青空娘(昭和32年)

増村保造監督昇進第二作は母親探しをする娘の青春を描いたホームドラマです

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、増村保造監督の『青空娘』です。原作は源氏鶏太が雑誌明星に発表した連載小説で、昭和32年に単行本が出版されるとすぐにラジオドラマ化され、さらに大映で映画化されました。増村保造にとっては監督に昇進して初めて撮った『くちづけ』に続く第二作にあたり、実の母親を探す娘を撮影当時二十三歳の若尾文子が瑞々しく演じていて、ひとりだけ母親が違う娘の青春を描いたホームドラマになっています。

【ご覧になる前に】脚色の白坂依志夫は本作で初めて増村保造と組みました

海を臨む岩壁で高校卒業の記念撮影をしているのは有子とその友人たち。有子だけが離れて暮らす東京の両親の元へ転居することになっていて、友人と別れを惜しんでいると美術教師の二見が有子の祖母が倒れたと知らせにきました。有子の本当の母親は別にいるという祖母の遺言を胸に東京の家に着いた有子は、兄・姉と弟からいきなり女中扱いされ、母親の達子から先輩の八重さんと一緒に家事手伝いをするよう言い渡されます。そこへ父の栄一が出張から帰ってきて、有子が階段下の狭い部屋に押し込まれていることに驚くのですが、達子は栄一が部下だった三村町子に有子を産ませたことをなじるばかりでした…。

源氏鶏太の連載小説はTBSの前身であるラジオ東京で放送劇になったくらいですから、そこそこ人気のあった小説だったんでしょう。当時集英社が発刊していた少女漫画誌の「少女ブック」でもマンガ化されて連載されたそうです。マンガを描いたのは牧かずま。当時の少女マンガ界にはまだ女性漫画家は誕生しておらず手塚治虫なども含め男性が少女マンガを描いていた時代でした。この人が主宰した牧プロダクションという工房からはあの白土三平が輩出されています。

ラジオドラマ化されたのなら映画化もされないわけはなく、大映が映画化権を獲得して脚本は白坂依志夫が書くことになりました。白坂依志夫は日本映画界が生まれた時代の大御所脚本家だった八住利雄の実の息子。早稲田大学を中退して大映東京撮影所に入社して数本脚本を書いた後、高校時代に交流があった三島由紀夫の小説の映画化『永すぎた春』を脚色して注目されるようになりました。本作はそのすぐ後の脚色作品にあたっていて、白坂依志夫は大映を退社してフリーのシナリオライターとして独立します。その後も増村保造監督作品には『巨人と玩具』『氾濫』『うるさい妹たち』『黒の超特急』などで脚本を提供することになりますので、本作は増村保造と白坂依志夫の初コンビ作にあたるわけです。

増村保造は昭和27年にイタリアから奨学金を得てローマの映画実験センターに留学し、二年間ローマで学んだのちに帰国し大映に復帰しました。帰国後二年間は溝口健二と市川崑の助監督をつとめますが、昭和32年に監督に昇進すると『くちづけ』『青空娘』『暖流』といきなり三作を立て続けに撮ることになります。このイタリア留学経験が増村保造に与えた影響は大きく、日本映画に新しいムーヴメントをもたらすことになるのでしたが、増村保造も東京大学在学中に三島由紀夫と知り合って、『からっ風野郎』では監督と俳優の立場で一緒に仕事をすることになります。

キャメラマンの高橋通夫は松竹蒲田に入社したという大ベテランで、本作撮影時は五十二歳でしたから当時の感覚では定年間近の人という感じでしょうか。松竹では『愛染かつら』を撮り、戦争が始まる頃に新興キネマに移籍し、そのまま大映でキャメラマンを続けました。大映では本作の前に久松静児監督の『安宅家の人々』を撮っていますけど、たぶんこの『青空娘』が初のカラー作品だったのではないかと思いますから、真っ青な空をどう撮るかを工夫したんではないでしょうか。ちなみに息子がNHKのプロデューサーになり、嫁に三田佳子を迎えています。関係ないですけど。

