恐るべき子供たち(1950年)

ジャン・コクトーが自らの小説を脚本化してナレーションまでつとめています

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、ジャン・ピエール・メルヴィル監督の『恐るべき子供たち』です。フランスの詩人ジャン・コクトーが1929年に発表した小説「恐るべき子供たち」はコクトーの代表作で、コクトー自身が脚本にしてナレーションをつとめたのが本作です。コクトーは同じ年に『オルフェ』を監督していまして、そのためか『恐るべき子供たち』はジャン・ピエール・メルヴィルに監督を任せています。日本では大幅に遅れて1976年に劇場初公開されましたが、萩尾望都が1980年に「恐るべき子どもたち」としてマンガにするなど大きな影響を与えました。

【ご覧になる前に】メルヴィルが連れてきたアンリ・ドカエが撮影しています

冬の雪の日、高等中学校で授業終了の太鼓が叩かれると生徒たちは一斉に外に出て雪合戦を始めました。ダルジュロスが放った石ころ入りの雪玉を受けて昏倒したポールは、親友のジェラールとともにタクシーでロジェ街にあるアパルトマンに帰ります。姉のエリザベートが医者を呼ぶと安静が必要だということでポールは姉との二人部屋でベッドに伏せるようになりました。あるとき病気の母親が突然亡くなり、失意の姉弟をジェラールの叔父が南仏の海岸へ旅行に連れて行ってくれることになりました。姉弟はジェラールをそそのかして、土産物店で万引きをするように仕向けるのですが…。

ジャン・コクトーは1889年生まれで、詩人であり小説家であり評論家であり劇作家であり映画監督でもあった人。モディリアーニやラディゲなどの芸術家たちと交流をもった後、1929年に小説「恐るべき子供たち」を発表、1932年には初の映画作品『詩人の血』を監督しています。1936年(昭和11年)には世界一周の旅に出て日本にも立ち寄り、六代目菊五郎の「春興鏡獅子」を観劇したらしく、1946年の映画『美女と野獣』のアイディアの元になったという話も伝わっています。確かに小姓弥生が獅子の精に変化(へんげ)するのを美女と野獣という二人のキャラクターに分割したと考えれば、共通点はあるかもしれません。

その『美女と野獣』を1946年に監督したジャン・コクトーは、1950年には再びジャン・マレーを主演に起用して『オルフェ』の脚本を書き監督をつとめています。この『恐るべき子供たち』も同じ1950年の製作・公開ですからジャン・コクトーの芸術活動がピークに達していた時期だったのでしょう。多忙ゆえに本作の監督は1949年に『海の沈黙』で監督デビューしたばかりのジャン・ピエール・メルヴィルに委ねられました。メルヴィルは『オルフェ』にもホテルの支配人役でノンクレジットで出演していまして、コクトーに近い存在だったようです。映画監督としてのキャリアはアラン・ドロンを主演にした『サムライ』や『リスボン特急』などフィルム・ノワールものが中心になりましたが、惜しいことに心臓発作のため五十五歳で亡くなっています。

そのメルヴィルと『海の沈黙』でコンビを組んでいたアンリ・ドカエがキャメラマンをつとめていまして、アンリ・ドカエは『死刑台のエレベーター』『いとこ同士』『大人は判ってくれない』などヌーヴェル・ヴァーグの主要な作品で次々にキャメラマンとして起用されました。それだけルイ・マルやクロード・シャブロルやフランソワ・トリュフォーなどのヌーヴェル・ヴァーグの監督たちにとって、この『恐るべき子供たち』の印象が強烈だったということなんでしょう。当然ジャン・ピエール・メルヴィルも『サムライ』と『仁義』で再びアンリ・ドカエに撮影を任せています。

姉弟を演じるのはニコル・ステファーヌとエドアール・デルミの二人ですが、ニコル・ステファーヌは『海の沈黙』にも出演していますからジャン・ピエール・メルヴィルが連れてきた女優だったのでしょう。一方のエドアール・デルミは『オルフェ』と『オルフェの遺言』でセジェスト役を演じていて、ジャン・コクトーのお気に入りでした。まあお気に入りというか恋人というか、とにかくジャン・コクトーとは特別に親しい関係だった俳優です。

