三人の妻への手紙(1949年)

マンキーウィッツが監督賞・脚本賞で初のオスカーを受賞した古典的傑作です

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、ジョセフ・L・マンキーウィッツ監督の『三人の妻への手紙』です。マンキーウィッツは本作でアカデミー賞監督賞・脚本賞の二部門を受賞したのですが、翌年も『イヴの総て』で監督賞・脚色賞でオスカーを獲り、二年連続の二部門受賞は現在でもマンキーウィッツだけという快挙を成し遂げました。それなら当然作品賞ももらったのかと思うのですが、ノミネートはされたものの残念ながら作品賞だけは『オール・ザ・キングスメン』にさらわれてしまいました。三組の夫婦模様を描いた古典的なムードの恋愛ドラマですので、普遍的な魅力のある傑作に仕上がっています。

【ご覧になる前に】五人の妻という設定は尺の関係から三人に減らされました

アディと名乗る女性の声が郊外の町を紹介すると、かつてアディの恋人だったブラッドが海軍除隊とともに故郷に連れ帰った妻のデボラが外出の準備をしています。今夜のパーティまでに帰らないという夫を置いてデボラが車で友人のリタを迎えに行くと、リタの夫ジョージは休日なのに釣りにも行かずスーツを着て出かけて行きました。船着き場でローラメイとおちあった三人の元にアディからの手紙が届きます。そこには三人の夫の誰かと町を出て駆け落ちしたと書かれてあって、ピクニックに出かける船に乗った三人は公衆電話を見つめながら町を離れていくのですが…。

原作はコスモポリタン誌に掲載されたジョン・クレンプナーの小説で、「五人の妻への手紙」というタイトルでした。脚色にはヴェラ・キャスパリーという女性も加わっているようですが、クレジットでは「Screen Play & Directed by」としてマンキーウィッツの名前しか出てきませんし、アカデミー賞では脚色賞ではなく脚本賞をマンキーウィッツが単独で受賞しています。原作では五組の夫婦の様子が描かれているそうで、それが脚本段階で四組に変更され、さらに20世紀フォックス副代表のダリル・F・ザナックから長過ぎるから三人に減らしなさいという指示が出されて『三人の妻への手紙』になりました。

減らされた妻役に予定されていたアン・バクスターは本作に出演する機会が失われたわけですが、翌年にはマンキーウィッツ監督の『イヴの総て』でタイトルロールの演じることになります。結果的に三人の妻を演じたのはジーン・クレイン、アン・サザーン、リンダ・ダーネルで、本作出演時においてはジョン・フォードの『荒野の決闘』でドク・ホリディの情婦チワワ役を演じたリンダ・ダーネルがキャリア的には一歩先んじていました。一方の男優陣では本作のすぐ後に主演した『チャンピオン』で個性派俳優として売り出すカーク・ダグラスが一番上にクレジットされています。

キャメラマンはサイレント映画時代から活躍し、1930年代以降は20世紀フォックスで働いていたアーサー・C・ミラー。ジョン・フォードの『わが谷は緑なりき』やエリア・カザンの『紳士協定』など大物監督との仕事をこなし、本作でキャメラを担当する以前にアカデミー賞撮影賞を三度も受賞している大ベテランです。1951年に引退したということなので、本作はキャリア最晩年の仕事にあたります。

オスカー受賞でいえば音楽のアルフレッド・ニューマンのほうがさらに上を行く実績を持っていて、四度もアカデミー賞を受賞していた時期。20世紀フォックス社のロゴが映されるときのあの超有名なファンファーレを作曲したのもアルフレッド・ニューマンで、生涯でアカデミー賞の音楽関係の賞を9度も受賞することになります。それに比べるとプロデューサーのソル・C・シーゲルは本作でアカデミー作品賞を逃したあとは受賞の機会がなく、自身のプロダクションで『上流社会』などを作ることになります。

