追いかけるシンプルな単線構造になります。場面が転換されるのは、ロンドンのMI6本部でタチアナのテープをヒアリングする場面と、スペクターの「No.5」が処刑される場面のみ。イスタンブールでの潜伏活動と領事館からの「レクター」奪取のあとは、オリエンタル急行に乗り込み、グラントとの死闘を逃れると車・ボートと乗り継いでヴェニスに行き着くまで、ひたすら一直線の構成。だから観客はほとんどジェームズ・ボンドと一体になってこの映画を体験するような気分になるんですね。脚本を書いたのはリチャード・メイボーム。この人は『ドクター・ノオ』から『ダイヤモンドは永遠に』までのショーン・コネリーシリーズすべてでシナリオを担当しています。

そしてダニエラ・ビアンキ。ボンドガール(最近ではボンドウーマンと言わないとダメらしいですが)の中では、個人的には『死ぬのは奴らだ』のジェーン・シーモアが最高に良いと思うものの、やっぱりダニエラ・ビアンキもトップを争うべき美しさと雰囲気を持っています。金髪のショートカットでやや引き目がちの瞳、官能的な唇。ボンドの部屋に忍び込む場面でレースカーテン越しにほんの一瞬だけヌードになっていますが、あれは吹き替えでしょうか。吹き替えといえば、本作を久しぶりに見て、ダニエラ・ビアンキの声は意外に低音だったんだなと思ったらば、実はこの声は吹き替えだったようです。ダニエラ・ビアンキはイタリアの高貴な家の出身で、たまたまミス・ユニバースコンテストで準優勝して女優になっただけで、本人は英語を全く話せなかったそうで、勉強する気もなかったのだとか。確かにどこか鷹揚でガツガツしていないところが、このタチアナ役を魅力的に見せているのかもしれません。

イスタンブール支局のケリム・ベイとともにソ連側のテロリスト・クリレンコを組立式小型ライフルで射殺する、女の唇には気をつけろという場面。ドデカイ女の絵は、実は映画の巨大ポスターで、ボブ・ホープとアニタ・エクバーグ(フェリーニの『甘い生活』の女優役!)が共演した『腰抜けアフリカ博士』という映画ものです。邦題はまるでおバカな感じですが、原題は「Call Me Bwana」という1963年の作品で、アルバート・R・ブロッコリとハリー・サルツマンが製作者。もちろんブロッコリ&サルツマンは007シリーズのプロデューサーですので、同じ年につくった自分たちの映画を本作でネタに使ったのでした。

そして本作で徹底されたのが、「ジェームズ・ボンドのテーマ」を多用するという音楽のルール。あの有名な「ジェームズ・ボンドのテーマ」は『ドクター・ノオ』でモンティ・ノーマンが作曲したもの。ノーマンはこの曲だけしか作らず、残りの音楽はジョン・バリーが担当しました。本作はノーマンは関わっておらず、ジョン・バリーが音楽監督ですので、ノーマン作曲のテーマは使わないという選択肢もあったはず。しかしジョン・バリーは自分の見栄よりも、すでに観客に認知されているあの「ジェームズ・ボンドのテーマ」を繰り返し流して、007シリーズの音楽的一貫性を確立することを重視したのでした。とはいうもののジョン・バリーの楽曲も耳に残る名曲ばかりで、本作で登場した「007のテーマ」は最近の日本のTVドラマでもよく真似されていますね。例の「ドン・ドン・ドン・ドン・テンドン」というドラムに木管楽器の旋律がかぶさるアレで、真似しやすいんでしょう。

映画の最後に「The End」のエンドタイトルが出た後すぐに「Not Quite The End」と出て、次回作「ゴールドフィンガー」でボンドが戻ってきますよ、という予告がくっついています。いずれにしてもテレンス・ヤング監督がシリーズ化への土台をしっかりと築いたおかげで、007はシリーズとして確立されることになりました。二作目がこの『ロシアより愛をこめて』でなかったら、シリーズ化されずに終わっていたかもしれません。現在につながるシリーズの基礎となった本作に、ボンドガールや秘密兵器や悪役やタイトルデザインなどのたくさんの魅力が詰め込まれていた結果だといえるでしょう。(A112121)

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