惑星大戦争(昭和52年)

『スター・ウォーズ』日本公開前年に急仕立てで作られた東宝SF特撮映画です

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、福田純監督の『惑星大戦争』です。ジョージ・ルーカスが監督した『スター・ウォーズ』が全米で公開されたのは1977年5月のことで、歴史的な大ヒットを記録していることだけが伝えられた日本では早々に1978年7月公開という予定が決められてしまいました。映画界がこの動きに便乗しないわけがなく、いち早く宇宙を舞台にしたSFものに取り組んだのが東宝で、『ゴジラ』をはじめ特撮映画を多く世に送り出してきたプロデューサーの田中友幸が福田純を監督に起用して作ったのがこの『惑星大戦争』でした。1977年(昭和52年)年末封切りの本作に続いて翌年春には東映で『宇宙からのメッセージ』が公開され、日本の映画会社はSFブームに先乗りする形となりました。

【ご覧になる前に】『海底軍艦』に登場した「轟天号」が宇宙に飛び立ちます

1988年国際宇宙局日本支部を訪問した三好はかつての同僚の室井やジュンとの再会を喜びます。三好が二年間アメリカに赴任していた間に室井とジュンは婚約していて、ジュンの父親で国防軍の技術者滝川博士は三好から宇宙防衛艦「轟天」の開発再開を要請されます。共同開発者のシュミット博士が殺されニセモノが滝川邸を訪問した頃、妨害電波で音信不通になっていた宇宙ステーション・テラが爆破され、それを契機に世界各地に現れた無数のUFOが主要都市を次々に破壊し始めました。「轟天」の出撃を決意した滝川博士は孤島の秘密工場で完成を急ぎますが、その島を発見したUFOからは緑色の皮膚をもった宇宙人が降り立ち、滝川や三好に攻撃を仕掛けてくるのでした…。

『スター・ウォーズ』の話題が伝えられた昭和52年以前に、日本では『宇宙戦艦ヤマト』によってすでにSFブームが起こっていました。松本零士の原作マンガがアニメとしてよみうりテレビで放映されたのが昭和49年から50年にかけてのこと。戦艦大和が波動砲をもつ宇宙船に改造されて宇宙の彼方にあるイスカンダル星を目指すという宇宙ロマンは、低視聴率のため当初の予定を短縮して2クール26話に縮小されました。しかし地方局で再放送が繰り返されるうちにアニメファンだけでなく一般大衆からも注目されるようになり、昭和51年には在京キー局の日本テレビで20%を超す高視聴率を記録するほどのヒット作となっていました。

そこへアメリカで公開された『スター・ウォーズ』が歴代最高級の大ヒットになっているというニュースが入ってきます。アメリカでは1977年11月にスティーヴン・スピルバーグ監督による『未知との遭遇』が公開され、それまでのアナログな特撮映画のレベルではないデジタル技術を駆使したSFXの新時代が始まっていました。YouTubeはおろかインターネットもまだ登場していない時代でしたので、『スター・ウォーズ』を見るためにはアメリカ本国に行く必要があり、たぶん映画業界関係者の何人かは渡米して映画館に駆け込んだことでしょう。そんな状況ですから日本の各映画会社も宇宙ものを特撮で作ろうという企画を進めることになりました。

真っ先に動いたのが東宝で、『ゴジラ』シリーズや宇宙ものを製作していたプロデューサーの田中友幸が『スター・ウォーズ』を日本語に訳したそのままの『惑星大戦争』企画をスタートさせます。原案の神宮寺八郎というのは田中友幸本人のことで、自身が昭和38年に製作した東宝特撮映画『海底軍艦』を宇宙ものにしたら一本作れると考えました。『海底軍艦』は地底から全世界支配を目論むムウ帝国に陸海空軍艦「轟天」が挑むという物語で、ムウ帝国が第三惑星に、「轟天」が宇宙船にグレードアップされて新たなシナリオに書き換えられました。脚本は日活で『大巨獣ガッパ』を書いた中西隆三と加山雄三主演の『狙撃』を書いた永原秀一の共作によるものでしたが、シナリオの完成から公開日までわずか二ヶ月しかなかったということで、年末公開に間に合わせるために急仕立てで作らなければなりませんでした。

監督の福田純は「若大将シリーズ」でおなじみの東宝専属の人で、『日本一』『ハワイ』『フレッシュマン』『ニュージーランド』の計4作を担当しています。田中友幸製作の特撮ものは『電送人間』に始まって『南海の大決闘』『ゴジラの息子』『ゴジラ対メカゴジラ』などのゴジラシリーズを多く作っていますし、本作の三年前には『エスパイ』の監督もつとめました。特技監督としてクレジットされている中野昭義は、円谷英二のもとで特殊技術班を支えた人。はじめて特技監督をつとめたのが大ヒットした『日本沈没』で、以後『ノストラダムスの大予言』や『東京湾炎上』で特殊技術の腕を振るってきました。

主演の森田健作は松竹大船撮影所で喜劇の脇役をやっていましたが、TVシリーズの青春もので人気が爆発し、映画では昭和49年の『砂の器』で丹波哲郎の相棒役をつとめました。本作ではわざわざ「松竹」と断り書きがついていまして、実質的に五社協定は消滅していた時期なので形式上松竹との契約だけが続いていた時期なのかもしれません。共演の浅野ゆう子は十三歳でレコードデビューしたアイドル歌手。昭和51年発売の「セクシー・バス・ストップ」がヒットして、TVシリーズの「太陽にほえろ」に翌年まで半年間出演するなど女優にも進出していました。本作の前には市川崑が監督した金田一耕助シリーズ第三弾『獄門島』にも出演していますから、東宝での出演が続くことになりました。

