パリで一緒に(1964年)

オードリーがウィリアム・ホールデンと共演したロマンティックコメディです

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、リチャード・クワイン監督の『パリで一緒に』です。オードリー・ヘプバーンが1954年の『麗しのサブリナ』以来ウィリアム・ホールデンと二度目の共演をした作品で、脚本家がタイピストに打たせて次回作を構想するストーリーをそのまま二人が演じるという二重構造になっています。原題「Paris – When it sizzles」の「sizzle」は揚げ物がジュージューいうとか焼けるように暑いというような意味があり「パリが盛り上がるとき」みたいな訳になる一方で、「シズル感」という言葉があるように「そそるパリ」的にも訳せるかもしれません。

【ご覧になる前に】フランス映画の『アンリエットの巴里祭』が元ネタです

コート・ダジュールの海を望む邸宅のプールサイドでプロデューサーのアレクサンダー・マイヤハイムが水着姿の秘書に口述筆記をさせているのは、パリで次回作を執筆中の脚本家リチャード・ベンソンに完成を急がせる電報文。パリのホテルにいるベンソンを鳥籠を持って訪ねたタイピストのガブリエル・シンプソンは締切二日前なのに脚本が一枚も書かれていないことに驚きます。決まっているのは「The Girl Who Stole the Eiffel Tower」というタイトルだけで、明後日のバスティーユ・デーには恋人のフィリップとデートの約束があるというガブリエルの話を聞いたベンソンは、カフェで恋人を待つギャビーという女性に金庫破りの大泥棒リックが近づくという物語を考えるのですが…。

本作はオードリー・ヘプバーンの出演作品としては1961年の『ティファニーで朝食を』『噂の二人』、1963年の『シャレード』の次ぎになっていて本作の後には『マイ・フェア・レディ』が公開されています。しかし実際の製作順でいうと本作は1962年7月から11月に撮影されていて、『シャレード』のクランクイン二日前に撮影が完了していたそうです。『シャレード』もパリが舞台になっていますので、本作と連続してパリでロケーション撮影が行われたのでしょうか。いずれにせよジヴァンシーの衣装を着こなすオードリーがパリを舞台に活躍する姿には、どことなく『シャレード』との共通点があるように感じられます。

オードリーは『麗しのサブリナ』に出演したとき妻子があるウィリアム・ホールデンと熱烈な恋愛関係に陥ったといわれていますが、ホールデンが病気のためにパイプカットしていたことがわかると子供を持ちたいと願っていたオードリーのほうから別れを決心したんだそうです。1957年のデヴィッド・リーン監督の大作『戦場にかける橋』に主演したウィリアム・ホールデンはやがてアルコール依存症に苦しむようになり、1960年代に入ると俳優としてのキャリアが低迷するようになっていました。そんなホールデンを見かねて、ヘプバーンは自らの興行的価値を活用してホールデンを救おうとしたようです。

オードリーは出演作を厳選する人で超一流の監督としか仕事をしない主義でしたから、俳優出身でB級作品や地味な作品でしか監督経験のないリチャード・クワインのオファーを引き受けたのはかなり例外的なことでした。しかし当時のオードリーにとっては作品のクオリティよりもホールデンに救済の手を差し伸べることのほうが優先したのかもしれません。まあしかしホールデンは本作の製作期間中も飲酒をやめることが出来ず、スケジュールが大幅に遅れたらしいですけど。

クレジットに原案ジュリアン・デュヴィヴィエ&アンリ・ジャンソンと出てくるように本作は1952年のフランス映画『アンリエットの巴里祭』(La fête à Henriette)のリメイクです。新作を却下された二人の脚本家がタイピストとガールフレンドの意見を取り入れながらアンリエットという活発な娘が婚約者と7月14日をどう過ごすかという物語を新しく書き直すお話で脚本を書く展開に「映画内映画」が加わるという構成になっていました。このジュリアン・デュヴィヴィエ監督作品では、前衛的な脚本家と古典主義の脚本家という路線の違う二人が共作するという設定が作品全体にウィットをもたらしていたのですが、この『パリで一緒に』ではその役割をオードリーとホールデンが担うように脚色されています。

脚色のジョージ・アクセルロッドは『ティファニーで朝食を』の脚本家で、TVのドラマでシナリオを書いたのちに『七年目の浮気』でビリー・ワイルダーとの共同で脚本を書いたあたりからハリウッドで活躍した人です。キャメラマンのチャールズ・ラング・ジュニアは1934年の『武器よさらば』で第6回アカデミー賞撮影賞を受賞したという大ベテランで、本作に続いて『シャレード』『おしゃれ泥棒』『暗くなるまで待って』とオードリー主演作を撮り続けることになります。音楽のネルソン・リドルはドミー・ドーシー楽団でトロンボーン奏者出身の作曲家であり編曲家。ローズマリー・クルーニーやナット・キング・コールのアレンジを担当したネルソン・リドルの最大の功績はフランク・シナトラを復活させたことで、1954年から10年以上シナトラのアレンジをつとめて、新興だったキャピトル・レコードを一大レーベルへと発展させました。ネルソン・リドルが音楽を担当した作品ということで、フランク・シナトラがほんの四小節ほど歌の特別出演をしているのも見どころです。

