女性の勝利(昭和21年)

溝口健二監督が戦後まもない時期に発表した女性解放三部作の一作目です

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、溝口健二監督の『女性の勝利』です。太平洋戦争が終わると、映画会社は戦時下で統制されていた映画製作を全面再開しますが、戦争で多くの監督を召集されていた松竹は溝口健二を大船撮影所に招いて映画を撮らせることにしました。戦時中は『元禄忠臣蔵』など国策映画の流れにのった溝口健二でしたが、占領下ではGHQの方針にそって女性の地位向上をうたった「女性解放三部作」に取り組むことになります。本作はその一作目にあたり、女性弁護士が男性優位の封建的な考え方に固執する検事と対峙する姿を描いています。

【ご覧になる前に】田中絹代と桑野通子が弁護士と検事の妻の姉妹を演じます

ひろ子は姉みち子の夫である河野検事の助けを借りて弁護士になったのですが、河野が獄中に送り込んだ山岡が五年ぶりに釈放され、山岡と婚約していたひろ子は再会を喜びます。ひろ子はあるとき女学校のとき一緒だった朝倉もとが困窮していることを知り、女性の自立を訴えて励まします。ところが病身の夫に先立たれた彼女は将来を憂い抱きしめた赤ん坊を窒息死させてしまいました。朝倉もとを自首させたひろ子は自ら弁護士を買って出るのですが、事件の担当検事になった河野が検事正のポストを得るために今回の事件への関与の仕方を考えろとひろ子に迫り、姉のみち子も夫に協力してほしいと訴えるのでした…。

戦時中に映画法の統制下にあった映画各社は、戦後になると今度はGHQによる検閲を受けることになりました。GHQはCCD(民間検閲支隊)とCIE(民間情報教育局)に出版や放送、映画などの検閲機関を分担させ、CCDの映画演劇部は「演劇課」と「映画課」に加え「紙芝居課」に分かれていたそうです。占領軍の立場から紙芝居がひとつのメディアとして認識されていたというのはなんとも時代を感じさせますが、映画会社にとっては企画書と脚本を事前検閲するCIEと完成後の検閲を行うCCDの二つの部署がそれぞれに勝手な指示をしてくるので、勘弁してよと思いつつも常に顔色を窺いながら映画製作を進めなければなりませんでした。GHQも途中で面倒になったのか日本側に映倫を設立させてCIEが担っていた機能は昭和24年には映倫に移管されたものの、CCDの検閲は占領が終わる昭和27年まで続くことになりました。

そうした検閲体制構築の前にGHQは昭和20年9月にいち早く占領の三大方針を指示していて、それは「1.軍国主義の撤廃、2.自由主義の奨励、3.世界の平和と安寧」の三つでした。当然映画産業もこの三大方針に沿って再開されたわけでして、たぶん戦時下に内務省検閲課の指示を受けて映画を作っていた映画各社は顔色を窺う相手をGHQに変えただけで、お上の指針に逆らうことのない映画製作をするようになっていったのでしょう。この『女性の勝利』は題名からしていかにも「自由主義」にもろ手を挙げて賛成する姿勢がプンプンと匂い立つようで、脚本を書いたのが野田高梧と新藤兼人という日本映画界を代表することになる超大物コンビであったとしても、まずはGHQに認めてもらうためのシナリオを書くことに腐心したに違いありません。本作が公開された昭和21年4月はGHQの方針に従って戦後初めての衆議院議員選挙において、女性が立候補し女性が投票する婦人参政権が動き始めた月。松竹はそれを見越して、「女性の自立」「男性支配からの脱却」を高らかに歌い上げる「アイデア・ピクチャー」を製作して、GHQにある意味で媚を売りながら、女性客の動員を獲得しようとしたのでした。

溝口健二は戦時中は国策団体の大日本映画協会の理事の座に収まり、日華親善映画の監督を任せられるなど積極的に軍部が進める文化統制に協力する立場をとっていました。当時の日本国民はほぼ間違いなく全員が大東亜共栄圏づくりに向って盲目的に邁進していた時代だったので、なんの不自由もなく表現の自由を謳歌することができ周囲に憲兵もいない現代人たちが溝口健二たちの動きを非難するのはあまりに軽率過ぎるでしょう。溝口健二は新東宝での『西鶴一代女』と大映移籍後に撮った『雨月物語』『山椒大夫』でヴェネツィア映画祭三年連続受賞の快挙を遂げることになりますので、戦後すぐの「女性解放三部作」は溝口の失敗作に分類されることが多いようですが、だからと言って女性を主人公にした本作の価値を貶めてしまうことはクラシック映画ファンにとってはあまりにもったいないことのように思えます。

