江分利満氏の優雅な生活(昭和38年)

作家山口瞳のデビュー作にして直木賞受賞作を小林桂樹主演で映画化しました

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、岡本喜八監督の『江分利満氏の優雅な生活』です。サントリー宣伝部でコピーライターをやっていた山口瞳が婦人画報誌に掲載した連作短編が直木賞を受賞し、それに目をつけた東宝のプロデューサー藤本真澄が小林桂樹主演で映画化したのがこの作品です。当初監督には川島雄三が起用される予定でしたが、川島が急逝したため代わりに岡本喜八が指名されました。しかし完成した作品は藤本真澄が望んだサラリーマン喜劇になっておらず、2週間上映の予定が1週間で打ち切りにされたそうです。

【ご覧になる前に】主人公江分利満氏には山口瞳の実人生が反映されています

ビルの屋上でバトミントンやバレーボールで昼休みの時間を楽しんでいる会社員たちの中でひとり柵にもたれている江分利満氏は、退社時間になると周りの同僚たちと酒を飲みに行こうかどうか迷っています。結局ひとりで数軒のバーを「面白いか」と会話しながら飲み歩くことになった江分利満氏は深夜遅く妻と息子が待つ自宅に帰り、翌朝もなかなか起き上がれずになんとか出社します。来訪してきた出版社の男女から昨夜約束した通りに原稿を書いてくださいと言われた江分利満氏は、酔っ払って小説執筆依頼を安請け合いしてしまったことを思い出し、家で原稿用紙に向かうのですが…。

山口瞳は大正15年生まれだったので自分の年齢が昭和の年号と一緒になるというエピソードを江分利満氏に当てはめています。幼少期には父親が実業家で裕福な暮らしぶりだったもののその事業が失敗すると川崎に都落ちして赤貧生活を送ることになりました。兵役から帰った戦後には鎌倉アカデミアに入って同人誌に作品を発表するようになり、國學院大學卒業後に入社した出版社が二社続けて倒産してしまい、路頭に迷っているところ開高健の推薦でサントリー(当時は壽屋)に入ってPR誌の仕事を始めます。そのときの同僚がトリスおじさんのイラストで有名な柳原良平で、作家になった後の山口瞳の著作はほとんど柳原良平が挿画を担当することになりました。

仕事をしながら婦人画報誌に書いた「江分利満氏の優雅な生活」は昭和37年下半期の直木賞を受賞しました。当時の直木賞は現在よりもはるかに注目度が高く受賞するとマスコミの取材が殺到するほどの話題となっていました。昭和30年代の受賞者を見ると、今東光、山崎豊子、城山三郎、司馬遼太郎、池波正太郎、水上勉と錚々たる顔触れが並んでいて、そこにいきなりサントリーの社員でほとんど素人だった山口瞳が仲間入りしたわけですから、普通のサラリーマン生活は大きな転換点を迎えたことだったでしょう。

昭和38年に文芸春秋から単行本として刊行された小説を映画化したのが東宝で、プロデューサーの藤本真澄は社長シリーズや若大将シリーズをヒットさせていましたから、山口瞳の原作もその路線で軽いタッチの喜劇として売り出す予定でした。しかし脚色した井手俊郎が改編したのか、川島雄三急逝で監督をバトンタッチした岡本喜八が普通の喜劇にしたくなかったのかよくわかりませんが、東宝サラリーマン喜劇にはならず、現代の世を憂う戦中派世代のボヤキ映画として完成されてしまいます。その出来栄えに藤本真澄は激怒したと伝えられていて、成瀬巳喜男の『女の歴史』と二本立てで公開された本作は2週上映予定を1週間で打ち切られてしまったんだとか。翌週に宝塚映画製作の『われらサラリーマン』という丸山誠治監督の6巻ものが上映されたという記録が残っていますので、『江分利満氏の優雅な生活』だけが差し替えられたのかもしれません。ちなみに『われらサラリーマン』も小林桂樹主演作品だったというのはちょっと皮肉が効き過ぎている感じです。

【ご覧になった後で】乾いたタッチは独特ですが終盤のはしご酒がくどいです

いかがでしたか?藤本真澄が怒るのも無理ないよなという感じで、喜劇というよりは社会風刺映画のような乾いたタッチの映画でしたね。江分利満氏が小説を書いて有名になるというのがストーリーラインのはずですが、それはあくまでエピソードにひとつに過ぎず、中心的に描かれるのは酒に酔った江分利満氏によって語られる世の中へのグチやボヤキです。特に戦中派の立場から若くして戦場で死んでいった同世代の仲間への鎮魂的なセリフが多く登場し、同時に事業に失敗しながら妻の死にもめげずにヘラヘラ生きている老父をはじめとした旧世代に対する批判的トーンも隠さず前面に出てきます。

山口瞳本人が主人公のモデルになっていますし、原作も小説というよりは作者の主観やエッセイ的な書き方がされていますので、当然ながら映画では小林桂樹の独白が多くなります。前半はナレーション程度なのですが、後半になると小林桂樹が酔っ払って同僚や妻に向い長々と語り尽くす長広舌が大半を占めるようになり、映画はほぼ小林桂樹のひとり語りの様相を呈します。こういう脚本にしたのは井手俊郎でしょうから、本作がサラリーマン喜劇ではなく社会風刺劇に仕上がったのは、大元は井手俊郎の脚本のせいだったでしょう。そこに兵隊たちが直面したみじめな敗戦の実体験を持つ岡本喜八の皮肉っぽい演出が加わって、登場人物たちの交流感が薄い、非常に乾いた感じのやや突き放したような映画が出来上がったのではないでしょうか。

その乾いたタッチをなんとか家庭喜劇の領域に踏みとどまらせているのが小林桂樹と新珠三千代の二人で、小林桂樹は山口瞳そっくりに造形されているものの持ち前の都会的な軽妙さで、江分利満氏を嫌味な中年男にならないように演じています。新珠三千代はパニック障害という設定を逆に感じさせないようなのんびりした妻という演じ方で、普通なら深酒する夫と寄生する義父との生活に耐えられないところでしょうけど、のほほんとしたキャラクターづくりをして乗り切っている感じでした。ちなみに庄助という役名も山口瞳の実の息子で評論家の山口正介と同じ名前なんですね。

そんなわけで終盤は見ているのもツライ映画でしたが、東宝の脇役陣がたくさん出演しているのは大いに見どころでした。兄役の平田昭彦や編集者をやる中丸忠雄、重役で出てくる松村達雄あたりは別格ですが、後にTVの「ウルトラQ」で共演することになる西條康彦と桜井浩子が顔を揃えていたのは嬉しいですし、始発電車まで付き合わされる二瓶正也と小川安三の二人もなかなかの名コンビでした。隣の新婚さんの江原達治や二階で下宿するアメリカ人のジェリー伊藤、柳原良平役の天本英世、葬儀で弔辞をのべる沢村いき雄など当時の東宝の豊富な俳優たちが楽しめるのは、本作の別の魅力といえるかもしれません。(U022924)

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