【ご覧になった後で】池部良と浅野ゆう子以外は見ていられない駄作でした

いかがでしたか?『海底軍艦』は東宝特撮映画の中でも屈指の傑作で、ムウ帝国というロマンを感じさせる侵略者の設定とかつて日本海軍が建造していたのを復活させた「轟天」号のデザインが見どころでした。本作を見ていると物語の構成はほとんど『海底軍艦』そのままになっていて、博士の娘が敵側に捕らえられるところまで全く同じでしたが、SFという設定なのにすべてのアクションが貧弱過ぎてしまい、失笑を禁じ得ない場面が連続するので見ていてもちょっと恥ずかしい感じのする作品レベルでした。原案に神宮寺八郎という『海底軍艦』で田崎淳が演じたキャラクターの名前を使うのが失礼に感じられてしまうくらいです。

もしかしたらその一番の要因は森田健作のアンマッチさなのかもしれず、泥臭い青春もので竹刀を振っているほうが似合う森田健作としては、宇宙服を着て敵艦に潜り込み宇宙人たちと対峙しても全然それっぽく見えないんですよね。宮内洋やほかのクルーたちがあっという間に敵にやられてしまうのに森田健作だけはなぜか浅野ゆう子と一緒に幽閉され、しかもそこは内側にもテンキー錠がセットされているというのもなんとも間抜けです。脱出する際には殺された仲間の宇宙服を引っぺがして浅野ゆう子に着せてやるので、仲間の遺骸を丁重に葬るとかは全く考えない実に無慈悲なキャラクターになっていました。

さらに沖雅也は森田健作が脱出するのを待っていたために簡単に背後からUFOによって撃墜されてしまい、早く帰還していればいいのになと思ってしまいますよね。「俺が死んだらジュンのことを頼む」みたいな安易な三角関係をシナリオに盛り込んだせいなのですが、その人間関係が全く物語の流れにいかされていないので、ニヤリと笑う沖雅也をアップにする演出もほとんど意味不明なものになっていました。

それに比べると池部良の圧倒的な存在感はひとりだけ異次元レベルで、よく池部良がこんな駄作への出演を了承したなと思ってしまいます。国防軍の技術屋という役どころを一番理解しながら演技していましたし、自身が開発した新爆弾が惑星を破壊するくらいの威力を持ってしまったために新兵器ともども自爆せずにはいられないという設定は、池部良だからこそ伝わってくるものがありました。もちろんこれはチョイ役で出てくる平田昭彦がオキシジェンデストロイヤーととも海底に潜っていくという『ゴジラ』のバリエーションに過ぎないわけですけど、池部良がカッコいいからこそ亜流のように見えずに済んだのではないでしょうか。

そしてもう一人注目してしまうのが浅野ゆう子なわけで、演技力も存在感もないのですが、ただひたすらそのプロポーションの見事さに見惚れてしまうので、衣裳をとっかえひっかえ出てくる浅野ゆう子を見ているだけで本作を見る価値があったんではないかなと思います。特に敵艦に囚われてチューバッカの出来損ないのような猿人に繋がれているところ。なんであそこで黒いミニのボンデージスーツに着替えているのかよくわかりませんが、よくわからないからこそ長いきれいな足を剝き出しにしている浅野ゆう子が魅惑的に見えるのです。オレンジ色の身体のラインが浮き出る宇宙服もよく似合っていましたし、本作は池部良と浅野ゆう子の二人でもっている映画だったといえるでしょう。

本来なら「轟天」が語られるべき映画なのですが、『海底軍艦』で登場した小松崎茂デザインのフォルムはほとんど失われてしまい、ゴテゴテと余計なパーツをくっつけ過ぎなのは大いなる不満点でしたね。また艦体横についたリボルバー型の砲口はガチャガチャしていてオモチャっぽいですし、そもそも映し方が悪いのでそこから発出されるのが宇宙戦闘機だとは見えませんでした。また、田中友幸のアイディアらしいのですが、敵艦がローマ船を模したデザインになっていたのも、オリジナリティを出そうとする意欲は買うもののあまりに場違い過ぎてしまいますし、オールから艦砲射撃するのもあれでは角度がつけにくいので武器にならないではないスか。第三惑星人のメークアップも顔を緑色に塗っただけで工夫がなく、映画全体のプロダクションデザイナーが不在のまま作ってしまった感じでしたね。

本作は昭和52年12月に冬休み番組として東宝系劇場で公開されていまして、併映はなんと山口百恵主演版『霧の旗』でした。山口百恵主演シリーズは当時の東宝にとってはドル箱で、本作も昭和53年度の年間配給収入ランキングで第8位に入っています。ということはかなりの観客が山口百恵を見に映画館に来てみたら、浅野ゆう子のボンデージファッションを見ることになったわけです。たぶんナニコレ的な反応をする観客が多かったとは思いますが、中には本作をきっかけに浅野ゆう子に乗り換えた男性客がいたのではないでしょうか。(U051723)

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