乾いた湖(昭和35年)

篠田正浩の監督第二作は60年安保闘争の中でもがく青年を主人公にしています

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、篠田正浩監督の『乾いた湖』です。昭和35年4月『恋の片道切符』で監督デビューした篠田正浩の第二作で、後に篠田夫人となる岩下志麻のスクリーンデビュー作でもあります。松竹ヌーヴェル・ヴァーグの流れにのって8月末に公開された本作は6月に自然成立した日米新安全保障条約をめぐるいわゆる安保闘争を題材にした時局性の高い作品で、闘争から一歩離れながらも自分の闘い方をもがきながら追い求めるローンウルフの青年を主人公にしています。

【ご覧になる前に】榛葉英治の原作を新人だった寺山修司が脚本化しました

海に浮かぶヨットで遊んだ学生の男女は裸のまま一緒にシャワーを浴び、財閥の御曹司道彦の別荘でパーティを始めます。大学の自治会で中央委員をつとめる卓也は肉感的な節子と関係していますが、清楚な葉子にも興味を持ちます。その葉子に官僚の父が自殺したという電話が入り、道彦の車で自宅に帰った葉子は汚職の責任を取って死んだ父の葬儀に保守党代議士大瀬戸が焼香に訪れたのを眺めるだけで、葉子の姉は結婚を誓い合った藤森から婚約破棄を告げられました。一方で自室の壁に独裁者たちの写真をピンナップしている卓也は、苦学生水島に就職口を世話してくれるよう頼まれ、道彦の家を訪問するのですが…。

昭和26年にサンフランシスコ講和条約と時を同じくして日米間で取り交わされた安保条約は、昭和33年頃から改定交渉が始まって自由民主党の岸内閣が昭和35年1月に訪米して新条約が調印されました。日本が単にアメリカ軍に基地を提供するだけではなく日米共同防衛を義務付ける内容となっていて、国会での新条約採決を拒絶しようという反対運動が巻き起こります。それがいわゆる安保闘争で、5月から6月にかけて国会議事堂周辺での大規模デモや大統領報道官が羽田空港で包囲されてアメリカ軍に救出されるハガチー事件、機動隊とデモ隊が衝突する中での樺美智子さん圧死事件など、日本全体が騒然とした雰囲気に陥りました。結果的には衆議院で新条約の承認が強行採決した後に参議院では議決がされないまま自然成立となり、新安保体制が確立されたのでした。

作家の榛葉英治が書いた小説は週刊誌に連載されていたもので、はじめは日活が「乾いた湖」や「渦」の原作を映画にするとオファーしてきたのですがいつまで経っても製作に入る様子がなく、榛葉英治のところに原作料も支払われないままに企画が頓挫してしまいました。その後、松竹から声がかかり、映画界に不信感を抱き半信半疑だった榛葉英治の気持ちとは裏腹に、『乾いた湖』はとんとん拍子に製作が始まって映画になりました。出来上がった作品は原作を大幅に改編したもので、榛葉英治はかなり失望したらしく、自身の小説の本格的な映画化作品は昭和39年の中平康監督作品『おんなの渦と淵と流れ』を待つことになります。

脚本にしたのは当時新進気鋭の新人歌人だった寺山修司。寺山は青森高校在学時から俳句に親しんでいて、早稲田大学入学後に読んだ中城ふみ子の「乳房喪失」に影響されて短歌の世界に入りました。「乳房喪失」は後に田中絹代監督が『乳房よ永遠なれ』として映画化して、主人公ふみ子は月丘夢路が演じることになります。寺山修司は短歌研究誌の新人賞を受賞するものの、ネフローゼで長期入院を余儀なくされ、自分は長く生きられない身体であることを悟りました。退院後は歌集のほかに戯曲やラジオドラマの台本を手がけ、毎日放送で「大人狩り」が放送された後に本作の脚本を担当することになったのですが、どのようにして映画界とつながったのかはよくわかりません。篠田正浩も早稲田出身ですからそのルートなのか、入院中から谷川俊太郎と知り合い、安保闘争時には石原慎太郎や大江健三郎ら若手の文化人による「若い日本の会」に参加し安保反対を訴えていますから、安保を題材にした本作に寺山をということになったのかもしれません。

篠田正浩の監督デビュー作『恋の片道切符』は平尾昌晃が歌った「恋の片道切符」をテーマソングにした青春映画で、同じ年の4月に公開されています。松竹としては日活の独擅場だった青春ものやアクションものにあやかろうという企画だったようですが、6月に大島渚監督の『青春残酷物語』が封切られて大ヒットすると、日活とはちょっと違う大学生をターゲットにした新感覚の前衛的作品が新しい松竹の番組に加わっていきます。7月には吉田喜重の『ろくでなし』、8月には再び大島渚の『太陽の墓場』が公開され、篠田正浩はこの『乾いた湖』でデビュー作とは違う安保闘争を扱ったラジカルな監督第二作を8月末に劇場にかけることができたのでした。

