禁断の惑星(1956年)

ロボットや未知の文明などSF映画の基礎を作ったといわれる元祖SF映画です

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、フレッド・M・ウィルコックス監督の『禁断の惑星』です。MGMが1956年に本作を製作するまでは、SF映画といえば宇宙人が地球に攻めてくるといった地球防衛的内容がほとんどで、宇宙や他の惑星を舞台にした作品はほとんど存在しませんでした。そんな中で登場したのが『禁断の惑星』で、今でもSF映画のエポックメーキング的映画として高評価されていますし、今では当たり前の存在になったロボットをロボットらしい造形で登場させたはじめての作品でもありました。

【ご覧になる前に】シェイクスピアの「テンペスト」の翻案といわれることも

アダムス船長が率いる宇宙船C-57-D号が光速から通常運航に戻ると、そこは惑星アルテア4の上空でした。C-57-Dのミッションは20年前にアルテア4へ飛び立ち消息を絶った移民団の行方を捜索すること。そこへアルテア4の地表にいる人物から「着陸を拒否する」との通信が届きます。着陸すると悪いことが起きるという警告を無視して、宇宙船がアルテア4に着陸すると、彼らを出迎えたロボットは船長たちを移民団の中で生き残ったモービアス博士とその娘アルタが住む家に案内するのでしたが…。

宇宙の果ての惑星に父と娘が住んでいるという設定は、シェイクスピアの「テンペスト」に似ているといわれていて、船が難破して漂流先の離れ小島に住み着いたプロスペローとその娘ミランダが魔法の研究をしているという「テンペスト」は本作とほとんど同じストーリーラインをもっています。脚本を書いたシリル・ヒュームも監督のフレッド・M・ウィルコックスもあまり有名な人たちではなく、いかにも当時のSF映画がマイナーな存在であったことを証明しているようでもあります。

船長を演じるレスリー・ニールセンは、1980年代に『フライングハイ』や『裸の銃を持つ男』などのコメディー映画で人気を博することになるのですが、本作はデビュー間もない頃の出演作で主人公の二枚目役を演じています。アルテア4で出迎えるモービアス博士にはウォルター・ピジョン。ジョン・フォード監督の『わが谷は緑なりき』の牧師役が有名で、目鼻立ちがはっきりしたルックスなので、マント風な衣装で出てくるとなんとなく魔法使い風に見えるところが本作の役どころにはぴったりとハマっています。娘役のアン・フランシスは映画女優の看板を活用してTVで活躍した人のようですが、本作では超ミニのワンピースを着てほぼ半裸のような衣裳で出てきます。この衣裳はヘレン・ローズというデザイナーのものでエリザベス・テイラーやラナ・ターナーの衣裳を専門でデザインしていた人。実はグレース・ケリーがモナコ王妃になるときの結婚式の衣裳はこのヘレン・ローズのデザインによるものだったそうですが、本作における脚がまる見えのきわどい衣裳デザインからは想像もできませんね。

また本作に登場するロボットのロビーですが、このロボットデザインを担当したのはロバート・キノシタという日系人デザイナー。日系人だったため第二次大戦中には強制収容センターでの暮らしを余儀なくされた経験の持ち主で、ロビー・ザ・ロボットは映画における初めてのロボット型ロボットだったといわれています。日本では1960年代に土曜夜に放映されていた「宇宙家族ロビンソン」のロボット、フライデーが有名ですよね。ウィルとドクター・スミスとフライデーのトリオは、SFドラマにおける漫才トリオのようなコンビネーションを見せて楽しませてくれました。

【ご覧になった後で】スケベで能無しの船長がすべてを台無しにしています

いやー、確かにSF映画の嚆矢となる名作であることは認めますが、アダムス船長があまりにスケベで能無しなので、映画自体を台無しにしてしまっていましたね。宇宙船に乗っているときから全部を自分でやらなければ気が済まないタイプの上官であることが伺えましたが、アルテア4に着陸してからの行動は本当にひどくて、見ていて笑ってしまうというか腹が立ってしまうというか、とにかく不愉快なキャラクターでした。

まず副官がアルタにちょっかいを出すのをたしなめるどころか横取りするようにしてアルタを篭絡させるスケベな手口が不快です。さらには夜中に宇宙船に侵入されて通信装置が破壊されたときに、見張りを任せた部下たちの証言を検証することもなく罰則を与える偏狭さ。あとでその「怪物」が透明な存在であることがわかるのですが、宇宙空間でどんな生命体がいるのか想像できない頭の弱さが情けないです。加えてその「怪物」(これは輪郭をアニメーションで動かす程度の陳腐な表現でしたが)が宇宙船に近づきバリアを破って侵入しようというときに副官を含めて部下3名を見殺しにしてしまう能無し加減。あんなに近くに部下を配置したらやられるに決まっているではありませんか。本当に何やってんだかという感じで、モービアス邸に行けばアルタが裸で泳いでいるところに無神経に近づいていくし、最後に惑星を脱出したあとの宇宙船で、父親を惑星に残してきたアルタに向ってニヤニヤしているし、もう思い出すだけでヘドが出るようなキャラクターでした。

あの船長がいるおかげで、映画の良さが薄まってしまったのですが、よくよく見てみると美術デザインはかなり頑張っていて、特にクレール人の遺跡、というか超先端技術を見て回るところは、光学合成で人物とイラストやミニチュアを同じ画面に収める手法を駆使して、アナログながらかなり想像力を刺激する空間を表現できていたと思います。けれど、監督の演出力のなさなのか、モービアス博士が自分が作り出した自らの怪物と対峙するところは、よりによって船長とアルタの反応だけで表現しようとする最悪の場面になってしまっていました。一番肝心な「自分自身のイド」との対決が能無し船長のリアクションで表せるわけがありません。結果的にモービアスが絶命したのかどうかもわかりませんし、絶命していないならなぜ宇宙船に乗せて助けなかったのかも理解不能になります。良作なのにこうした粗さが目立つ映画でした。

しかしながら本作が後のSF映画に影響を残したのは明らかで、例えば惑星に上陸するときに船長・副官・ドクターの三人が活躍するだとか、光速運航を変更するときのスタンド式の装置だとかは、あの伝説的なTVドラマ「宇宙大作戦」にそのまま引き継がれていますね。「宇宙大作戦」(すなわち「スター・トレック」シリーズ)ではカーク船長とスポックとドクター・マッコイの三人がトリオで行動することが多いですし、「転送」装置は上下から出た光が人体を分子化して別の場所にトランスポーテーションさせる仕掛けで、見た目は『禁断の惑星』と全く同じでした。そう考えると、カーク船長も誰よりも先に美女に手を出すタイプだったのは、本作の能無し船長のスケベ部分を引き継いでしまったのかもしれません。全く余計なことまで真似してしまったものですね。(V021322)

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