肉弾(昭和43年)

岡本喜八がアート・シアター・ギルドと組んで自主製作した戦争風刺映画です

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、岡本喜八監督の『肉弾』です。昭和36年に設立された日本アート・シアター・ギルド(ATG)は当初は外国映画の配給・興行を行っていましたが、独立プロダクションと製作費を折半することで低予算映画を製作するようになりました。本作はその初期の一本で岡本喜八のオリジナル脚本をなんとか映画化しようとみね子夫人が自宅を抵当に入れて捻出したお金が製作費に費やされました。太平洋戦争末期に兵士に特攻を命ずる軍隊を痛烈に風刺していて、キネマ旬報ベストテンでは第2位にランクインしています。

【ご覧になる前に】東宝で『日本のいちばん長い日』を撮った翌年の作品です

日本の男性の平均寿命が戦後二十数年で21.6才伸びたという説明が黒板書きでされると、ちょうどその二十一歳と半年の年齢になる学生出身兵士が海上で魚雷に縛り付けられたドラム缶の中で番傘をさしています。彼は飲み込んだメダカを吐き出すと、上官に牛の反芻を教えたことを思い出しました。工兵特別甲種幹部候補生の兵士は動作がのろいと区隊長から殴られ、罰として素っ裸で本土決戦に備えた作業をさせられていましたが、ソ連参戦の事態となって特攻隊員に編入させられました。出撃前に一日だけ外出が許された兵士は女郎買いに出かけますが、古本屋の主人が小水をするのを手伝ってやると聖書を買い求めるのでした…。

岡本喜八は戦時中に東宝に入社し、終戦後に復員してマキノ雅弘監督作品の助監督をつとめていました。昭和33年に雪村いづみ主演の『結婚のすべて』で監督に昇進すると、『暗黒街の顔役』『独立愚連隊』『江分利満氏の優雅な生活』など幅広いジャンルの作品を発表していきます。本作の前年には東宝創立35周年記念の大作『日本のいちばん長い日』の監督をつとめ、玉音放送で終戦が宣言されるまでの隠された戦史を描いて東宝を代表する監督のひとりとなりました。

終戦の混乱を俯瞰的にとらえたスケールの大きな作品を作った岡本喜八は、それとは正反対に自身の戦争体験を映画にしようとオリジナル脚本を書き上げます。昭和20年1月に松戸の陸軍工兵学校に入隊した後、愛知県豊橋市の第一陸軍予備士官学校に移り終戦を迎えた岡本は、豊橋で多くの戦友を失うとともに陸軍という組織機構に大きな疑問を抱いていました。『日本のいちばん長い日』とは真逆の、ひとりの兵士から見た終戦を描いたシナリオは企画段階で東宝から製作許可を得られず、妻の岡本みね子が東奔西走して出資者をかき集め、自宅を抵当に入れるなどして借金をして製作費を工面したのでした。

一方で川喜多かしこが始めた日本アート・シアター運動の会」に共鳴した東宝副社長の森岩雄が興行会社や映画館主に声をかけて設立したのが日本アート・シアター・ギルド、通称ATGで、昭和36年に東宝参加の映画館5館を中心にして優れた外国映画の配給・上映を開始しました。第一回配給作品はポーランドのイエジー・カヴァレロヴィチが監督した『尼僧ヨアンナ』で、その後もアート系の映画を輸入・上映します。

三島由紀夫が私的に自主製作した『憂国』を配給したのがきっかけとなって、今村昌平が『人間蒸発』の共同製作をもちかけたことから、ATGは映画製作を手掛けるようになります。その仕組みは製作費予算を1000万円に設定した低予算映画に企画を絞り込み、独立プロダクションとATGが500万円ずつ出資して、興行収益も折半するというものでした。ですので岡本みね子が集めた製作費は500万円だったわけで、ATGが共同出資することで『肉弾』の映画化が実現されたわけです。

