栄光のル・マン(1971年)

スティーヴ・マックイーンが取り組んだル・マン24時間レースの映画です

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、リー・H・カッツィン監督の『栄光のル・マン』です。スティーヴ・マックイーンは自らレースカーを運転するほどのレース好きで、ジョン・フランケンハイマー監督の『グラン・プリ』への出演が叶わなかったこともあって、自身のソーラー・プロダクションの総力をあげて本作に取り組むことになりました。監督の交代や撮影期間の延長、製作費の大幅予算超過など、さまざまな困難を乗り越えて、フランスで行われるル・マン24時間耐久レースを扱った本格的レース映画が完成したのでした。

【ご覧になる前に】ドラマよりもレースシーンにこだわったマックイーン

フランスのル・マンの町の夜が明けると、電車や車を使って大勢の人々が集まってきます。彼らが向かうのは町の郊外にあるサルト・サーキット。日照時間が一番長くなる6月の週末にここでル・マン24時間耐久レースが開催されるのでした。そんな人ごみをよそにしてコースの一部になっている公道にひとり佇むのはマイケル・デライニー。昨年のレースを走行中にこのポイントで事故にあったポルシェチームのデライニーは軽傷で済みましたが、フェラーリチームのドライバーは死亡してしまったのです。未亡人となったリサはレースがはじまろうとしているところで、デライニーとすれ違うのでしたが…。

本作はもともとは『荒野の七人』や『大脱走』などマックイーン出演作を監督したジョン・スタージェスが監督に起用される予定で企画が進んでいたのですが、レーサーと女性たちの人間ドラマを中心に描こうとしたスタージェスとあくまでレースシーンを主体としたドキュメンタリー的な映画を志向したマックイーンの間で意見が対立し、結果的にスタージェスは監督を降りることになりました。

代わりに監督に指名されたリー・H・カッツィンは1960年代後半からTVの演出家として活動していた人で、「スパイ大作戦」シリーズを担当したりしていました。映画での実績はグレン・フォード主演の西部劇『夕陽の対決』程度しかなくスタージェス監督の後任としては力不足のように見えますが、たぶんギャラの問題とマックイーンの意向を尊重できる人という条件で選ばれたのでしょう。本作の後には再びTVに戻って「マイアミバイス」や「ヤングライダーズ」など人気シリーズで長く演出家として活躍を続けました。

マックイーンのほかは特に有名な俳優が出演しているわけではなく、ヒロインのエルガ・アンデルセンとレーサー役のジーグフリート・ラウヒはともにドイツ出身の俳優ですし、スイスやフランス、イギリスなどヨーロッパ出身の俳優が多く起用されています。俳優陣が無名なのとは対照的にレースカーを運転するカースタントドライバーには当時に第一線でレースを走っていた現役ドライバーたちが名を連ねていて、彼らの名前はエンドタイトルでは真っ先にクレジットされています。

脚本は『ブリット』を書いたハリー・クライナー。『ブリット』はアラン・トラストマンとの共同脚本だったのですが、そのアラン・トラストマンが最初に本作の脚本を書いていたところジョン・スタージェスとともにマックイーンによって降板させられて、クライナーがシナリオを書くことになりました。また音楽にフランス映画音楽の大家ミシェル・ルグランを起用しているのにも注目です。

本作は1970年のル・マンレースで実際に撮影が行われ、レースカーとしてエントリーした車に3台の車載カメラを置いて走行させたんだそうです。ちなみに1970年第38回のレース結果は、ポルシェチームのポルシェ917が1位となり、ポルシェにとってはル・マン初優勝となったのでした。

【ご覧になった後で】まともなセリフがひとつもない冒頭40分間が見事でした

いかがでしたか?静かなルマンの町に次第に人々が集まって来て、レース場周辺が年に一度のフェスティバル会場のように賑わい出し、サーキット上ではレーサーたちがそれぞれのやり方で準備をしたうえでマシンに乗り込み、レース開始前になるとレースのレギュレーションを説明する場内アナウンスの声が流れ、そして開始直前にすべての音が消え、レーサーの心臓の鼓動の音が高まると、フラッグが振られて爆音とともに24時間レースが始まる――というオープニングが最高にカッコよかったですよね。さらにコース上のマシンの競り合いになって、レーサーの表情と車載カメラによるマシンの動きと空撮なども交えたレース展開の遠景とか短いショットを巧みにカッティングして、エキサイティングに見せていきます。

