ジョン・フォード監督の古典的西部劇の傑作でジョン・ウェインの出世作です
こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、ジョン・フォード監督の『駅馬車』です。ジョン・フォードはサイレント時代から映画監督をしていまして、現代劇や戦争ものなど幅広いジャンルの作品を作っていましたが、この『駅馬車』はジョン・フォードにとって初めてのトーキーによる西部劇でした。B級西部劇にしか出演していなかったジョン・ウェインを主役に抜擢して、駅馬車に乗り合わせた乗客たちの人間模様を巧みに織り交ぜて、クライマックスではインディアンによる襲撃を見事なアクションとして描いています。ジョン・ウェインの出世作であるとともに西部劇というジャンルを代表する古典的傑作といえるでしょう。
【ご覧になる前に】低予算作品で有名俳優が起用できないことが功を奏して…
騎兵隊がアパッチ族のジェロニモの襲撃を警戒する中、トントの町からローズバーグに向けて駅馬車が出発しようとしています。町の婦人連盟から追放された娼婦ダラスが酒浸りのブーン医師とともに乗り込んだのに続いて、騎兵隊大尉の夫に会いに行くルーシー、酒商人ピーコック、ギャンブラーのハットフィールドが乗り合わせます。町はずれで銀行家ゲートウッドが乗客に加わり、駅馬車は御者と保安官の手綱使いで西部の荒野を疾走していきます。そのとき一発の銃声が鳴り響き、馬車が停まったところに現れたのはお尋ね者のリンゴー・キッド。彼は父親と弟の仇を討つためローズバーグを目指していたのでしたが…。
アメリカ映画にとっての西部劇は日本における時代劇と同じく映画創成期から自国のアイデンティティの象徴として位置付けられてきました。はじめてストーリーをもったサイレント映画が作られたのも西部での列車強盗との追跡を描いた『大列車強盗』で、以来19世紀後半におけるアメリカ西部の開拓時代を舞台にしたいわゆる「西部劇」が大量に製作されるようになります。ところがトーキー時代を迎えてセリフでの表現が可能になると低級なジャンルだと見なされるようになり、西部劇はスタジオセットも不要な荒れ野で撮影される低予算のB級映画として扱われるようになったのです。
その例に漏れずこの『駅馬車』もアーネスト・ヘイコックスという人の短編小説をもとにダドリー・ニコルズが書いた脚本をジョン・フォード監督が20世紀フォックスに持ち込んだとき、西部劇なんか作らないよと断られてしまいました。そこでウォルター・ウェンジャーが立ち上げた独立プロダクションが50万ドルという低予算で映画化することになったものの、低予算ゆえに有名俳優を起用することができず、ゲーリー・クーパーとマレーネ・ディートリッヒの『モロッコ』コンビの再現は不可能となりました。仕方がなくダラス役は脇役でしか出演歴のないクレア・トレヴァー、リンゴー役はジョン・フォード監督の推薦でB級西部劇で低迷していたジョン・ウェインが演じることになったのでした。クレジットロールでジョン・ウェインよりも上にクレア・トレヴァーが出てくるのはそんな背景があったからのようです。
ジョン・フォードはアリゾナ州モニュメントバレーで多くの西部劇を撮影することになっていくのですが、モニュメントバレーで最初に撮影を行ったのがこの『駅馬車』でした。また本作では多くのインディアンがエキストラとして出演していまして、この人たちはアパッチ族ではなくナバホ族なんだそうです。モニュメントバレー近隣で暮らす彼らにとってはエキストラ出演したり映画撮影の作業を手伝ったりすることで働くことができ、その賃金は彼らを経済的に助けることになりました。そんなことからナバホ族の人たちはジョン・フォードのことを「ナタニ・ネズ」(背の高いリーダー)と呼ぶようになったんだそうです。
結果的に『駅馬車』はユナイテッド・アーティスツが配給して大ヒットを記録し、西部劇の古典的傑作として高い評価を得ることになり、それが西部劇というジャンルの復権にもつながりました。本作以降は一流の監督と一流の俳優が西部劇に関わることになり、第二次大戦後から1960年代初めまで傑作西部劇が多く製作されることになります。日本では1940年(昭和15年)という日米開戦の前年に公開されて好評を得たのですが、当時ユナイトの日本支社で宣伝担当をしていたのが淀川長治氏。氏は最初に原題の「Stagecoach」を見て、舞台劇かなにかと勘違いしたそうですが、ユナイトの営業部では「地獄馬車」、外国人支配人は「走る狂気の馬車」という邦題をつけて公開しようとしたのです。淀川さんが猛反対してジョン・フォードの芸術にそんな二流な題名はふさわしくないと三日間粘りに粘って懸命に主張し、日本語タイトルは『駅馬車』に決まったんだと自伝に書いていらっしゃいます。結果的に『駅馬車』は1940年のキネマ旬報ベストテンで第二位に選出されるほどの評価を得たのでした。
【ご覧になった後で】人間ドラマとアクションが融合した傑作ですけれども
