大学は出たけれど(昭和4年)

小津安二郎監督のサイレント作品で現在見られるのは約10分の超短縮版です

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、小津安二郎監督の『大学は出たけれど』です。小津安二郎は34本のサイレント映画を作っていますが、そのうち17本はフィルムが残っておらず現在では見ることができません。この『大学は出たけれど』も本来は70分の上映時間だったのですが、現存するフィルムはわずか11分に短縮されています。それでも小津安二郎の現存フィルムの中では『学生ロマンス 若き日』と『和製喧嘩友達』に続く三番目に古い作品です。

【ご覧になる前に】田中絹代は本作ではじめて小津安二郎作品に出演しました

ビルの階段の前に立ったスーツ姿の野本は会社を訪問して社長室に通されます。履歴書に目を通した社長はあいにく今欠員がないが受付の仕事ならやらせてあげようと言って、秘書と笑い合います。野本は自分は大学出だと言って社長室を出て行き、ビルの入り口で履歴書をビリビリに破いてしまいました。帰宅すると下宿のおばさんがお客が来ていると告げ、部屋には故郷から母親と許嫁の町子が来ていました。母親は就職が決まったと聞いて嬉しくなって上京したというのですが、翌朝になると野本は会社を休むといって東京見物に連れ出そうとします。しかし母親は就職したばかりなのだから出勤しなさいと野本にすすめるのでした…。

小津安二郎は昭和2年に『懺悔の刃』という時代劇で松竹蒲田の監督としてデビューしました。本作は小津の作品としては10本目にあたりまして、斎藤達雄や河村黎吉や大山健二などのいわゆる小津組常連俳優を使っていたのとは違い、初めて高田稔と田中絹代という松竹蒲田のスター俳優を主演させることになりました。高田稔は、岡田時彦・鈴木傳明とともに「松竹三羽烏」と呼ばれた二枚目で、田中絹代は本作に出演した年に松竹の幹部に昇進して栗島すみ子と肩を並べるトップ女優になった頃でした。

元は70分もあったフィルムが現存の11分になったのは、7巻のフィルムのうち1巻だけがたまたま残っていたということではなく、70分の作品を悪評高いファスト映画のように超短縮版にしたためでした。当時は日本各地の映画館にフィルムのプリントが搬送されて、映画館の映写機にかけられてスクリーンに投影されていました。松竹は昭和3年に「松竹興業株式会社」を設立して、所有する劇場はすべてその会社に帰属することになったのですが、元は演劇からスタートしていますのでそこに直営映画館がどれだけ入っていたかは不明です。たぶん地方に行けば行くほど地元の興行主がいて、そこに松竹のフィルムが流れて上映されたのではないかと思われます。

地方の映画館では入場料を払う客を増やすことしか考えないので、入手したフィルムを勝手に短縮して、複数の短縮映画を一気に上映して独自の番組を作っていたのではないでしょうか。でなければ70分のフィルムにわざわざハサミを入れて11分につなげ直すなんて面倒なことはする必要がありません。そうこうしているうちに当時は映画作品のアーカイブ化なんて当然行われていないので、次々に量産される映画のフィルムは上映が終了したら保管場所もないのでゴミ箱行きになっていたんでしょう。その中で、たまたま捨てられずにどこかの倉庫に残り戦災も免れたのが、この『大学は出たけれど』の短縮フィルムだったのかもしれません。

【ご覧になった後で】小津安二郎監督作品だから歴史的価値があるんでしょう

わずか11分のフィルムで、しかもフィルムセンターによってタイトルや字幕が復元されたバージョンですから、本当に本編を見たとはいえないところなんでしょうね。普通の監督の作品であれば、わざわざ勝手に1巻に短縮されたフィルムを復元したりソフト化したりすることはないと思いますが、小津安二郎が監督した初期の作品ということだけで、歴史的価値が生まれているわけです。

ストーリーや映像が取り立てて優れているわけでもないですし、田中絹代の出演場面も他のサイレント時代の出演作と大差ない様子ではありますね。見どころといえば、下宿のおばさん役で出てくる飯田蝶子が当たり前ですが飯田蝶子のままで、この人って昭和4年に出た本作と40年後に出た「若大将シリーズ」での雰囲気がほとんど変わっていないんだなあと、妙に感動してしまいました。

映画的表現でいえば、最初に採用を断られて履歴書がバラバラになって捨てられる足元だけを映したショットと、シーンの切れ目でこの当時はまだフェイドアウトを使っていたんだなあというところが注目ポイントでしょうか。また高田稔の部屋に映画のポスターが貼ってあるのも小津安二郎の初期作品の傾向を表していました。

ポスターはハロルド・ロイドの「Speedy」という作品のもので、1928年にアメリカで製作されていて、日本でも『ロイドのスピーディ』のタイトルで公開されたようです。ヤンキースのベイブ・ルースを愛する主人公ロイドが自動車の普及で追いやられる馬車を救うという物語で、部屋に貼られたポスターはアメリカの原版デザインのものです。昭和初期にはすでにハリウッドから日本へポスターなどの宣材物がきっちりと輸入されていたという事実が映像的に記録されていました。(U030423)

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