人間の証明(昭和52年)

「母さん、僕のあの帽子どうしたでしょうね」で大ヒットした角川映画第二弾

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、佐藤純彌監督の『人間の証明』です。角川書店社長だった角川春樹が映画製作に乗り出したのは昭和51年の『犬神家の一族』でしたが、横溝正史の小説を映画化することでのメディアミックス戦略が奏功して映画も大ヒットしました。その第二弾として製作されたのがこの『人間の証明』で、森村誠一の小説をフィーチャーすると同時に原作に出てくる詩人西條八十の「母さん、僕のあの帽子、どうしたでせうね?」という一節をキャッチコピーにした宣伝攻勢をかけ、またまた大ヒットを記録しました。

【ご覧になる前に】17日間の大規模なニューヨークロケを敢行した大作です

ニューヨークで札束を受け取った黒人の若い男が航空券を買い身なりを整えてハーレムのアパートを後にします。アパートの大家に聞かれた行き先は「キスミー」でした。東京ではホテルでファッションショーが開催され大勢のお客がごった返す中、エレベーターの中でその黒人の若者は果物ナイフで胸を刺されて息絶えました。エレベーターガールは若者が最後に「ストウハ」と言って倒れたと証言し、警視庁は殺人事件として棟居刑事らを配置します。ショーのデザイナーは八杉恭子で、その恭子の息子である恭平はショーが終わった夜、雨の中をスポーツカーで人を轢いてしまうのでしたが…。

『犬神家の一族』は東宝系映画館で公開されてヒットしたのですが、角川春樹は映画製作に乗り出す時点で東映の岡田茂社長に相談していて、角川映画第二弾は東映洋画系映画館で公開することが決まりました。角川春樹が進める宣伝戦略は良い作品さえ作れば客は入るものだという古い体質の映画業界関係者にとっては受け入れがたく、宣伝費を使うくらいなら製作の現場に回せという声があがったとか。製作記者会見では「製作費6億円、宣伝費3億5千万円、その他合計10億円を投入する」と発表され、「母さん、僕のあの帽子どうしたでしょうね」というキャッチコピーのTVコマーシャルが大量に流され、書店でも「読んでから見るか、見てから読むか」という惹句で森村誠一フェアが大々的に展開されたのでした。実際には撮影にもお金をかけていて、ニューヨークロケは17日間にわたって行われ、ニューヨークの町でのカーチェイスシーンも撮影されています。ほとんど必要のないカーチェイスですけど。

話題作りのために脚本も公募されて賞金500万円につられて600本近いシナリオが集まったといわれています。プロ・アマ問わないオープン懸賞でしたので、結果的に松竹出身の脚本家で高峰秀子の旦那でもある松山善三の作品が採用されることになりました。監督は『新幹線大爆破』と『君よ憤怒の河を渉れ』を連続して監督した東映東京撮影所出身の佐藤純彌が指名されて、スタッフとしてはキャメラマンに姫田真佐久、照明は熊谷秀夫、録音は紅谷愃一など日活で長く働いた精鋭たちが揃えられました。

主演の岡田茉莉子は角川春樹が長年ファンだったことからすぐに決定したそうです。一方で刑事役は渡哲也をオファーしたもののTVの「大都会シリーズ」の撮影が入っていたので断られ、『新幹線大爆破』で佐藤純彌と組んだ高倉健ではどうかとなったらしいのですが、松田優作の起用を角川春樹が決めたのだとか。角川映画からは薬師丸ひろ子や原田知世など長く俳優として活躍するタレントが出ていまして、角川春樹には有望な新人を見抜く眼力が備わっていたんでしょうか。まあもちろん松田優作自身は昭和48年に出演した「太陽にほえろ!」のジーパン刑事役でブレイク済でして、本作出演後に東映の『最も危険な遊戯』で主演を張ってからはずっと主演俳優として活躍しますから、角川春樹は松田優作に映画界への道を拓くきっかけをつくったことになったのでした。