【ご覧になった後で】継子いじめの暗い話なのにカラリとした演出が印象的

いかがでしたか?原作がそうなんでしょうけど、兄弟の中でひとりだけ母親が違う継子というか父親が愛人に産ませた子がいじめられるというお話ですし、両親の家を訪ねていくといきなり女中扱いされるという絶望的な暗い展開となります。ところがそれがジメジメしておらず、兄弟からの陰湿な行為を若尾文子が清々しくやり過ごしていき、そこにミヤコ蝶々の先輩女中の支援が重なり、肌触りが非常にカラリとした作品になっています。なので見ていてもイヤに気持ちにならずに(穂高のり子の姉にはイラっとしますけど)若尾文子を応援したいような気持ちでストーリーに集中することができました。ここらへんが増村保造のオリジナリティなんでしょうか。

特にタイトルが出るまでの導入部は印象的で、タイマーでシャッターが切れるカメラのクローズアップからはじまって、切り返すと若尾文子ら三人の女子高生がスタンダードサイズの画面の中に実にうまく配置されていて、人物が動いても構図が完成され続けるように撮られています。キャメラアングルも仰ぎ見るような仰角アングルで人物のバックに青い空を強調するなどカラー映画としての特徴もきちんとおさえていますし、祖母が倒れたという急展開でのショットつなぎも大変リズム感があって、導入部での死の場面もそのリズムが優勢なので陰鬱な雰囲気に陥ることはありません。

もちろんこの導入部以降も、オーソドックスな映像表現を基本にしながらもドライなタッチが継続するので、両親の洋館での場面はもちろんのこと菅原謙二や三宅邦子が住む下町の貧民街が出てきても、湿ることなく乾いた感じの印象が継続します。だから登場人物の階級差とか富裕層と貧乏な暮らしの断絶した階層を素材として取り上げていながらも、そこに何の疑問を抱くこともなく軽々とその壁を超えていく若尾文子の存在がごく自然に感じられるのです。社長の御曹司である川崎敬三が若尾文子の気持ちをゲットするのも不自然ではないですし、そもそもポスター描きの菅原謙二とではライバル関係になるはずもないのにこの男性二人が若尾文子にそれぞれに恋する姿が非常に好感をもって受け入れられます。

『巨人と玩具』を作った頃に増村保造は佐藤忠男のインタビューに答えてこんなことを言っています。「日本映画における情緒とは抑制、調和、諦め、哀しみ、敗北、逃走である。私は率直で粗野で利己的な表現を買う。なぜなら日本人は自らの欲望を抑制しすぎて自分の本心を見失いやすいからである。日本人は複雑な社会機構と弱小な経済機構の中で呻吟している。あまりにみすぼらしく貧弱でかよわい人間だからだ。ヨーロッパでは美しく力強い人間が感じられる」と、まあ後半部分は戦争で負けた日本がGHQによる徹底的な自己否定教育で洗脳された結果のような気もしなくもないですけど、前半部分は日本映画の本質をよく突いていて、「率直で粗野で利己的な表現」がこの『青空娘』でも大いに発揮されたのではないかと思われます。

父親役の信欣三は若尾文子とダンスを踊る場面に哀愁を感じさせましたし、沢村貞子はステレオタイプの継母役ながらも夫と和解する際の慟哭はちょっと他の女優では出せないくらいの迫真性がありました。穂高のり子はそもそも顔が憎まれ顔なので、女優さんとしてはこういう嫌味な役しか回ってこなかったでしょうからちょっと不利ですよね。そしてミヤコ蝶々は関西弁のやわらかい感じがドライな作風に潤いを与えていました。

菅原謙二は本作のすぐ後に市川崑の『穴』で大きな口髭をたくわえた警部をコミカルに演じていますが、それに比べると二枚目半の役をやらせるとそれなりに巧い俳優だったんだなと思わせられます。一方で川崎敬三は嫌味のない社長の御曹司役がぴったりで、東山千栄子の母親ともども存在だけで上品さを表現していました。そして三宅邦子はちょっと衣装とメイクを変えただけであんなにみすぼらしい中年女に変わってしまうのが驚きでした。この人こそ小津映画でおなじみの品格そのものの女優さんですから、やっぱり女優は何の役にでも化けられるのだなあと感心してしまいますね。(A072123)

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