不良少年(昭和36年)

羽仁進の劇映画第一作で素人の少年たちを記録映画的手法でドラマにしました

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、羽仁進監督の『不良少年』です。羽仁進が設立に加わった岩波映画製作所は記録映画を専門に作っていましたが、本作は岩波映画製作所にとっても羽仁進にとっても初めての劇映画です。登場するのは非行経験のある少年たちでもちろん演技経験のない素人ばかり。セットを一切使わず全編がロケーション撮影で撮られていて、ドキュメンタリー映画の製作手法がフル活用されています。リアルな表現が評価されたのか昭和36年のキネマ旬報ベストテンでは第1位に選出されました。

【ご覧になる前に】台本もなくありのままの少年たちの姿が撮影されました

ネオン煌めく銀座の通りを走る護送車の中には拘留された浅井少年がいます。検事の取り調べにも面倒くさそうに不貞腐れる浅井は、仲間たちと遊び歩いた日々を思い出します。夜の街で見つけた可愛い女性は中年男性と映画館に入って行き、所詮は金がなければ女にもモテないと話し合う三人は、外国人客相手の高級宝飾店に狙いを定めます。浅井が真珠を盗み店先で待っていた仲間のバイクで逃走する計画でしたが三人とも捕まってしまい、仲間二人が親に迎えられて送致されなかったのに対して、親兄弟のない浅井だけが特別少年院に送られることになったのでした…。

羽仁進の祖父母は自由学園の設立者で、大正10年に「自労自治」を掲げて生徒たちが寮生活を送るキリスト教系の学校を西池袋に開設しました。参議院議員の父と婦人運動家の母をもつ羽仁進は、自由学園を卒業すると共同通信社の記者を経て、北海道大学の中谷宇吉郎や岩波書店の小林勇、映画キャメラマンの吉野馨治とともに新しい科学映画を作ろうと岩波映画製作所の設立に関わります。岩波映画製作所が製作するのは主に記録映画で、産業映画と科学映画と教育映画の三分野でドキュメンタリー映画を発表していくことになります。

その中の教育映画で才能を発揮したのが羽仁進で、昭和29年の『教室の子供たち』は科学的な観察眼が子供たちの姿に向けられた作品でした。教室に持ち込んだキャメラに子供たちが慣れるのを待って、キャメラの存在が当たり前になり撮影されていることなど意識しないようになった子供たちを自然でいきいきした日常の姿のままフィルムに収めることに成功し、ブルーリボン賞教育文化映画賞を獲得するなど高く評価されました。

そうしたドキュメンタリー映画の製作手法を用いて岩波映画製作所が初めて劇映画に取り組んだのがこの『不良少年』です。創設者のひとりである吉野馨治が製作者となって、脚本・監督を羽仁進が担当することになりました。原作は地主愛子が編纂した「とべない翼」で、久里浜少年院に収監された少年たちが書いた手記を集めた本のようです。撮影にあたっては非行経験のある少年を集めて、その場で即興のように演技をする姿をフィルムに収めていったらしく、久里浜少年院の手記をヒントにしながらも台本もないままに作品が作られていったんだとか。羽仁進の『教室の子供たち』も子供たちの行動がそのまま記録されていましたから、本作も大筋だけは設定されていたんでしょうけど、基本的には台本通りではなく素人の少年たちの姿を追いかけるようなドキュメンタリータッチで撮影されました。

いかにも不良少年っぽい面構えを持っている山田幸男が主人公の浅井を演じていて、本作がもちろん映画初出演ですがフォルモグラフィを見ると翌年以降には新東宝で中川信夫監督の『悲しみはいつも母に』に出ていますし、日活の『川っ風野郎たち』という作品では和泉雅子や松原智恵子と共演を果たしています。まあそれくらいこの『不良少年』のインパクトが強かったということでしょうか。

キャメラマンの金宇満司は本格的な撮影技師の仕事は本作が初めてではあるものの、羽仁進監督・渥美清主演の『ブワナ・トシの歌』や三船プロと石原プロが組んだ大作『黒部の太陽』、石原裕次郎主演の『栄光への5000キロ』でキャメラを回すことになります。そのまま石原プロの常務となって、病いに伏した石原裕次郎の看病にも専心したそうです。ちなみに本作は新東宝が配給していますが、羽仁進も金宇満司も本作以降新東宝とは仕事はしていないようですね。