【ご覧になった後で】アディが姿を見せない脚本が素晴らしい出来栄えでした

いかがでしたか?ジョセフ・L・マンキーウィッツの脚本が非常にうまく出来ていて、1時間40分の上映時間があっという間に感じられるような完璧な構成が光っていました。そのシナリオ世界に観客を引き込むのがアディのナレーション。結局最後までアディは姿を現さないのですが、映画の冒頭から流れてくるアディの声がすこぶる魅力的なので、声に魅了されるようにしてアメリカのある都市のある郊外の物語に自然と一体化していくような気分になります。映画が終わってからアディの声をやったのがセレステ・ホルムだったことを知り、セレステ・ホルムの演技力が声に圧縮されていたんだなとさらに納得しました。

セレステ・ホルムは二年前に出演した『紳士協定』でアカデミー賞助演女優賞を獲得していますし、翌年にはマンキーウィッツ監督の『イヴの総て』にも重要な役を配されています。しかし姿を見せないまま声だけでアディという女性の存在感を伝え、しかもどんな男性をも虜にしてしまう蠱惑的な女性を想像させてしまうんですから、女優にとって声というのも演技の重要な武器なんだとあらためて思い知らされました。

セレステ・ホルムのおかげもあり一度も画面に出てこないアディを巡ってすべての登場人物の心が揺れ動く様相が描かれていくのが本作の妙味でした。登場人物は常にアディの存在を意識してライバル視しながら夫が本当に好きなのはアディではないかと疑います。不在の人物を軸として進行する物語も独特ですが、さらに手紙で誰かの夫と駆け落ちすると知らされた後の、三人の妻たちの回想で過去の三組の夫婦にそれぞれの葛藤があったことが明かされるプロットの構成が実に洗練されていました。

ジーン・クレインの回想は田舎出で海軍上がりの劣等感にさいなまされた自分を振り返り、アン・サザーンの回想はラジオ脚本の仕事を優先することで安月給の教師をしているカーク・ダグラスを傷つけてしまうエピソードが語られます。そしてリンダ・ダーネルは電車が通るたびに揺れる貧しい暮らしから脱出するために百貨店社長ポール・ダグラスに結婚を決意させる手練手管を弄し、三組の夫婦の中では決定的に愛情が欠けている状況が伝わってきます。この三つの回想が副次的な人物の登場によって厚みをもって提示され、特にアン・サザーンとリンダ・ダーネルの回想に共通して出てくるセルマ・リッターの演技が印象的でした。セルマ・リッターといえばすぐにヒッチコックの『裏窓』の看護婦役が思い出されるのですが、山岡久乃かと思わせる容姿で役どころもちょっとひねった感じが共通しているのが面白いですよね。

そんなわけで本作の面白さは脚本と俳優陣の演技によるところが大きいような気がします。マンキーウィッツの演出は基本的にはフルショットで俳優たちを映しながらあまりカッティングせずに演技の持続性を尊重したやり方から逸脱しません。ハリウッド全盛期の監督の多くがある意味で邪魔にならない演出をしていたのは、作家性みたいなものを前面に出し過ぎることを映画会社やプロデューサーが嫌ったせいかもしれませんし、映画製作の仕事が厳密に役割分担されていたハリウッドでは監督は映像演出よりも演技指導をする人という側面が強かったのかもしれません。なので本作でアカデミー賞監督賞と脚本賞をダブル受賞したマンキーウィッツにとっては、脚本賞こそが本質的な栄誉だったことでしょう。

本作はアメリカ公開の翌年に日本で公開されていて、キネマ旬報ベストテンでは第3位にランキングされました。マンキーウィッツが監督賞・脚本賞の二部門を受賞したことやメジャーの20世紀フォックス製作・配給作品だったことで、GHQ占領下の日本でもすんなりと公開されたのでしょうか。双葉十三郎先生は☆☆☆☆と高評価していて、マンキーウィッツのことを「鬼面性(ハッタリ)のない、おとなびた作家である」と指摘し「派手でない、その代わり含みがある。最近のハリウッドの監督にはこの傾向のひとがふえてきている」と分析しています。マンキーウィッツは常設映画館主の意向に映画製作が左右されるのを嘆いていたらしく、本作でアン・サザーンがラジオ会社の要求で台本の書き直しをさせられるのをしつこく描いているのはそのせいかもしれないですね。(U050224)

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