戦ふ兵隊(昭和14年)

日中戦争の漢口攻略作戦を陸軍報道部が亀井文夫に作らせた長編記録映画です

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、亀井文夫監督の『戦ふ兵隊』です。昭和12年7月の盧溝橋事件に端を発した日中戦争は、その年の末に日本陸軍が南京を占領した後でも和平交渉が決裂して戦争状態が継続されていました。翌年の春以降日本陸軍は漢口攻略作戦を企て武漢に進軍し、広大な中国大陸を舞台にした日中戦争は泥沼化していくことになります。そんな展開になるとも知らずに陸軍報道部は当時最大の映像メディアであった映画を利用して、日中戦争を東亜新秩序確立のためと宣伝しようとしました。日本陸軍の雄姿を映像に収めたドキュメンタリー映画は亀井文夫監督の手に委ねられたのですが、完成した作品は雄姿どころか繰り返される転戦で疲弊していく兵隊の姿がリアルに記録されていました。せっかく作った映画は結果的にはお蔵入りとなってしまい、本作が日の目を見たのは戦後三十年が経過した昭和50年のことでした。

【ご覧になる前に】亀井文夫と三木茂が中国戦線に従軍しながら撮りました

中国のある村が燃えています。日本陸軍が村を占領して、便衣隊と呼ばれるゲリラがいないかどうかを確かめるために火をつけたのでしたが、その様子を中国人の老人が悲しそうな目で見つめています。夕日を浴びて村の住民たちがそれぞれ荷物を抱えてとぼとぼと避難していく列が続きます。陸軍中隊の野営地には武器修理所があり、兵隊が黙々と銃器の点検を行っている一方で、野戦病院では怪我をした兵隊たちがそこかしこに蹲っています。やがて中隊が次の前線へと移動していくと、そこには小屋やテントが無人のまま残されることになりました。するといつのまにか現地の中国人が現れて、枯草を撚って束にして壊れかけた小屋に屋根をかけるのでした…。

昭和14年10月に施行された映画法によって、映画製作は完全に政府の統制下に置かれることになりました。映画の製作と配給をする者は政府の許可を受けなければならなくなり、許可を受けたとしてもその内容によっては政府が取り消すことも可能となりました。さらには監督やキャメラマン、俳優など映画製作に関わる「技能者」は試験を受けて合格し政府に登録して鑑札を受けることが義務付けられたのです。この資格も政府によって取り消すことが認められていて、本作の監督の亀井文夫は昭和16年に取り消し処分第一号となっています。

亀井文夫はソビエト美術を学ぶため昭和初期にソビエトに渡り、そこで映画に出会ってレニングラード映画技術専門学校の聴講生として映画を学びました。帰国するとPCLに入社して、PCLが東宝に再編された以降には『上海』『北京』というやはり日中戦争の戦跡記録映画を作っています。松竹や日活に対抗して東宝は軍にスポンサーになってもらう戦争協力映画に積極的に取り組んでいましたので、南京を征服してこれから漢口攻略だというところで、亀井文夫はキャメラマンの三木茂とともに中国戦線に従軍して、勇壮な兵隊の姿を映画にするために撮影に入ることになったのでした。

三木茂は新興キネマ時代には溝口健二監督の『瀧の白糸』の撮影を担当した実績のある人ですが、JOスタヂオにつとめることになり、その流れで東宝に合流して亀井文夫とコンビを組むことになったようです。中国大陸の内陸における戦争現場の撮影では様々な困難があったらしく、亀井文夫と三木茂が銃撃戦を撮影している途中ではぐれてしまって漢口でやっと合流したり、食料事情が悪く食べ残しのみかんの缶詰を食べた亀井文夫は赤痢に罹患してしまい後方に下がらざるを得なくなったりしたようです。ですので亀井文夫と三木茂がいつも一緒になって撮影にのぞめたわけではなく、命からがらの行動の末、撮影できたフィルムを日本に帰って編集したという製作経緯だったのでしょう。

亀井文夫が日本に戻って完成させた『戦ふ兵隊』は昭和14年春にはキネマ旬報誌上に「日本映画万歳!ここに名作誕生!」という惹句のもと大々的な宣伝広告が掲載されて、試写会はのべ3万人が参加する大盛況でした。ところが一般公開を目前にして「これでは戦う兵隊ではなく疲れた兵隊だ」ということで公開中止に追い込まれてしまいます。戦後『戦争と平和』を亀井文夫と共同監督することになる山本薩夫は、この事態が起きたときに東宝の製作責任者森岩雄に呼ばれてこの映画の再編集を依頼されたといいます。もちろん左翼運動もやっていた山本薩夫は本作の価値を損ねることはしないといって再編集を拒絶して、本作はそのままお蔵入りしてしまったのでした。