【ご覧になった後で】文句をいうのはよしにしてオードリーを楽しみましょう

いかがでしたか?オードリー・ヘプバーンはこの頃あたりから夫のメル・ファーラーとの不仲が伝えられるようになっていましたが、ウィリアム・ホールデンと共演した本作の撮影はオードリーにとって大変楽しいものだったようで、傍から見ていても撮影時のオードリーは輝くように美しかったといわれています。同時にオードリー自身が息子ショーンに「映画を製作するときの楽しさはその作品の出来栄えには関係ない」とも述べていて、要するに撮影しているスタッフやキャストにとっては大いに楽しめる現場だったようですが、出来上がった映画はなんともイマイチの完成度だったということです。

この映画をはじめてTV放映で見たときはなんて楽しい映画なんだろうかと感心した覚えがあったのですが、それは「映画内映画」という設定の作品を初めて見たからではなかったかと今となっては振り返ることができます。たとえばリチャード・ベンソンのクレジットだけがズームインして拡大されるだとか、ロールスロイスがベントレーに変わって、中からマレーネ・ディートリッヒが降りてくるとか、セリフに合わせて自在に映像が変化していく仕掛けには非常にワクワクさせられました。現在的にはシナトラが歌うだとかフレッド・アステアの「That Face」にのって一時的にミュージカル風になるだとかのセンスが感じられる展開はそこそこ楽しめますけど、ホールデン演じるリックが諜報部員から大泥棒になり、洞窟に入るとドラキュラになったり狼男になったり、撮影所に侵入して西部劇のコスチュームを着て仮面舞踏会に行くなんていう安易であざとい展開が次々に繰り広げられると、見ていてもシラけてしまうというか映画に没頭できなくなってしまいますよね。

さらにはシナリオを完成させてリックが死んだのを悲しんでいるオードリーに対して急にホールデンが「年に5日だけしか仕事したくない」とか厭世的になって冷たくするのは、お話的にもキャラクター的にも非常に不自然ですし、朝になってホテルを去ったオードリーが大事な鳥籠を置き忘れているのも変ですし、オードリーを探してホールデンがタクシーに乗るとすぐに時間が夜に飛ぶのもご都合主義的です。撮影所の社長室でオードリーがホールデンと追いかけっこを始めるときのオードリーの喜劇的表情は、少なくともオードリーのもつ魅力とは正反対でちっとも美しく見えませんし、急に複葉機の操縦士になって撃ち合うところでは似合わないゴーグルなんかを着用させてオードリーの美貌を汚す結果になっていました。ショットの組み立ても変にオードリーの中途半端なクロースアップが入ったりしてリズムがまったく出ていませんでした。やっぱりオードリー出演作の中ではリチャード・クワインという二流監督のせいで本作は最も低レベルに位置づけざるを得ないという感じでした。

とはいうもののオードリーの全盛期の出演作は『ローマの休日』から『暗くなるまで待って』の16本しかないわけで、失敗作だと決めつけて無視してしまうのはあまりにも惜しいことです。作品のクオリティはひとまず置いておいて、本作ではジヴァンシーの衣装に身を包んだオードリーの美しさ・麗しさを堪能することに専心するのが最も得策ではないかと思います。鳥籠をもってシャネル風スーツで現れる初登場するオードリーは可憐ですし、上着を脱いでノースリーブのシャツ姿でタイプする姿は仕事っぽい感じが新鮮です。青いネグリジェでベッドに入るシーンは目の保養になりますし、ギャビーになってオレンジ色のドレスで馬車を操るのも絵的には非常に美しいです。まあこのようにオードリーの映像集だと思って、物語その他は無視して楽しむのが本作には適しているような気がします。

キャメラが『シャレード』と同じチャールズ・ラング・ジュニアだからというわけじゃないでしょうけど、クレジットタイトルのバックにパリの切手市近くで開催される屋外人形劇が映っているのは『シャレード』のロケハンで見つけたのをそのまま撮ったのかなと思わせましたね。あと日本では7月14日のことをルネ・クレールの映画に基づいて「巴里祭」と勝手に呼びますが、本作では「バスティーユ・デー」という呼称になっています。これはアメリカ人が使用する7月14日の呼び名なんだそうで、確かに映画内映画でパリの人たちと話すときには「ホリデー」みたいな言い方に変えていました。またクレジットに出てこないトニー・カーティスが端役であることを指してホールデンが繰り返し「お前は単なるマイナーキャラクターだ」と言うのも面白い発見でした。あと1962年撮影だから偶然かもしれませんけど、ホールデンが「フランケンシュタインとマイ・フェア・レディは同じ話なんだ」と言うところは、1964年にオードリーがワーナーブラザーズで『マイ・フェア・レディ』に主演して、散々な目に合うことを考えるとちょっとした皮肉のような場面に思えてしまいました。(V080623)

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