紳士協定(1947年)

ハリウッドで反ユダヤ主義をテーマにした初の作品でアカデミー作品賞を獲得

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、エリア・カザン監督の『紳士協定』です。ハリウッドではアメリカ社会の背後に潜む反ユダヤ主義(Anti-Semitism)を取り上げることはタブーとされていましたが、20世紀フォックスのダリル・F・ザナックは初めてこのテーマを真正面から取り上げた映画を製作しました。その勇気ある製作姿勢が評価されて、1947年度のアカデミー賞では作品賞・監督賞・助演女優賞の三部門でオスカーを獲得することになりました。

【ご覧になる前に】デビュー4年目のグレゴリー・ペックが主演しています

ニューヨークの街を息子のトミーと歩いているのはカリフォルニアから引っ越してきたジャーナリストのフィル。妻を事故で失ったフィルは雑誌社社主ミニファイに招かれて反ユダヤ主義を題材にした記事を執筆することになったのでした。その題材のアイディアはミニファイの姪キャシーによるもので、離婚したばかりのキャシーとフィルはパーティで再会の約束を交わします。あまり関心のなかったテーマを前にして仕事が捗らないフィルを励ましていた母親は心臓の発作で病床につきますが、母親と過去の著作を振り返っているうちにフィルは自分がユダヤ人になり切って数週間を過ごしてみるという切り口を思いつきます…。

原作者はローラ・Z・ホブソンという女性で、本作以外では「彼女の十二人の男」という作品がある程度で、あまり多くの著作を残してはいないようです。脚色したモス・ハートはニューヨークの貧しいユダヤ人家庭に生まれ、市の公立学校に通ううちから執筆の才能を発揮した人。小劇場やサマーキャンプのステージ用の戯曲家をつとめた後、1930年に書いた「ワンス・イン・ア・ライフタイム」が大ヒットして映画化もされました。S・カウフマンとのコンビで書いたコメディ戯曲はピューリッツアー賞を受賞していますし、ブロードウェイミュージカルの演出ではトニー賞も獲得しています。本作以外の脚色作品ではジュディ・ガーランド主演の1954年版『スタア誕生』が有名です。

当時においてはハリウッドのメジャースタジオのトップはほとんどユダヤ系で占められていました。パラマウントピクチャーの創設者のひとりであるアドルフ・ズコール、ワーナーブラザーズのハリー、アルバート、サム、ジャックのワーナー四兄弟、コロンビアピクチャーズを設立したハリー・コーン、MGMの共同創設者のルイス・B・メイヤー、ユニバーサル映画の設立者であるカール・レムリは、全員ユダヤ人なのです。それでも本作が登場する1947年までにハリウッドでは「反ユダヤ主義」にNOを突き付けるような映画は作られることはありませんでした。すなわちアメリカ社会においては、白人至上主義や黒人差別、ユダヤ人差別などは一種のタブー扱いだったわけです。

そんな中でメジャースタジオのビッグシックスの一社だった20世紀フォックスで本作が製作されることになりました。20世紀フォックスはダリル・F・ザナックが設立した20世紀ピクチャーズとウィリアム・フォックスが設立したフォックスフィルムが1934年に合併してできた映画会社。ウィリアム・フォックスはユダヤ系ドイツ人でアメリカ風の名前に改名していますが、ダリル・F・ザナックはユダヤ人ではありませんでしたから、他のスタジオがユダヤ人経営者の支配下にあったのとは環境が違っていたわけです。

ユダヤ系ではない20世紀フォックスのダリル・F・ザナックがあえて「反ユダヤ主義」を扱う作品を製作しようとした際に監督に起用されたのがエリア・カザンでした。エリア・カザンは幼少の頃にギリシャからアメリカに移住してきた移民で、イェール大学卒業後に入団したニューヨークの劇団を母体としてリー・ストラスバーグらとともにアクターズ・スタジオを創設した人。ストラスバーグは『ゴッドファーザーPARTII』でマフィアのボス、ハイマン・ロス役をやったことでも有名ですよね。

エリア・カザンは舞台演出家として注目されるとハリウッドに進出して1944年『ブルックリン横丁』で監督デビューを果たします。本作は長編監督作品の4作目にあたり、見事にアカデミー賞監督賞を受賞。ハリウッドで成功を収めたエリア・カザンは舞台では「セールスマンの死」、映画では『欲望という名の電車』を発表して名声を確固たるものにしていきます。

主演のグレゴリー・ペックはブロードウェイで俳優をした後に1944年に映画デビューを果たし、翌年にはアルフレッド・ヒッチコック監督の『白い恐怖』でイングリッド・バーグマンの相手役に抜擢されます。1946年の『子鹿物語』でアカデミー賞主演男優賞候補に選ばれて、本作の出演で二年連続オスカーにノミネートされています。グレゴリー・ペックは1916年生まれですから本作出演時は三十一歳。身長190cmと大柄ながら知的な風貌を活かして、本作以降ハリウッドではインテリジェンスを感じさせる正義感といった役を演じていくことになりました。