監督の亀井文夫にしてみれば、実際に中国の最前線で従軍しながら撮った映画ですし、陸軍報道部の指示を受けて作ったわけですから、なぜ公開中止になるのか理解できなかったそうです。東宝にしてみると、劇場にかけても興行的に難しいと判断したのか、あるいは軍部となにかしらの取引があったのか本当の原因は何なのかよくわかりません。ただ本作に登場する中隊長が試写会をやった直後に兵隊たちの出身地である鹿児島で上映会をしたいと借りていたプリントを返したのが、東宝のどこかに忘れ去られたままになったのが幸いして、昭和50年にそのフィルムが発見されたのでした。翌年から2年間にわたって全国各地で上映会が開催され、自分の肉親が写っているのではないかと問い合わせが多数入ったりして、やっと亀井文夫の『戦ふ兵隊』は観客の目に触れることになったのでした。

【ご覧になった後で】戦意高揚でも反戦でもない現実直視型の記録映画でした

いかがでしたか?本作は公開中止になった経緯から日中戦争時に亀井文夫が果敢に製作した反戦映画というようなイメージが流布していましたけど、実際に見てみるともちろん戦意高揚映画ではありませんが、平和主義的反戦映画というにはあまりに物静かで淡々と兵隊が送る日々を現実のままに直視する本当の意味でのドキュメンタリー映画のように感じられました。現実そのものを写しているので、実際に転戦を繰り返す陸軍中隊がどのような一日を過ごしているのかがよくわかりますし、野営地の中で様々な部署がそれぞれに仕事をもっている日常をうかがい知ることができます。兵士の姿にキャメラが寄ってアップで撮ったショットも多く挿入されていて、布とゴムを縫い合わせただけのようなきわめて貧弱な靴を履いているのがしっかりと写っています。現在的な目でそれを見ると中国大陸をかなりの長距離で行軍したであろうに、靴底にはいくつかのゴムのブツブツだけしかついていず、さぞかし歩きづらかったろうなと思ってしまいました。

また開巻してからの20分経過したあたりから約10分くらいは中隊本部を横からほぼ長回しのワンショットで撮った戦闘指令場面になります。椅子に腰かけた中隊長が地図を見ながら次々に指示を出し、下士官らしき部下たちが入れ替わり現れてその指示を兵隊たちに伝えるという緊迫した様子を映した場面で、音声もたぶん同時録音で採録されていて、爆音が轟く中での前線の雰囲気がよく伝わってきていました。ところが完成後に行われた試写での評判を見ると「このような虚偽や作為には裏切られた。反発と不信を感じざるを得ない」と酷評されていますので、どうやら戦闘終了後に兵隊に芝居で再現させて撮ったもののようですね。確かに本当に戦闘状態であれば、そんな中隊本部を撮影できないでしょうし、本部内の全景が映る位置にキャメラが構えられているという構図自体も後になって芝居を写すためのポジションだったのかもしれません。それにしても当時の前線基地の雰囲気や上官が部下にどのような言葉遣いをしていたかはそれなりにリアルに記録されていますので、記録映画としての価値はそれなりにあると思います。

そして本作の最大の特徴は、実写フィルムのモンタージュと字幕が一体となって独特なリズムを刻むような作品になっていることでした。ナレーションが全く入らないので映画自体がアピールすることはありません。字幕を読むという行為は観客に文字の意味を読み取らせるということなので、一方的に教宣するような伝え方ではないところに妙味があったように思います。同時に映像のモンタージュも当然ながらショットの並べ方によって映像に意味が出てくるわけなので、ひとつひとつのショットは現実そのものですが、編集によってその現実にストーリーが加わることになります。中隊が転戦した後に自分たちの住まいを再建する中国の現地の人たちからは生きる逞しさのようなものが読み取れますし、武漢に入城して楽隊の演奏を聴く兵隊たちからは音楽よりも休息を求める本音が浮かび上がってきます。

ここらへんが反戦映画として受け取られる要因なんでしょうが、本作を支配しているのはいつ終わるともわからないことを繰り返す日々によって疲弊する沈んだ気分とでもいうんでしょうか、恋愛や娯楽など楽しいことが一切起こり得ない世界のけだるさが最後まで通底していました。たまたま本作ではそれが戦場の記録だったわけですが、兵隊ではなく毎日あちらこちらを渡り歩いて同じ作業を繰り返す労働者の記録だったとしても同じような描き方になったはずです。反戦映画というレッテル貼りをするよりは、生きる楽しみを奪われた生活のリアルな記録と表現したほうが適切のような気がします。

そんな中でも映画の中に出てくる動物というのはどうしてこうも哀れに感じられてしまうのでしょうか。ケガをした馬を放置しなければならないという字幕が出て、草原の中の道をとらえたロングショットの片隅に前足に包帯を巻いた馬が映り、次にはその馬が立っていられずに横たわってしまうのを見ると、本当に哀しい気持ちにさせられますよね。兵隊たちも大変そうではあるのですが、所詮は人間の業の中の話なのでまあ仕方ないとして、戦争なんかに全く関係のない馬がなんでこんな目に合わなきゃいけないのかという気分になってしまいました。まあ映画を見るスタンスはともかくとしても、戦争が起こらない世界であることを望まないわけにはいきません。(Y041923)

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