死刑執行人もまた死す(1943年)

プラハで起きた実際のナチス高官暗殺事件を題材にした戦争サスペンスです

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、フリッツ・ラング監督の『死刑執行人もまた死す』です。第二次大戦当時チェコスロバキアはナチスドイツ占領下にあり、首都プラハではナチス高官が暗殺される事件が起きていました。本作はその事件を題材にしていて、脚本には演劇家として有名なブレヒトが参加しています。プラハでのチェコの人々とゲシュタポを中心としたドイツ軍人とのやりとりが中心となるため、ドイツ人はドイツ語、チェコ人は現地語として英語を話すという設定にしていて、言語の違いがストーリー上でも活かされています。

【ご覧になる前に】フリッツ・ラングがアメリカに亡命してからの作品です

ナチスドイツ占領下のプラハで工場の生産性が落ちていることを非難しているのは副総督ハインドリヒ。街の売店で野菜を買っていたマーシャはある男がナチスに追われているのを見て、逃げたのとは別の方角をゲシュタポに教えます。男が逃れた映画館では副総督が撃たれたという放送が流れ、観客たちが拍手喝采するとひとりのナチス軍人が全員検問すると言い出し、男は観客とともに映画館を離れました。マーシャの家では父親のノヴォトニー教授が帰宅したところで、夜の7時以降の外出禁止令が出たと話しますが、そこに突然さきほどの男が訪問してきたのでした…。

第二次世界大戦は1939年に始まりましたが、孤立主義の外交政策をとっていたアメリカはヨーロッパ戦線に参加することはありませんでした。しかし三選を果たしたルーズヴェルト大統領は1941年3月武器貸与法を成立させてイギリスを中心とした連合国軍を軍備面から支援します。そして12月に日本軍が真珠湾攻撃でアメリカに宣戦布告したことによって、アメリカは日本だけでなく同盟国ドイツ・イタリアとも戦争状態に突入し、いよいよ本格的に第二次世界大戦に参戦することになりました。

アメリカ軍が連合軍としてヨーロッパ戦線に参加したのは、イタリアのシチリア島上陸作戦以降のようですけど、そのハスキー作戦は1943年7月に始まっています。本作は1943年に製作・公開されていますので、時期的にはヨーロッパ戦線に参加するかしないかぐらいのタイミングだったかもしれません。プラハを舞台にしていますけど、プラハ城などの実写場面は既存フィルムの使い回しなんでしょう。軍服などナチスドイツに関するデザイン設計は妙にリアルで、報道写真などを通じて得たナチスドイツの外面をそのまま映像化したせいかもしれません。

そのプラハで1942年5月に実際に起きたのが「エンスラポイド事件」で、ロンドンに逃れていたチェコスロバキア亡命政府がエンスラポイドというコードネームの工作班をプラハに送り込み、ナチスドイツ副総督のラインハルト・ハインドリヒを暗殺した事件のこと。当時ナチスドイツ占領下でプラハを含むチェコの領土は「ベーメン・メーレン保護領」としてドイツに編入されていました。ベーメンはドイツのルール地方と並ぶ一大軍需工業地帯で、チェコの工場ではナチスがロシア戦線で使う戦車などの兵器増産が行われていて、イギリス政府はチェコスロバキアが自らナチスドイツに従属してその軍備増強に加担しているのではないかと疑い始めていました。チェコスロバキア駐英亡命政府はその疑いを晴らすためにもナチス副総督を暗殺して、抵抗勢力が反ナチス運動を進めていることを示す必要があったのです。

この事件を映画化しようとしたのが、オーストリア出身のフリッツ・ラングで、ラングは『ドクトル・マブセ』や『メトロポリス』などのサイレント映画やトーキー初期の『M』を発表してドイツを代表する映画監督となっていました。しかしナチス政権が成立するとユダヤ人だったラングは危険を察知して、宣伝相ゲッペルスが引き留めるのをかわして1934年にフランスへ亡命を果たします。その後、アメリカに渡りハリウッドで『暗黒街の弾痕』などサスペンスものを中心に映画製作を続け、本作もその中の一本としてラング自ら製作・監督を担っています。

ラングと共に本作の原案に加わったのが「三文オペラ」などを書いた演劇家ベルトルト・ブレヒトで、ナチス政権下で著作が焚書扱いされて市民権を剥奪されたブレヒトはデンマークに滞在していたものの、ナチスの侵攻が激しくなった1941年にアメリカに渡りカリフォルニア州に居を構えました。アメリカでは演劇を上演することもできず経済的に困窮していたそうなので、本作の脚本に参加したのもハリウッドでシナリオライターとして収入を得ようとしてのことだったようです。本作以外には映画製作に関与した記録はなく、戦争が終わった後は共産主義者として非米活動委員会から目をつけられて、結局は1947年にヨーロッパに戻ることになりました。