主人公卓也を演じる三上真一郎は松竹で山本豊三、小坂一也とともに三代目松竹三羽烏として売り出されたものの、松竹はそれまでもかなりいい加減に三羽烏を扱っていて、結局この三人は定着しないままにバラ売りされることになります。三上真一郎も本作のような一匹狼を演じたと思えば、本作の後には小津安二郎の『秋日和』で佐分利信の息子を演じるなど路線がはっきりせず、昭和40年には松竹を退社してフリーになってしまいます。一方の岩下志麻は撮影の順番でいえば木下恵介の『笛吹川』の市川染五郎の妹役のほうが先でしたが、後に出演した本作のほうが先に劇場にかかり、しかも主演級だったため、出演歴上はこれが映画デビュー作として記録されています。

【ご覧になった後で】和田誠のタイトルデザインだけはカッコいいのですが…

いかがでしたか?開巻後に一番驚いたのはタイトルデザインをイラストレーターの和田誠が担当していたこと。和田誠は当時広告会社のライトパブリシティに入社して二年目の頃で、たばこ「ハイライト」のパッケージデザインがコンペで採用されたばかりでした。短編アニメ「MURDER!」が注目されたのは昭和39年のことですから、昭和35年に早くも映画、しかも松竹のメジャーな映画でデザインに携わっていることは本編を見て初めて知りました。ヒトラーやムッソリーニ、ルーズヴェルトなど過去の政治家の白黒ポートレートを赤や緑のカラーバックに配置した実にセンスの良いデザインになっていて、ここだけはおしゃれな外国映画を見ているような気分にさせられます。おまけにまだそんなに映画音楽歴がない頃の武満徹によるジャズ音楽がクールな雰囲気を醸し出していて、かなり期待させる導入部になっていました。

しかし期待もここまでで、いわゆる無軌道な若者たちの乱痴気騒ぎっぽい描写になるとちょっとゲンナリさせられます。というのもヌーヴェル・ヴァーグといっても所詮は松竹の映画なわけで、ヨットや別荘のパーティのようなシチュエーションを借り物として取り上げているだけで、そこにいる人物に全くリアリティが感じられないのです。音楽だけはワーグナーを使ったりして良いのですが、いきなり衆人の目の前でキスしたり女学生は服をまくり上げて胸を見せたりと、若い人が羽目を外すってこんな感じだろうかという想像上の若者の生態的な描写にとどまっています。高千穂ひづる演じる年上の女と一夜を共にした三上真一郎は起きると冷蔵庫から牛乳を取り出して瓶からゴクゴクと飲み干すのですが、口の端からダラダラとミルクがこぼれていきます。つまり乱暴な若者とは口から溢れるくらいの勢いで飲み物を勢いよく飲むというステレオタイプしか思いつかないんでしょうね。こういう三上真一郎の演技を見てもこんな牛乳の飲み方をする人はいないと思いますし、口から垂れた牛乳は拭き取らないと気持ち悪いんじゃないかなと余計なことを考えてしまいます。

寺山修司の脚本も登場人物を描き切れていない感じがして、小坂一也の苦学生水島は首吊り自殺するためだけに出てきたように見えますし、炎加世子演じる節子は妊娠したというのに三上真一郎の責任を追及することなく泣き出してしまうだけで、女性の描き方も貧弱です。伊藤雄一郎の政治家は他の映画にも出てきそうで、悪徳代議士のパロディにしか見えません。そして本線であるべき三上真一郎の無軌道なローンウルフぶりが今ひとつよくわからないんですよね。自治会から離脱してデモ行進をバカにする一方でテロリストになるのかと思えばダイナマイト一本爆破させただけであえなく別件逮捕されてしまいます。このような展開では不完全燃焼な中途半端さだけが残って、若い世代の爆発的な行動力みたいなものは全然描かれていませんでした。

篠田正浩の演出も一貫性がなく、自分の部屋から眺めるラグビーの練習が機動隊の影に重なり、三上真一郎の横顔が照明で照らされるみたいなイメージは一体何を表現したかったのかよくわかりませんでした。手持ちキャメラで躍動感を出そうという場面があったりもしますが、ショット単位の構図に工夫がないために、全体的に凡庸な映像が続いた印象しかありません。キャメラマンの小杉正男はほとんど松竹のプログラムピクチャーしか撮ってこなかった人のようですね。ほんのちょっと面白かったのは、伊藤雄之助が沢村貞子と向かい合う和室を真横から超ローアングルで撮ったショットとキャンパスから出た三上真一郎が夕陽を見上げると木立の間から差し込む陽射しをキャメラが正面からとらえたショット。前者は小津安二郎への、後者は黒澤明へのオマージュになっていて、監督第二作の中に巨匠たちの撮り方を真似してみせることで、これくらい誰でもできるよと示して逆に権威を貶めようという意図があったのではないかと思います。

そんなわけで岩下志麻が飛びぬけて美しく独特な魅力を残していたほかは、安保闘争を取り上げたのも政治的な姿勢からではなく単なる流行りものを取り入れたようにしか見えませんでした。原作では岩下志麻演じる葉子が女優になって最後には自動車事故で死んでしまうというストーリーになっているらしく、映画のラストでは岩下志麻がデモに巻き込まれて混乱の中で圧死するのではないかと勘繰ってしまうくらい、平板なままに終わってしまいます。和田誠のタイトルデザインだけ見ればそれで十分というのが正直な印象の残念な作品でした。(U092423)

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