昭和三十年代

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妖星ゴラス(昭和37年)

円谷英二は戦前から東宝で特撮映画に取り組んでいましたが、その作品数が50本になることを記念して製作費3億8千万円、撮影日数300日を投じて作られたのが本作、東宝特撮映画を世に送り出し続けた田中友幸がプロデューサーをつとめています。
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貸間あり(昭和34年)

松竹出身の川島雄三は映画製作を再開した日活に誘われて『幕末太陽傳』を発表しましたが、昭和32年に東宝系の製作会社東京映画に移籍しました。同じ貸家に暮らす人々を描いた井伏鱒二の小説を原作とした本作は、東京映画での四本目の作品にあたります。
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おんなの渦と淵と流れ(昭和39年)

榛葉英治という人が書いた小説を原作として成澤昌茂が脚本に仕上げました。大連で英文学を教えていた男が貞淑な妻と結婚するのですが、その妻が次第に肉体的にも精神的にも陰をもった女性であることを知るというミステリアスな文芸ものになっています。
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鯨神(昭和37年)

昭和36年下半期に芥川賞を受賞した小説「鯨神」。大映はその映画化権を100万円で獲得したといわれていまして、翌年に大規模なロケーション撮影とスタジオでの特撮を駆使してモノクロながらシネマスコープの大画面で映画化されました。
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斬る(昭和37年)

原作は「眠狂四郎シリーズ」で有名な柴田錬三郎の「梅一枝」という小説で、主人公の江戸時代末期の剣客・高倉新吾を市川雷蔵が演じていまして、大映京都撮影所の屋台骨を支えていた三隈研次が監督をつとめました。
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驟雨(昭和31年)

本作では子供のいない結婚四年目の夫婦が日常の諍い事を重ねているうちにそれが亀裂へと広がっていく様子を隣家の夫婦や町内会との人間関係を交えてコミカルかつシニカルに描いていて、主役の夫婦は原節子と佐野周二が演じています。
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夜の河(昭和31年)

京都は水質の良い鴨川に恵まれ染め色が鮮やかな京染めが産業として発展しましたが、本作は京染の老舗の看板を継いだ分家の娘を山本富士子が演じて、上原謙の大阪大学教授と不倫関係に陥る男女の恋愛を描いています。
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大忠臣蔵(昭和32年)

本作はGHQ占領終了後の忠臣蔵ブームの真っ最中に作られた一篇で、歌舞伎の興行主でもある松竹ですから一丁歌舞伎ものでやろうじゃないかということになったらしく、映画にしては珍しく「仮名手本忠臣蔵」を原作にした忠臣蔵ものになっています。
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愛のお荷物(昭和30年)

本作の主人公は厚生大臣という設定で、当時の人口増加傾向に歯止めをかけようと人口軽減政策を打ち出すのですが、一方で四十八歳になる自身の妻が妊娠してしまってどうしようかというシチュエーションコメディになっています。
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あなた買います(昭和31年)

昭和31年当時のプロ野球界はまだ新人選手を自由競争で入団させていた時代でして、人気選手のスカウト合戦を描いた小野稔の小説を松竹が映画化したのがこの作品で、プロ野球界の裏話的ストーリーが見どころになっています。
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忍びの者(昭和37年)

織田信長が伊賀に攻め込んだ天正伊賀の乱を舞台にした村山知義による原作を市川雷蔵主演で映画化した「忍びの者」シリーズの第一作で、監督は東宝争議で組合側の中心にいて東宝を退職した山本薩夫がつとめています。
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錆びたナイフ(昭和33年)

石原裕次郎は昭和32年暮れに公開された『嵐を呼ぶ男』でアクションスターとしてのイメージを確立しましたが、本作は兄の石原慎太郎が裕次郎を主人公にすることを前提に原作を書き自ら脚本化して裕次郎が主演しました。
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乱れる(昭和39年)

成瀬巳喜男は松竹からPCLに移籍した以降はそのままほとんどの作品を東宝で作り続けましたが、本作はそのキャリアの終盤の頃の一本です。主演は成瀬作品で多く主演をつとめた高峰秀子。相手役を若大将・加山雄三が演じています。
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夕やけ雲(昭和31年)

本作は昭和30年11月公開のメロドラマ『野菊の如き君なりき』から5ヶ月後に発表された青春もので、前作で起用された田中晋二が魚屋の長男洋一を演じています。脚本は木下恵介の実妹の楠田芳子で、妹の脚本を木下恵介が監督した唯一の作品でもあります。
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黒い十人の女(昭和36年)

大映の永田雅一から『おとうと』を作ったご褒美として好きな映画を撮っていいと言われた市川崑は、映画業界のライバルだったTV局のプロデューサーを妻と九人の浮気相手が共謀して殺そうとするブラックなドラマを和田夏十の脚本で作ることにしました。
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濡れ髪牡丹(昭和36年)

「濡れ髪シリーズ」は市川雷蔵が身分や腕前を隠しながら修行したり旅に出たりというコメディタッチの時代劇連作で、この『濡れ髪牡丹』では雷蔵がなんでもこなす万能な股旅姿の侍に扮していて、町一番の大親分京マチ子の婿候補になるという設定です。
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ジャズ娘誕生(昭和32年)

「テネシーワルツ」でレコードデビューした江利チエミを主演にして、地方を巡業する楽団が東京の檜舞台に立つまでを背景としてレビューシーンを織り交ぜるなど、ハリウッドミュージカルをそのまま踏襲したスタイルの音楽劇になっています。
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日本一のホラ吹き男(昭和39年)

日本中がオリンピックに向って湧き上がっている時期で、「無責任シリーズ」ではいかに会社で楽をするかに腐心していた主人公植木等も本作では徹夜仕事も辞さないモーレツ社員として出世街道を驀進していきます。
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ニッポン無責任時代(昭和37年)

「若大将シリーズ」をスタートさせたばかりの東宝が、もうひとつの鉄板シリーズを作ろうとクレージーキャッツ主演映画の製作に乗り出しました。結果的に植木等が演じた主人公の平均(たいらひとし)はサラリーマン社会のアンチヒーローとして東宝映画の顔となっていくのでした。
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野菊の如き君なりき(昭和30年)

木下恵介は昭和29年に『二十四の瞳』を発表してキャリアの頂点に達しましたが、映画に対する実験的精神はとどまるところを知らず、本作では映画の大半を占める回想シーンを白い楕円形のフレームで囲うという試みを行っています。
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