主人公の兵士を演じた寺田農(みのり)は文学座付属演劇研究所の第一期生で、同期には岸田森や橋爪功、樹木希林がいました。TVドラマの「青春とはなんだ」に出演したのが岡本喜八の目に留まり本作の主演に抜擢されました。女学生役で出てくる大谷直子は本作の一般オーディションで300人の中から選ばれて、十八歳で映画デビューしました。本作をNHKのプロデューサーが見て、昭和44年の朝ドラ「信子とおばあちゃん」のヒロインに起用され、お茶の間のスターとなっていきます。新人の2人以外は田中邦衛や中谷一郎、笠智衆、北林谷栄、春川ますみ、小沢昭一、菅井きん、高橋悦史、伊藤雄之助などが出演していて、たぶん1000万円の製作費ではここまでの俳優は揃えられませんから、岡本喜八を助けるためにほとんどノーギャラで出ているのではないでしょうか。ナレーターの仲代達矢は小林正樹の『怪談』にもギャラなしで出ているくらいですから、ナレーションだけの本作なら確実に出演料はなかったものと思われます。

【ご覧になった後で】乾いたタッチの短いショットが軽快なテンポを生みます

いかがでしたか?『独立愚連隊』もそうでしたが、岡本喜八の戦争喜劇は決して重くならずに2時間近い映画を軽快なテンポで見せていきます。このテンポを生んでいるのが短いショットの積み重ねで、ショットのサイズは汗みどろの顔を映した超クローズアップから砂浜を歩き去っていく超ロングショットまで様々なのですが、どれも非常に短く切り詰められていて、じっくりと俳優に演技をさせる長いショットはほとんどありません。加えてこれらの短いショットが非常に乾いたタッチで撮られていて、海や雨の場面もあるのですが画面自体は全く湿っておらず、逆に海水を飲み水にはできないように喉がカラカラに乾くようなドライな感じが伝わってきます。内容的にはひとりの兵士の目を通じた戦争批判なわけですが、それが重くならずに軽く感じられ、しかも映画を見終わった後には全く潤いを感じさせないという岡本喜八らしい作品になっていました。

導入部と終幕が現代で、過去の中で時制がさらに過去にさかのぼるという脚本の構成に工夫があって、兵士が骸骨となって現代に蘇るラストが戦争を忘れてしまいつつある現代への痛烈な皮肉になっていました。しかも戦争を批判している割には軍隊の上官たちを単純な悪人に描いていないところが興味深く、序盤で出てくる田中邦衛はいかにも暴力的な上官ではありますが寺田農の「反芻」の知識に妙に感心しますし、中谷一郎は親切に道案内してくれるし、小沢昭一も一皮むけば子煩悩で平凡な父親の顔を見せてくれます。岡本喜八が批判しようとしているのは軍隊の中の個人ではなく、軍部の機構そのものであり、敗戦が目に見えているのにも関わらず兵士を特攻兵器に仕立てようとする日本軍の戦略のなさなのです。そして何もかも忘れやすい日本人の性根にとどめを刺すために、せっかく汚穢船に拾われた寺田農のロープを切って現在にまで漂流させるのです。そんなわけで悪人が出てこないところも本作の軽快さを生んでいる要因かもしれません。

そんな中で中盤以降の砂浜の場面では雷門ケン坊が大活躍をしていました。兄役の頭師佳孝があっさりと死んでしまうのに弟の雷門ケン坊を生き残って、しかもしっかりと日本軍の手榴弾まで確保しています。雷門ケン坊はTVの特撮もの「怪獣ブースカ」に吉野謙二郎の名前で出ていた子役で、本作出演時も十一歳でした。「日本よい国、清い国、世界に一つの神の国。日本よい国、強い国。世界に輝く偉い国」というフレーズは第5期の修身教科書にあった「日本ノ國」の一節らしいのですが、子供が繰り返すこの呪文のような言葉が戦争の空疎さを象徴していたように思います。

乾いたタッチの映像を撮っていたキャメラマンは村井博で、大映時代には増村保造の『からっ風野郎』『好色一代男』や川島雄三の『女は二度生まれる』『雁の寺』を撮った人です。昭和37年に東宝に移った後には岡本喜八とは『江分利満氏の優雅な生活』や仲代達矢版の『大菩薩峠』で組んでいますので、そんな縁があってたぶんギャラの安い本作でも撮影を付き合ったのかもしれません。またメキシコ民謡風の呑気な音楽を作った佐藤勝も『独立愚連隊』以降岡本喜八作品で音楽を提供していまして、一節にはスタジオ代を節約するために別作品の録音時に本作のBGMをこっそり録音してしまったんだとか。スタッフもキャストも監督のために手弁当で参加したというのが、発足当時のATG作品に共通する意気込みだったようです。(U010623)

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