【ご覧になった後で】これぞフランス映画というくらいロマネスクな作品です

いかがでしたか?姉と弟、高等中学校、パリのアパルトマン、南仏の海岸、金持ちの婚約者、ホールのある屋敷、クリスチャン・ディオール。これこそがフランス映画というほど完璧にフランス映画の要素に溢れていますし、ジャン・コクトーのナレーションが前面に出ていることもあって大変に小説的な映画でもありました。この映画を見て、萩尾望都なんかが自身のマンガ世界を完成させていったんだろうなというほど日本の少女マンガはその勃興期において本作の雰囲気に大きく影響されていると思われます。

その映画的雰囲気に大きく貢献しているのがアンリ・ドカエのキャメラでした。陰影がはっきりとしたモノクロームの映像が非常に絵画的で、しかも構図が写真作品を見るように完璧に計算されているのです。例えばラストショット。中国風に設えたポールの部屋の衝立が花びらが開くように床に倒れてそこに上下さかさまになったエリザベートが配置された構図を捉え、キャメラはそのままクレーンによって俯瞰する位置まで移動していきます。こうした移動を組み合わたうえで構図を決めていくショットが全編にきらびやかに散りばめられていて、それが一見陰気な内容の本作を華麗なロマネスク作品に仕立てているのです。

そしてジャン・コクトーのしゃがれ声によるナレーションが映画をナラティブに語っていくので、観客はいつのまにか語りによってこの映画世界に導かれていきます。エリザベートとポールの姉弟は近親相姦的でもあり共犯者的でもあり、一緒に夢想の世界に入っていくことができる一卵性双生児のような関係にあります。そこに入り込んでくるアガートを邪魔者として排除しようとするエリザベートの心理が非常にヴィヴィッドに描かれていて、そこが日本的に言えば少女マンガ的なところだったような気がします。

ジャン・ピエール・メルヴィルの演出はいかにもジャン・コクトーをなぞるような感じでした。ポールが夢遊病者となって毛布を引きずりながら屋敷を歩くところで逆回転撮影を使っているのも、まさに逆回転好きのジャン・コクトーを模倣しているようでした。またエリザベートとアガートの二人の場面でアガートがひたすらセリフを話しているのに、キャメラをエリザベートのクローズアップにすえて、その表情だけを映してキャラクターを深堀りしていくような演出には、メルヴィルらしい個性が感じられました。

しかし本作の最大の欠点は冒頭の高等中学校の帰校風景で見られる通り、「なんでこんな大人が半ズボンなんか穿いてるの?」と思ってしまうほどの年齢的ギャップ感でした。ポール役のエドアール・デルミは1925年生まれですから本作撮影時には二十五歳。そんなデルミが中学生役で半ズボン姿というのはあまりに不似合いで、めちゃくちゃ違和感がありました。姉のニコル・ステファーヌも撮影時に二十七歳なのでちょっと歳をとり過ぎていまして、なんで姉弟役に十代の若い俳優を配さなかったのかが大いに疑問となるところですが、そこにはジャン・コクトーの好みが関係していたようです。

ジャン・コクトーは『美女と野獣』『オルフェ』で主演したジャン・マレーと恋人関係にあったのですが、ジャン・マレーより十歳以上若いエドアール・デルミと出会いました。それが本作の撮影直前のことなので、たぶんジャン・コクトーの推薦によってジャン・ピエール・メルヴィルはポール役にデルミを起用することになったのでしょう。ジャン・マレーもエドアール・デルミも金髪碧眼の美青年で、そこがジャン・コクトーの好みだったんですね。まあ誰と付き合うかなんてのは個人の自由なのですが、少なくとも本作のポールは萩尾望都のマンガに出てくるような美少年である必要があったのではないでしょうか。(A122322)

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