雄呂血(大正14年)

バンツマこと阪東妻三郎が転落していく浪人を演じたサイレント時代劇です

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、二川文太郎監督の『雄呂血』です。現存する最古の日本映画は三越写真部の柴田常吉が撮った『紅葉狩』と言われていて、明治32年(1899年)に撮影されました。それから二十数年の間に「活動写真」は新しい娯楽として普及していきますが、最も人気のあったのは時代劇でした。活動写真勃興期には歌舞伎役者や歌舞伎出身者が俳優として重用されたこともありますし、撮影所の多くが東京とともに京都に設けられたのも、時代劇を作りやすい環境づくりに直結していました。本作は、そんな時代劇に「殺陣」や「剣戟」を導入した最初の作品と位置付けられていて、阪東妻三郎演じる浪人が落ちぶれた末に、役人に反逆の刃を向けるクライマックスの剣戟場面で知られています。

【ご覧になる前に】「阪東妻三郎プロダクション」の第一回製作作品です

将軍吉宗の享保期、ある城下町。漢学者永山のもとで修業する平三郎は、師の娘奈美江に思いを寄せていますが、師の誕生祝の席でほんのちょっとしたことから喧嘩騒ぎを起こしてしまいます。その場は収まったものの、町中で武士たちが奈美江に対して根拠のない誹謗中傷の噂話をするのを聞き、再び乱闘に及んでしまった平三郎は町から追放されてしまうのでした…。

本作は阪東妻三郎が自ら設立した映画製作会社「阪東妻三郎プロダクション」の第一回製作作品。バンツマは大正12年『鮮血の手形』という作品でスター俳優に名乗りを上げ、その二年後に自らの製作プロダクションを立ち上げました。当時の日本映画は、まだ大手の映画会社の体制が確立しておらず、明治末期に日活が創設され、大正9年に松竹が演劇から映画へ進出するという動きのほかは、中小の映画製作プロダクションが乱立した時期でした。大正バブル期に新しい娯楽産業である映画でひと山儲けようという新興企業もありましたが、かたや映画監督や映画俳優が自ら会社をつくって経営する製作プロダクションも次々に設立されたのでした。マキノ・プロダクションやタカマツ・アヅマプロダクションなど監督や製作サイドの独立プロダクションができると、阪東妻三郎が23歳で阪東妻三郎プロダクションを設立。この動きが、市川右太衛門プロダクションや入江ぷろだくしょんなど、映画俳優による映画製作体制へとつながっていきます。

阪東妻三郎といえば、稲垣浩監督の『無法松の一生』が有名ですし、田村高廣・正和・亮の兄弟俳優の父親でもあります。なのでバンツマのイメージは豪放磊落な年長者っぽい感じがするわけですが、23歳で出演した本作は、まさに美青年バンツマが若さゆえに悪に落ちていく青年剣士を演じていて、それがとても新鮮に見えます。もちろんアクションも素早く颯爽としていて、このときのバンツマは「新しいタイプの殺陣を披露して人気を得た」「どこまでも周囲に裏切られ、転落していく浪人のマゾヒスティックなまでのニヒリズムを恐るべき迫力で演じた」と映画史家の四方田犬彦が評しています。監督は二川文太郎となっていますが、バンツマも二川監督もともに牧野省三傘下で育てられた人たちで、本作も「製作総指揮」としてクレジットされている牧野省三が、実質的な総監督だったと思われます。

【ご覧になった後で】すべてはクライマックスの殺陣シーンのためにある?

サイレント映画なので字幕で主人公平三郎のセリフが表示されるのですが、いつでもどこでも最後になっても「自分のような善良な人間はいないのに」みたいなセリフが続きます。どんな境遇にあってもここまで自己肯定感が強い人物は羨ましいなあと思う反面、ちょっとは自分の行動を反省してみなさいなと言ってしまいそうになりますね。そもそも家老職の息子からの盃を気に入らないからといって拒否しなければ、みじめに転落することもなかったわけです。深夜に師匠の家に忍び込み無理に奈美江と会おうとしたり、奈美江に似ている料理屋の娘にもあと少しで手を出そうとしたりで、とても「善良」な人物とはほど遠い行動をとるのが、なんとも違和感を感じてしまいますね。

しかしながらこうした設定も、クライマックスの大掛かりな殺陣の場面に結び付けたかったからなのかもしれません。大量の捕り手のエキストラを使ってバンツマを取り囲み、追い込んでいくこのシークエンスで、いちばんの見ものは、平三郎を手前において大捕物を俯瞰で映しながらキャメラをトラックダウンさせるショット。これ、でっかい脚立の上に重たいキャメラを載せたのを、その下に車輪をつけて俳優の動きに合わせて移動させるような機材が必要なわけで、当時としてはめちゃくちゃ大掛かりな撮影だったと思われます。またそれとは別に捕り手が一斉に十手を差し出す場面では、非常に短いショットを腕から手先のほうへジャンプショットでつないでいて、そのチャチャチャチャっとしたリズム感が捕り物シーンを加速させるような効果を出しています。バンツマの殺陣の技術とともに撮影スタッフのテクニックも冴えわたった映像でした。

まあ、とはいっても、とにかく思い込みの激しい唯我独尊の武士がその性格ゆえに没落していく話は、見ていてそれほど面白いわけではありません。サイレント期の傑作といわれているから見たわけですが、繰り返して見たり、誰かにすすめたりというような価値はあまり感じられない映画でした。(A121721)

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