【ご覧になった後で】溝口らしい長回しで俳優の演技が浮き彫りにされました

いかがでしたか?溝口健二の「女性解放三部作」はえらく評判が悪いみたいで、現在的には溝口健二のフィルモグラフィからはほとんど忘れられた存在になっています。しかしながら今回初見で鑑賞してみたら、意外にも溝口健二らしい長回しショットでしっかりと俳優の演技が捉えられていたのが驚きでした。溝口の長回しの前では俳優は逃げも隠れもできないというかどこまでもキャメラに追い回されて全身で芝居をすることを要求されるので、本作でも俳優たちの演技の実力が浮き彫りになるかのようでした。もちろん戦後すぐのことで、松竹大船撮影所も戦時中の金属類回収令などの影響で撮影機材が不足していたんだと思いますが、長回しなのに移動ショットは少なめになっていて、移動したとしてもちょっとした前後のトラックアップかトラックダウンしかありません。クレーンはもちろんのことドリーも満足なものはない中で撮影が行われたと推測されます。

なので弁護士ひろ子を演じる田中絹代とその姉で検事の妻を演じる桑野通子の二人に注目されるわけですが、二人ともに役になりきった熱演ではあるものの、いかんせん脚本でのキャラクター設計が不自然なため、その熱演が全く生かされていないのでした。というのもセリフが普通の生活で使われるような言葉で書かれていなくて、街頭デモのアジテーションのような主義主張が中心になっているので、田中絹代の弁護士にはほんの少しのリアリティも感じられないんですよね。これは検事役の松本克平にもいえることですが、まあ終盤の法廷シーンではあえて格式張った言い方での応酬になるのはわかるとしても、田中絹代が母親役の高橋とよに向って「女性は社会的にも経済的にも自立しなくてはならないんだわ」というような意味のセリフを熱弁するのは、料亭の女将になる高橋とよからしたら「まあ何をおっしゃってるんですかねえ」と返したくなるような気配でした。

さらに目に余るのはあまりに登場人物を対立関係の構図にはめこみ過ぎていることで、すなわち改革派であり民主化賛成の田中絹代陣営と守旧派でかつ封建体制維持の桑野通子陣営の二つを戦わせるというだけのお話になってしまっていました。でもですね、田中絹代演じるひろ子が正しいとしても、そもそも義兄のコネで弁護士になれたという設定でありながら正義と義理のはざまに置かれるジレンマをほとんど感じないというのはどうなんでしょうか。いかにも民主主義に洗脳された女性戦士というふうにしか見えず、世の中の大きな変化にのまれて苦悩する一個人というセンシティブな感覚が抜け落ちています。逆に桑野通子演じるみち子は夫にかしずくばかりで自分の軸がなく目の前の事象をなあなあでやり過ごせばそれでいい的な、戦時下に求められた女性像を単純化したようなキャラクターになっていましたね。

この映画は戦後派と戦中派の対立を描いていますよーと言って、アメリカさんが教えてくださった民主主義とは本当に素晴らしいものでございますねえとGHQのCIEとCCDに媚を売るようなシナリオがベースになっていたのでして、脚本自体がGHQの顔色ばかりを窺っているのでは良品になることは鼻っから諦めなければならない作品なのでした。しかしだからといって、脚本を書いた野田高梧と新藤兼人を責めるわけにはいきません。当時の映画人たちは戦時中には映画法のもとで内務省検閲課によって支配されていたわけですし、その支配する立場の人が戦後にはGHQに変わっただけで、支配者の意向に沿うことではじめて映画製作が許されたのですから、映画を作るためには支配者の方針に寄り添うことが求められたのです。ここらへんは「支配者の言うなりになる文化人など要らない」とおっしゃる方もたくさんおられるところでしょうけど、大手新聞社の手のひら返しを例に引くまでもなく、すべてのメディアにとって支配から逃れることは不可能な時代だったのです。このような状況を追及するのであれば、支配された側の弱さをあげつらうのではなく、支配した側の権力の恐ろしさをこそ糾弾すべきではないでしょうか。(Y100322)

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