【ご覧になった後で】無意識の差別をえぐり出した一方で古臭さは否めません

いかがでしたか?「紳士協定」とは「法的な拘束力を持たない非公式の協約」のことを指すと同時に「暗黙の了解」や「私的な秘密協定」のような意味もあり、本作では婚約者キャシーをはじめとした普通の人々たちが「白人社会に白人以外を入れてはならない」という「暗黙の了解」のもとに無意識のうちに差別をしている実態を鋭くえぐり出していました。その意味ではキャシーを演じたドロシー・マクガイアが登場人物の中ではキーパーソンで、「ユダヤ人のふり」をするグレゴリー・ペックの潔癖さを受け入れがたい気持ちになる心の動きをうまく表現していたと思います。ドロシー・マクガイアも本作でアカデミー賞主演女優賞候補になりましたが、オスカーは逃していますね。

逆にオスカーを獲った俳優は助演女優賞受賞のセレステ・ホルムで、本作以降には『イヴの総て』や『上流社会』でも脇役として存在感を示しています。セレステ・ホルム演じるファッション担当のアンはユダヤ人差別などは意に介さず、グレゴリー・ペックに好意を持ちつつジョン・ガーフィールド演じるユダヤ人の旧友にも普通に接します。舞台となる出版社は白人社会の中ではいわゆるリベラルなポジショニングにあるはずで、社主のミニファイやアンがその代表格のように描かれていました。セレステ・ホルムのうまいところは、誠実で率直な態度を示すので、裏があるようには見えない同僚として演じていた点。そういうキャラ設定だとすると、最後に婚約者に振られたグレゴリー・ペックにプロポーズするのはちょっと蛇足だったと思います。

作品賞・監督賞・助演女優賞の三部門でオスカーを受賞したのは、ハリウッド全体が「反ユダヤ主義」の実態を暴き出した本作を驚きを感じながらも歓迎した証だったでしょう。その背景には1945年から1946年にかけて行われたニュルンベルク裁判でナチスによるホロコーストの事実が初めて明るみ出されたことがあったかもしれません。600万人にも及ぶユダヤ人が虐殺されたことに対して全世界が贖罪の意識を感じていたので、1947年はまさに今こそ「反ユダヤ主義」という紳士協定の存在を明るみに出そうという機運が盛り上がったタイミングだったんでしょう。

本作で優れているのは「反ユダヤ主義」側とそれを暴く側の単純な対立関係にとどまらず、その間で揺れるサブキャラクターがうまく配置されていたところで、グレゴリー・ペックはあくまで「ユダヤ人のふりをして差別される」立場ですが、ジョン・ガーフィールドは「ユダヤ人そのもの」で、家族を含めて不当な差別を前提とした人生を生きています。さらにグレゴリー・ペックの秘書エレインはユダヤ人ではないと詐称して雑誌社に雇われている「隠れユダヤ人」で、隠れたままでいれば「反ユダヤ主義」のターゲットにはならないで済むことに味をしめたある意味ズルい立場。そして息子のトミーはユダヤ人ではないのに学校でユダヤ人としていじめられる矛盾に直面します。こうした様々な立場の登場人物たちがいることで、観客はいろいろな視点で「反ユダヤ主義」を検証することになるのです。

しかしながら本作がやや古臭く思われるのは、こうした多角的な視点をもっているにも関わらず、やっぱりグレゴリー・ペックを英雄的に描き過ぎているところで、婚約者を捨ててまで無意識の差別を許せないという信念を貫くグレゴリー・ペックは、キャシーと別れるのはやや逡巡するものの「反ユダヤ主義」への闘いをやめようとはほんの少しも思いません。そこに迷いがないところが安易なアメリカンヒーローものと紙一重な感じがしてしまい、現在的に見るとその迷いのなさにちょっと引いてしまう感じがするような気がします。

さらには1947年にホロコーストが明るみに出て驚きと怒りを感じていたであろうハリウッドが、そのわずか数年後にはマッカーシズムの嵐に巻き込まれてあえなく権力に尻尾を振ることになる歴史が現在では知れ渡ってしまっているわけです。実際にエリア・カザンは非米活動委員会に召喚されて司法取引に応じ、共産主義活動の疑いがあるハリウッド人の名を告げ口しました。仲間を売ったエリア・カザンはそのままハリウッドで監督としての仕事を続けることができ、売られた側のリリアン・ヘルマンやダシール・ハメットたちはハリウッドを追われてしまったわけで、エリア・カザンが本作で描いた「正義」は時流に乗った商売道具のひとつだったのではないかと邪推する気持ちは否定できません。

ちなみにエリア・カザンはグレゴリー・ペックとはそりが合わず、ミスキャストだったと後悔したんだとか。セレステ・ホルムもグレゴリー・ペックと一緒の仕事は楽しくなかったと回想していて、さらには息子トミーを演じたディーン・ストックウェルまでもグレゴリー・ペックとの仕事は不快な経験だったと述べたそうです。グレゴリー・ペックによると「エリア・カザンとは信頼関係はなく、感情的な波長が合わなかった」ということらしいですが、エリア・カザンとしてはグレゴリー・ペックはともかくとして、本作はロマンスの描き方が強引過ぎて自分の情熱も欠けていて好きではなかったと振り返っています。それが本心なのか、あまりに正義漢ぶった作風が後から見ると恥のように見えたのか、それは誰にもわかりません。(A040924)

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