大忠臣蔵(昭和32年)

数多い忠臣蔵映画の中でも珍しい歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」の映画化です

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、大曾根辰夫監督の『大忠臣蔵』です。GHQによる占領が昭和27年4月で終了して、GHQによって禁止されていた時代劇の「仇討ち」ものが再び映画にできるようになりました。歌舞伎界で気つけ薬の「独参湯」(どくじんとう)とも呼ばれた忠臣蔵ものは、映画界でも出せば必ずヒットする鉄板コンテンツでしたので、そこで各映画会社はこぞって忠臣蔵映画を再開させることになり、本作はそんな忠臣蔵ブームの真っ最中に作られた一篇です。歌舞伎の興行主でもある松竹ですから一丁歌舞伎ものでやろうじゃないかということになったらしく、映画にしては珍しく「仮名手本忠臣蔵」を原作にした忠臣蔵ものになっています。

【ご覧になる前に】二代目猿之助が内蔵助、高田浩吉が早野勘平を演じます

江戸城松の廊下で吉良上野介相手に刃傷沙汰に及んだ浅野内匠頭は、加古川本蔵に阻まれて本懐を遂げることなく切腹を命じられました。ともに饗応役をつとめた桃井若狭助が上野介に金品を渡し内匠頭を止めた本蔵を責める一方で、内匠頭の家臣早野勘平は騒ぎが起きたときに許嫁のおかると密会していたことを苦にして自刃しようとしますが、翻意されておかるの故郷で隠遁する道を選びます。お家断絶となった赤穂の城では城代家老大石内蔵助が家臣一同に殉死を宣言すると、家老職斧九太夫らは無駄死にすることはないと城を去りました。内匠頭の仏前に四十数名の家臣が集まると、そこで内蔵助ははじめて内匠頭の仇をとる本心を明かし、その決意を血判状に記すのでした…。

元禄14年(1701年)に江戸城で起きた浅野内匠頭による吉良上野介への刃傷事件は翌年12月に赤穂の浪士たちが吉良邸に討ち入り上野介の首をとったことで、武士の初心を通してあっぱれという賞賛と権力に立ち向かった義侠心への共感があいまって江戸市中の庶民たちの話題となりました。当時の芝居小屋は現在のTVやネットと同じような娯楽の最先端でしたので、この事件を題材にした舞台が乱立することになり、幕府が上演禁止令を出すほどの人気を博したのでした。

そのほとぼりも醒めた寛延元年(1748年)に竹田出雲・並木千柳ら三人の作家が書いた人形浄瑠璃「仮名手本忠臣蔵」が上演されると爆発的な人気となり、翌年にはすぐに歌舞伎の芝居になって以後繰り返し上演されるようになります。客が不入りのときにはこれをかけるとすぐに客足が戻るということで「独参湯」と称され、それ以来講談や浪曲などで語り継がれていきます。明治期以降も小説や映画として何度もリメイクされたことで「忠臣蔵もの」というジャンルが成立するくらいに多くの作品が世の中に流布されることになったのでした。

戦後日本を占領したGHQは軍国主義を排除するとともに封建時代から続く旧来型の慣わしや因習も全否定しましたので、時代劇の中でも主君への忠誠心を描いたものや仇討ちものはすべて禁止されてしまいました。そんな中でも大映の社長だった菊池寛は「時代劇なんてファンタジーみたいなものだ」と反論したそうで「反封建主義的な」時代劇なら作っていいよということになったものの、占領下では時代劇は邪魔者扱いとなったのです。しかしGHQがいなくなればもうしめたもので、早速各映画会社は時代劇を復活させます。東宝は終戦前後に製作したままお蔵入りさせていた黒澤明の『虎の尾を踏む男達』を初公開させ、発足したばかりの東映は『赤穂城』『続・赤穂城』を製作して、忠臣蔵の前半部分だけで討入り場面がない映画だったにも関わらず人気を集めました。