【ご覧になった後で】それなりには見られますがキャラクターが薄かったです

いかがでしたか?本作は昭和52年度の配給収入で22億円超を記録して、東宝の『八甲田山』に次ぐ年間第二位のヒット作となりました(ちなみに三位が松竹の『八つ墓村』です)。そのときのロードショー公開で見て以来すごい久しぶりに再見しまして非常に懐かしかったとともに、2時間12分の長尺なのにそれなりに面白く見られる作品にまとまっていたのは少々驚きでした。さすがに松山善三ですから、ストーリーを見せるという点では成功していたのだと思います。

しかしキャラクターはまったく深掘りが足らず薄っぺらい人物になってしまっていて、岡田茉莉子演じるファッションデザイナーは、最後に恭平が生きがいだったと告白するのですが、岩城滉一のことを心から大事にしているというエピソードもセリフも演出もないので単なる言葉だけに聞こえてしまいます。松田優作演じる棟居刑事は米兵に父親が殺される回想シーンだけはしつこく繰り返されるのに、父への思いやアメリカへの憎悪などは松田優作のにらみ顔以外では表現されていませんでした。これってなんでそうなってしまうのかといえば、ストーリーの表面だけをなぞるだけだからで、登場人物の個性まで掘り下げず、人物は事件を描くためのコマの扱いにしかなっていないのです。

ジョージ・ケネディが出演するアメリカの場面は大規模なロケーション撮影をしているからというわけでもないでしょうが、刑事と署長の会話などがいきいきと描かれていて登場場面は少ないのに観客にその人間性が伝わるシークエンスになっていました。B班にもライターという役職が設定されているのでたぶん英語のセリフは松山善三ではなく別のアメリカ人が書いたんでしょうけど、そっちのほうが人物本位のシナリオを書いているわけです。本当は本編の中で、岡田茉莉子の過去を抱えた苦悩と同時に息子を愛するセリフや行動が書き込まれるべきでした。薄っぺらいとはそういうことです。

犯罪ものとしての骨格も結構いい加減で、霧積温泉で老婆を殺害する場面は竹下景子が泣くのを撮りたかったのかもしれませんが、刑事たちが到着したその日に岡田茉莉子に殺されていたのですからその場で刑事が聞き込み捜査をすれば、東京から来た派手な女性が霧積温泉にやって来たことくらいすぐ明らかにできるはずでしょう。そしてホテルニューオータニが全面的に協力したらしい終盤の表彰パーティの場面での岡田茉莉子の告白はあまりの場違いで出席している人たちからすれば戸惑いとか違和感しかないはずなのに、岡田茉莉子が拍手されて退場するってどう考えてもヘンですよね。さらに刑事たちが逮捕しようかと張り込みしているのになぜ車で霧積まで移動できるんでしょうか。加えて麦わら帽子はいつどこで入手したんでしょうか。

というように映したい絵が先にあって、その絵を撮るために話や人物がどうなっても関係ないやというのがこの映画の作り方なのです。確かに霧積で朝焼けから太陽が山添いに顔を出す映像は苦労して撮影したんでしょうし大変に美しいです。でもそういう場面になるためのプロットの積み上げがないので、どんなに良い映像でもシラケるだけになってしまっていました。こういうのがこの時代の日本映画のダメなところなんでしょうね。

岩城滉一は本作の4年後にはTVドラマ「北の国から」で草太役を好演しますけど、そのイメージがまったく感じられないのは声が吹き替えだからということもあるようです。撮影後に覚醒剤取締法違反で逮捕されてアフレコができなくなったため、やむなく別の人が声を当てたんだそうで、でも本作の録音は今村組で同時録音を叩きこまれた紅谷愃一がやっているので、撮影時にセリフの音を残してなかったのかがちょっと疑問です。確かジョージ・ケネディの声はすべて同時録音したみたいなことを話していたような気がするのですが。まあ本作の唯一の救いはジョージ・ケネディがまじめに仕事をしてくれたという点くらいしかないかもしれません。(V120322)

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