いかがでしたか?本作は本当に古典的傑作といえる作品で、まさに映画の古典として誰もが教科書にすべきような出来栄えでした。まずは脚本が完璧に起承転結の展開を踏まえていて、駅馬車に乗り込む乗客を紹介する「起」があって、ローズバーグへ向かう道程の「承」が続き、アパッチ族に襲撃に合う「転」が来て、リンゴーがプラマー兄弟と対決する「結」で締めるという非常にわかりやすい構成をもっています。なかでも西部劇をもはやB級とは呼ばせないというくらい素晴らしいのは乗客の人間関係をくまなく手際よく映像で紹介していくところ。駅馬車には全部で9人が乗り合わせることになりますが、その9人がぞれぞれに個性があって事情を抱えていて、しかも9人による互いの人間関係が複雑にからみあうところがいとも簡単にしっかり明瞭に伝わってくるのです。これはもとの脚本の勝利ですし、それをテンポよく映像化していくジョン・フォードの手腕ですし、キャラクターになりきった俳優たちの演技力によるものでもあります。
その9人を描く部分が単なる西部劇ではなくまさに人間ドラマになっていて、「承」にあたる駅馬車の道程が中だるみするどころかどんどんと観客を引き込んでいくような深みを持っているんですよね。騎兵隊が引き返してしまうとかメキシコ人たちの宿舎でインディアン出身の妻が逃げるとか次の停車場が焼かれているとか、次第に状況が悪化していく中で、リンゴーとダラスの心の触れあいや、夫人の出産、医者の立ち直り、ギャンブラーの出自、保安官の温情などが浮かび上がり、加えて北軍と南軍、レディと娼婦、酒を売る人と飲む人などのさまざまな人間関係がクロスして、9人が立体的に描写されていきます。この演出は本当に見事なさばき方で、見ているうちに黒澤明の『七人の侍』は本作にかなり影響されているんではないかと思ったりしました。
さらにはモニュメントバレーで撮影された映像がどれも印象的で、後のジョン・フォード西部劇の原点ともいえるような構図が次々に出てきます。はるかな平原を画面奥のほうに進む駅馬車をとらえつつ、遠くには空いっぱいに隆々とした雲が光を浴びている、というようなあの映像ですね。駅馬車と騎兵隊が別々の道を行くショットもストーリーテリングそのものを絵にしたようでしたし、大木をすえつけて川を渡る場面もスリリングでした。そしてインディアン襲来における移動ショットの見事さ。もちろん俳優のアップを映すときにはスクリーンプロセスを使ってはいますが、基本的にはロケーション撮影での大規模な俯瞰ショットや移動ショットが連続して、アクションを途切れなく躍動感あふれる映像で見せていました。
その場面でのスタントは現在的にはほとんど神話化していますけれども、西部劇のスタントマンとして活躍していたヤキマ・カヌートが危険極まりないシチュエーションを連続して生身の身体で演じています。馬車の馬に飛びついたインディアンが撃たれて先頭馬からズズズーっと馬車の後ろまで引きずられるショットは、よくもまあ馬や車輪に踏まれないでできたもんだと思います。そしてジョン・ウェインが馬車から馬へ飛び乗っていくところ。移動ショットの長回しでじっくりと見せてくれるので、もう本当にハラハラしてしまいますよね。このヤキマ・カヌートはスタントマンからスタントシーンの演出にも携わるようになり、ウィリアム・ワイラーの『ベン・ハー』のあの有名な戦車競走の場面を指導していますし、1967年にはスタントマンの仕事を認めさせた功績によってアカデミー賞名誉賞を受賞しています。
というわけで、非の打ちどころがない古典的傑作なのですけれども、ジョン・フォードにしてはクローズアップショットの使い方がなんだか間が悪いような感じがして、ところどころでなんでここでこの人のアップがくるのかなと違和感を抱いてしまう場面が散見されました。冒頭の銀行家のバストショットなんかは違う場面なのに同じショットを使い回ししていましたし。そしてジョン・ウェインがライフルをクルクル廻しながら登場するトラックアップショットも効果的というよりは、あまりにあざとい感じがしてしまい、印象的というよりは過剰演出に感じられました。もちろん本作の価値は否定しようもないですし、誰しもが認める傑作だと思いますけど、ちょっと古典的過ぎて面白みが欠けるというのか完成度は高いけどそれほどエキサイティングでもないというか、絶対におススメとまではいえないなあと感じてしまうのが正直なところです。
でも公開当時はその反響は凄まじく、淀川長治さんのもとに届いた感想をみると、溝口健二が「興味深かったのはひとつの馬車に同乗して大きな危機にさらされた人物がそれぞれの環境によって様々の陰影をもって人間の本音を暴露する姿でした」と絶賛していますし、小津安二郎は「最近これほど愉しい映画を見たことがない。これだけは見る価値がある」と褒め上げています。試写室を出た双葉十三郎氏が淀川長治の手を握って「いいねえ!」と感激の声を上げたといいますから、やっぱりいい映画なんでしょうね。(V112022)
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