その後は堰を切ったようにして忠臣蔵映画が続々作られるようになります。昭和29年には松竹の『忠臣蔵 花の巻・雪の巻』が年間興行成績で『君の名 第三部』に次ぐ大ヒットを記録、昭和31年には東映が『赤穂浪士 天の巻・地の巻』を正月映画として公開して年度トップとなる最大ヒットを飛ばしました。東映のは忠臣蔵ものとしては初のカラー映画でしたので、松竹はそれに対抗してカラーに加えてシネマスコープの大画面で再度忠臣蔵映画の製作に乗り出します。しかし八代目松本幸四郎の内蔵助で一度映画にしちゃってますので、今度はどうしようかみたいな話になり、それじゃ「仮名手本忠臣蔵」の映画化版でいこうかという話になったかどうか知りませんが、とにかく人形浄瑠璃と歌舞伎で有名な忠臣蔵が映画になったのでした。

脚本を書いた井手雅人は新東宝出身で早くにフリーランスとなって活躍していた人で、本作の前には松本清張の小説を映画化した『顔』の脚本に参加しています。監督はその『顔』を作った大曾根辰夫で、戦前から松竹下加茂撮影所で監督をつとめていた大ベテラン。戦後に松竹京都撮影所となってからも時代劇を中心に撮っていて、『忠臣蔵 花の巻・雪の巻』もこの人の監督作品でした。ちなみに本作では「大曽根辰保」の名前でクレジットされています。キャメラマンの石本秀雄は大曾根辰夫とはコンビを組んでいたようで前作の忠臣蔵も松本清張の映画化も石本秀雄がキャメラを回しています。

忠臣蔵ものでは誰が大石内蔵助をやるのかで作品の出来栄えも変わって来るのですが、本作では二代目市川猿之助がどっしりとした重厚な演技で内蔵助役をこなしています。松竹京都撮影所の作品なので大船チームはあまり参加していないようで、東京からの出演は有馬稲子くらいでしょうか。有馬稲子は本作出演後すぐに『東京暮色』で初めて小津組に参加することになります。「仮名手本忠臣蔵」の映画化ということで世話物パートの主人公である早野勘平がほかの忠臣蔵ものとは違って二番目に重要な役になるのですが、これを高田浩吉が演じて相手役のおかるをやるのは高千穂ひづるです。宝塚出身の高千穂ひづるは松竹に入社したのですがわずか1年で東映に移籍して京都撮影所で東映時代劇に出まくります。そのあまりの粗製濫造にあきれたのか、東映に見切りをつけて松竹に復帰。その復帰初出演作となったのが本作でした。

【ご覧になった後で】文楽や歌舞伎をそのまんま映画にしていて笑えました

いかがでしたか?文楽や歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」を先に見てしまっていると、舞台そのまんまを映画にしているので、なんだか少し笑ってしまう場面が多くて困ってしまいましたね。つまりあまりにリアリズムが欠けていて、そんなの成立しないでしょうみたいな描写が多くて、映画的に見てしまうとあまりに不自然な場面が目立ってしまいました。

例えば早野勘平が嵐の中で誤って人を撃ってしまい財布を盗む場面。これは原作の五段目にあたりますが、舞台ではボーンと鐘が鳴ると月が隠れて真の闇になるという約束事があるので、勘平が誰を撃ったかわからないまま財布を盗むという状況が見ていてよくわかります。しかし本作では嵐の夜とはいっても映画にできるくらいの明るさで撮影されているので、勘平をやる高田浩吉には撃った相手が黒い着物を着た斧定九郎だということに気づかないはずないとしか見えないんですよね。しかも財布をとるときに雷の閃光が光るので、顔もしっかり確認したはず。こんなので親父様を殺してしまったと思い込んで自分の腹を切るなんていう六段目の展開になるのは、どうにもこうにも納得できません。勘平の髪がいきなりざんばらになっているのも変でしたし。