昭和36年度のキネマ旬報ベストテン第1位には驚いてしまいますが、さらに驚くべきことにこの年度の2位は黒澤明の『用心棒』、3位が木下恵介の『永遠の人』、4位は小林正樹の『人間の條件完結編』、5位は松山善三の『名もなく貧しく美しく』なのです。ランキングのうえで黒澤・木下・小林の三大巨匠の上を行くというのは当時としては快挙だったのだと思いますし、岩波映画製作所が作った本作のような小品でも映画評論家がきっちりと点数を入れるような時代だったんだなあと感心させられました。

【ご覧になった後で】本作こそが日本のヌーヴェル・ヴァーグかもしれません

いかがでしたか?ドキュメンタリータッチで撮られている本作は、記録映画風というよりはある少年の詩情溢れる成長物語といった感じがして、実にリリカルな手触りのする作品になっていました。それには何よりも武満徹の音楽の貢献度が高く、ちょっと郷愁を誘うようなメルヘンっぽい素朴なメロディが本作の詩情性を強調していました。音楽の影響が強いために見ているとなんだかフランソワ・トリュフォーの『大人は判ってくれない』が思い出されてきて、もちろん本作のほうが少年院内でのいじめを取り上げている分、凄惨な感じが強いものの、映画を見終わった後の読後感はほんの少し哀しみが漂っていて、そこが似た者同士っぽい雰囲気につながっているのかなと思いました。

またスタンダードサイズの白黒画面で、手持ちキャメラによるオールロケーション撮影というのも『大人は判ってくれない』との共通点になっています。本作では台本がなかったということなのでセリフはたぶんアフレコで少年たちが適当に吹き込んでいるためでしょうか。口とセリフが全然合っていないのですが、そうした映画の基本ルール的な決め事を完全無視しているあたりに、既成概念を突き崩そうとしたフランスのヌーヴェル・ヴァーグの作家たちとの共通点を見い出せるような気がします。日本では大島渚や吉田喜重、篠田正浩たちによって若者たちの無軌道な生き方を描いた作品群が「松竹ヌーヴェル・ヴァーグ」とマスコミからもてはやされたわけですが、映画の中身を見てみるとこの『不良少年』の製作態度の方が本家のヌーヴェル・ヴァーグにより近い位置にあるように思います。

それは本作の中にしばしば挿入される「作業」の映像からも伺えるわけでして、少年院の独房でひとりの少年が布団の綿をちぎって丸めて何度も手の平で床を転がしながらタバコのフィルターを作り上げる作業だったり、木工課に配属された浅井が木材を電動ノコギリで円状に加工していく作業だったりが、実に丹念に丁寧に映像で表現されています。ジャン・リュック・ゴダールの『女と男のいる舗道』でレコード盤の加工作業の工程が丁寧に映像で映しとられていたのに似ていて、いかにも岩波映画製作所らしい記録映画的なタッチが、普通の劇映画の中では逆に静謐な感じを醸し出すような効果がありました。

一方でストーリーラインに目をやると、どうにも手をつけようがない不良少年の浅井が少年院のクリーニング科では牢名主のような先輩とケンカをしてリンチを受けるあたりまでは本作らしいリアリティが貫かれていました。しかし木工科に異動となった浅井が仲の良い木工科の仲間たちに囲まれて、木工作業をするにも励まされているうちに、いつのまにか更生してそれなりに出所したら真面目に働こうと考えるようになる流れになると、ちょっと日和ったのかなと感じてきます。カツアゲをやっていたという少年が犯行後にはいつも不機嫌な気分になっていたという告白もそれなりにはわかりますけど、アルバイトをして生活している学生から金を巻き上げる場面などを見るとその程度の罪悪感や反省程度では全然物足りないのではないかと感じてしまいます。

結局ラストシーンは少年院から出て自由になる浅井の明日に希望を持たせるような雰囲気で終幕となります。建物に向って「ありがとうございましたあ」なんて叫ぶのもなんだか付け足しっぽいですし、ここらへんが岩波映画製作所による教育映画の限界なんでしょうか。あるいは当時のやや左翼っぽい雰囲気が犯罪や悪事は社会構造や不幸な境遇がすべての原因なのであるみたいな展開を望んだのかもしれません。いずれにしても意欲的な作品で、キネ旬トップに祭り上げられた熱狂を理解しつつも、全体的に振り返ると少年という存在が胸に突き刺さってくる『大人は判ってくれない』のような普遍性は持ち得ない映画だなと思われるのでした。(D011724)

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