アナタハン(昭和28年)

ジョセフ・フォン・スタンバーグ監督が日本で撮影した日本映画です

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、ジョセフ・フォン・スタンバーグ監督の『アナタハン』です。「アナタハン」とはマリアナ諸島の火山島のこと。第一次大戦で戦勝国となった日本は、マリアナ諸島一帯を委任統治下においていて、日本企業が進出していたため現地には日本人の入植者が居住していました。第二次大戦後にアナタハン島に取り残された日本人たちが起こしたのが「アナタハン事件」。ゲーリー・クーパーとマレーネ・ディートリヒが主演した『モロッコ』で知られる監督のジョセフ・フォン・スタンバーグが、日本に来て日本のスタッフで制作したのが、この『アナタハン』なのです。

【ご覧になる前に】横井さんや小野田さんの前に起きた帰還兵による事件

マリアナ諸島近海を航海中の日本軍巡洋船が連合軍から爆撃を受けます。船から逃れた兵士たちが泳ぎ着いた先はアナタハン島。十数名の日本人が森の中で暮らし始めると、近くに入植者たちの住宅を発見しました。そこには日下部という男とその妻ケイコが住んでいました。日本兵たちは次第に島にいるただひとりの女性であるケイコに興味を持ち始めます…。

太平洋戦争が終戦したことを知らずに(信じずに)孤島で原始的生活をしながら戦争を継続していた兵隊たちがいました。昭和47年に横井庄一軍曹がグアム島で、昭和49年には小野田寛郎少尉がフィリピンのルバング島で発見され、日本に帰還しました。当時は新聞やTVで大きく取り上げられて話題になったのですが、その前にも孤島に取り残された日本兵が終戦の数年後に投降し帰還した事件があったのです。「アナタハン事件」と呼ばれていて、なぜ「事件」なのかといえば、アナタハンには兵士だけでなく民間人、しかも女性が含まれていたからでした。アナタハン島に取り残された三十数名は、孤島の中に一人しかいない女性を巡っていさかいを起こし、ついには殺し合いに到りました。その結果十数名が死亡したとされていて、昭和25年にアメリカ軍によって救出されて日本に帰還したのち、数名が新聞のインタビューに応じて事件が明るみに出ることになりました。

この事件に興味を持ったジョセフ・フォン・スタンバーグは、自ら脚本を書き、来日して東宝のスタッフを使って「アナタハン事件」の映画化に着手します。スタンバーグ監督は戦前に『モロッコ』『間諜X27』『上海特急』で、恋愛関係にあったマレーネ・ディートリヒを主演にした作品を連打して、ドイツ出身の名監督としてアカデミー賞監督賞に連続ノミネートされています。しかし第二次大戦が始まる頃になると、プロデューサーにも恵まれず映画をつくることができなくなりました。ですので、あの有名なジョセフ・フォン・スタンバーグがわざわざ日本に来て映画を作ったのではなく、日本でしか映画をつくれなかったというのが実態だったようです。実際に出演俳優もほとんど新人ですし、当時の東宝は労働争議で大混乱していた時期でした。かつての名声だけを頼りに日本にやってきて、たまたま目に留まったスキャンダラスな「アナタハン事件」を映画化したという経緯だったのかもしれません。

【ご覧になった後で】日本映画?という感じですが、無国籍感が出ています

タイトルもクレジットも英語。しかも日本人は全員ラストネームのみの表示。字幕も英語で、日本語のセリフに被せるようにしてしゃべりまくる英語のナレーション。これって日本映画なの?と疑問を持ってしまいます。その映画がどの国の作品なのかは、製作費を出している国を基準としますので、本作は東宝がお金を出して製作していることから日本映画と定義されています。でも実際には「孤島を舞台にして日本人が出ていて日本語で芝居するアメリカ映画」という感じですよね。それが逆に無国籍映画っぽい雰囲気を出していて、本作に独特なポジショニングを与えているように思います。ナレーションはスタンバーグ監督が自ら吹き込んだもの。撮影も自分でやっていますから、日本人スタッフを信用できなかったのか、製作費を節約するためにすべて自分でやらなければばらなかったのか、いずれにしてもかつての有名監督にはふさわしくないような、獅子奮迅ぶりの働き方です。

日本でわざわざ作ったにしては作品としての出来栄えは今ひとつでしたが、ラストの空港の場面でケイコが死んだ日本兵(というか自分を支配しようとした男たち)を思い出す場面は、古典的な表現ながらも印象に残る幻影的な映像でした。スタンバーグ監督のもとで働いた東宝のスタッフは、実は当時の東宝としては最高の人材が揃っていました。撮影助手をつとめた岡崎宏三は、のちの日米合作『ザ・ヤクザ』のキャメラマンですし、特殊効果はあの円谷英二。ジャングルの中はほとんどセットですが、特殊効果のおかげで本物の密林の中で撮っているように見えます。そして音楽は『ゴジラ』の伊福部昭。南洋を思わせる旋律は伊福部昭の得意分野ですので、映画の雰囲気を盛り上げる効果を十分に発揮しています。

主演をつとめる根岸明美は、黒澤映画の『どん底』や『赤ひげ』に出演していますね。実は宝塚歌劇団の出身で、映画デビュー作がこの『アナタハン』でした。遠景とはいえヌードになったりして体当たりの演技を見せてくれるのは、そんな背景もあったようです。しかしながら、本当の「アナタハン事件」は本作のような生ぬるい展開ではなかったようで、当然絶海の孤島で三十人の男たちに囲まれたのなら何が起きても不思議ではない、女性にとっては危険極まりない過酷な状況でした。しかしケイコはその環境を逆手にとって、島でひとりだけの女性として女王のように君臨して男たちを跪かせたともいいます。作家の桐野夏生がこの事件をモチーフに『東京島』という小説を書いています。映画化もされていて、根岸明美のケイコ役は木村多江が演じています。「アナタハン事件」のイメージとしては、木村多江よりは根岸明美のほうが適役のように感じますので、オーディションで根岸明美を見出したジョセフ・フォン・スタンバーグの目利き力を評価すべきかもしれません。(A110321)

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