有名な七段目の「祇園一力茶屋の段」に相当する場面は、舞台ではひとつの桟敷で演じられますが、映画では二つのセットに分けて撮られていました。二番目に出てくる右手におかるが涼んでいる中二階の別棟がくっついているセットのところが、主税から受け取った瑤泉院の密書を内蔵助が読む有名な場面。おかるが手紙を手鏡で覗き、床下では斧九太夫が巻紙の端を手に取るという縦三層の構図に決まるところです。それは舞台だからこそ演劇的な空間として成立するわけで、映画にするとなんとも非現実的に見えてしまいます。しかも内蔵助が盗み見られたことに気づくところでタタタンという柝の音が入るわけでもないので「しまった!」感がまったく出ていなかったのは残念でした。その後のおかると平右衛門のやりとりも映画にすると奇妙な兄妹にしか見えませんし。文句ついでに加えると九段目の「山科閑居」の場面で加古川本蔵が主税の槍を手でつかんで自分の脇腹を差させるところも演技が中途半端過ぎてしまい、わざとらしく見えました。坂東蓑助(八代目坂東三津五郎)にはもっと映画的演技をさせるべきだったのではないでしょうか。

そんな不満点を思い浮かべると、もしやこの映画は映画として見てはダメであくまで歌舞伎の芝居だという前提で見るべきだったのかもしれないと思いつきました。全部が全部歌舞伎的にできているので映画としては違和感があるのですが、歌舞伎を見ていると思えば現在生存していない二代目猿之助や近衛十四郎の芝居を映像で見られる価値が出てくるわけで、遠い昔の歌舞伎芝居の記録として見たら、もっと素直に受け入れられたかもしれません。まあそれなら大石内蔵助ではなく大星由良之助のままでよかったじゃないかという説もありますけど。

そう考えると、映画の最後に製作当時の泉岳寺が映って人々がお参りする現代のショットが挿入されて、これは「仮名手本忠臣蔵」を映画にしたものです、というナレーションが入りますけど、どうせならそのエンディング部分を冒頭に持ってきて、歌舞伎気分に引きずり込んだほうがよかったかもしれません。ちなみに5年後の昭和37年には本作は再編集されてリバイバル公開されていまして、そのときには『仮名手本忠臣蔵』のタイトルに差し替えられて上映されたそうです。

もちろん忠臣蔵ものですから2時間半の長尺はあっという間に見られてしまうわけで、しかも「仮名手本忠臣蔵」だけではなく真山青果の「元禄忠臣蔵」の「大評定」や「南部坂の別れ」や「大石最後の一日」の要素も取り込まれているのでそれなりに面白かったのも事実です。特に歌舞伎では女形が演じるはずの女性の役を女優が演じているところ。映画なので当然ですけど、戸無瀬と小浪の道行を山田五十鈴と瑳峨三智子という実の親子に演じさせたあたりには映画ならではの趣向がありました。水谷八重子のお石とか沢村貞子の一文字屋お才とか本当に適役という感じでしたもんね。

一方で盛り込み過ぎて失敗だったのは箱根の関所の場面で、八代目松本幸四郎に立花左近をやらせて猿之助が真っ白な巻物を見せるところ。大曾根辰夫の演出は舞台を客席視点で長回しで撮るという演劇を見るようなショットを基本にしているので、カッティングで見せるべき場面になると途端に見せ方が下手になっていました。なのでここも本当は幸四郎と猿之助の顔をアップにして腹芸を堪能させるべきなのですが、全員を枠内に収めたフルショットで撮っているので微妙な心情のやりとりが全く表現されていませんでした。

蛇足ですが清水一角をやる大木実は松竹の現代劇だとまったくいい俳優だと思いませんけど、本作ではなかなかのものでした。白粉に髷姿が似合う人だったんですね。しかし吉良邸に金で雇われていながらあそこまであからさまに裏切っていいのかという感じもしないではなかったですね。結局誰にも斬られずに自分でバターンと倒れてフレームアウトする最期もちょっと笑えてしまいました。(V050723)

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