このレース序盤戦がひと段落してレーサーが交替して、マシンから降りてきたマックイーンがエルガ・アンデルセンに語りかけるのが、この映画の最初のセリフなのです。ここまでなんと40分。でもこの40分が本作の特徴を見事に表していて、たぶんマックイーンがやりたかったのはレース全体をレーサーはもちろんのことエンジニアたちや運営スタッフ、家族友人知人、大勢の観客、町の様子、周囲の自然などひっくるめて描くことだったのでしょう。その意味ではその意向通りにル・マンそのものが映像に反映されていますし、セリフなしでも徐々に緊迫したレースに引き込まれてしまうほどにすばらしい演出でした。

たぶんこのような40分間が成立できたのは、ひとつには編集の手腕があったからだと思います。実際のレース映像を含めた膨大なフィルムの中から最適なショットを拾い集めてつないでいく作業がマックイーンが示した方針に沿って行われたことで、本作でしか見られないル・マンレースが映像として出現したという感じでしょうか。そしてもうひとつは音響。この40分間をもし無音で見たらまったく退屈してしまうはずで、次第に映像に引き込まれてしまうのは音響による効果が非常に大きいのです。鳥の声が聞こえてくる静かな朝から、群衆のざわめきになって、レース場の喧騒に変わり、ここできちんと場内アナウンスという形で映画に必要な基本知識を耳で聞かせ、そして鼓動からエンジン音へと切り替える。こんな見事な音響のストーリー化は滅多にないと思います。編集はクレジットされていませんが『大脱走』のフェリス・ウェブスターがチーフエディターをやったようですし、サウンドミキサーとしてクレジットされているジョン・W・ミッチェルはイギリス映画界の音響の達人のようです。

加えてクラッシュシーンのリアルさには驚かされましたね。VFXなど存在しない時代ですから、あれはすべて実際にレースカーを公道でクラッシュさせて撮影しています。もちろん危険なので遠隔操作で車を運転させているのですが、この事故シーンの撮影がらみではカースタントドライバーの一人が片足を切断する重傷を負ったのだとか。さらにフェラーリチームの車が爆発炎上するところのスローモーションがスリリングで、スローの動きにほんの少し普通の動きを混ぜて、あえてカクカクしたスローモーションで表現していました。撮影時にキャメラの回転速度を変えると露出に影響するので、この効果は現像時の特殊効果で出しているのかもしれません。

というわけで本格的なレース映画としては映画史に残すべき佳作だと思うのですが、いかんせん40分間の緊張度は1時間50分の上映時間すべてで維持できるわけでもなく、レース好きな人なら一気に見られるのでしょうけど、普通に映画を楽しみたい観客からすれば同じようなレース場面が続きますし、登場人物のからみや感情移入できるキャラも出てこないので、ある意味退屈な映画になってしまっている面も否定できません。『グラン・プリ』はF1を描いているので各国のサーキット巡りが楽しめましたが、本作は24時間ル・マンから離れられないので、そもそも娯楽映画向きの素材ではなかったともいえるでしょう。

結果的にアメリカでの興行成績は惨敗に終わり、マックイーンは自身のソーラー・プロダクションを解散せざるを得なくなってしまいました。けれども日本ではマックイーン人気もあり大ヒット。1971年の外国映画興行収入では『ある愛の詩』『エルビス・オン・ステージ』に次いで年間第三位の成績を収めました。まあ、本作の映像が松下電器とヤクルトのTVコマーシャルに引用されて、それを肖像権侵害だとマックイーンが訴えたというオミソがついてしまいましたけど。マックイーン亡き後、マックイーン側の敗訴が決まり、なんとも気まずい後味になったのも残念なことでした。(V072722)

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