【ご覧になった後で】アメリカにヨーロッパ参戦を促すための映画でしょうか

いかがでしたか?プラハでナチス副総督が暗殺されるという事件があったことは本作を見るまで全く知りませんで、ルイス・ギルバート監督の『暁の七人』もこの事件を取り上げた映画だそうです。ナチスドイツの占領地域でもいろんなことがあったんだなと世界史を再認識する機会になりました。とはいっても本作で描かれているプラハ市民は、抵抗組織でスパイを働くチェカを除いてひとり残らず勇猛果敢にナチスドイツの圧政に反旗を翻します。売店のおばさんですらゲシュタポの拷問に抗ってマーシャが暗殺犯を助けたことを口にしません。暗殺犯を匿うために自らの命を差し出して、数百人の市民たちが何も言わずに銃殺されていきます。プラハ市民全員が自分の命よりも国の自由を優先するという映画なので、その勇気に頭が下がるというよりは本当にこんな人たちばかりなのかなという疑問がわいて、現実を見ない空想ファンタジー映画のように思ってしまいました。

物語は暗殺犯がゲシュタポに捕まるかどうかにフォーカスが当てられて進んでいきます。暗殺犯を逮捕できれば人質として拘留した市民の銃殺もやめるとゲシュタポが公言するのにも関わらず、プラハ市民の誰一人として密告する者はいません。そして抵抗組織は市民全員の偽証によってスパイのチャカ氏を暗殺犯に仕立てあげてしまいます。ちょっと調べればすぐに噓だとわかりそうなのにゲシュタポを無能集団として描きたいためでしょうか、ナチスドイツの軍人は簡単にニセの証言を信じてしまいます。こんなことってあるでしょうか。そもそもマーシャが違った方角を示したことを売店のおばさんに訊問するのではなく、捜索していた兵士に聞いてマーシャ本人だったかどうかを確認すれば済む話じゃないスかね。なんだかプラハ市民全員を英雄にしたいだけの無理矢理感がすご過ぎて、映画として成立していないように感じてしまいました。

拘留された市民は抵抗を続けろみたいな歌を歌いながら銃殺されていくわけですが、これは日本軍との戦いで太平洋戦線に戦力を集中していたアメリカに対して、もっとヨーロッパ戦線にも目を向けろよというメッセージを暗に示したかったためかもしれません。プラハ市民は命に代えて自由を守っているのだ、だからアメリカはそれを助ける義務があるのだ、という感じでしょうか。しかしあまりに脚本が不自然なので、暗殺犯のスヴォボタ医師が自ら捕まれば市民が犠牲になる必要はないわけですし、自由を守るというよりはスヴォボタを守るためにみんなが銃殺されているようにしか見えないので、全員を無駄死にさせている抵抗組織の人たちって何なんだろうかと思ってしまいました。

自由を守って死んだんだと伝えてくれというノヴォトニー教授はなかなかカッコよかったのですが、演じていたのはウォルター・ブレナンで、あのジョン・フォード監督の『荒野の決闘』で悪役側のクラントンをやった人です。本作出演以前に三度もアカデミー賞助演男優賞を獲得しているので、オスカー三度受賞というのはキャサリン・ヘプバーンくらいじゃないでしょうか。

フリッツ・ラングもオーソドックスな演出に終始していて、ウォルター・ブレナンのキリっとしたセリフのところでクローズアップを使ったり、売店のおばさんに鞭をもったゲシュタポのシルエットが迫ったり、チャカ氏が殺されるところで俯瞰ショットを使ったりというくらいしか見せ場はありませんでした。ナチスドイツの描き方も冒頭に出てくるハインドリヒ副総督に異常性が垣間見えるくらいで、ほかのドイツの高官たちはみんな人間味があって悪くない人たちに見えてしまっていました。決して好意的ではないんでしょうけど、ラング自身がドイツ出身なのでひとりひとりのキャラクターを大悪人にはできなかったのかもしれません。

そんなわけで戦時下に作られた映画というのは当局の圧力に屈して戦意高揚映画になってしまう場合もありますけど、本作のようにあまりに理想主義的で空想的に過ぎてしまうとかえってシラケてしまうのも事実です。だからというわけではないのですが、ブレヒトだけでなく脚本を書いたジョン・ウェクスリーも赤狩りでブラックリストに名前が載ってしまい、1970年代までアメリカに戻れなかったらしいです。事件の状況を描くだけならドキュメンタリー映画にしたほうが適切だったかもしれませんね。(U052823)

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